名刺

坂本梧朗

その1

                                 

 高校を卒業して十一一年たっていたが、同窓会幹事会総会に出てみると、思郎の期が最も若かった。三列に並んだ卓の、廊下側の端の列の下座に「高校二十期~二十五期」と書かれたプレートが置いてあり、それが期別された最も若いグループだった。思郎は二十二期だったが、より下の期は来ていないようだった。


 思郎の卒業した高校は前身が旧倒中学であり、創立以来七十年以上を経ていた。戦後高校となってすでに三十年以上が過ぎ、卒業生も中学時代、高校時代で分けられ、それぞれ中学何期、高校何期と呼ばれていた。高校時代が中学時代と同じ長さになった今でも、同窓会の主導権は誇り高い中学卒業生の老人達が握っていた。


 末席にポツンと一人座った時、これは場遠いな所に来たな、という感じをやはり思郎は抱いた。上座の方ではやってきた老人達が賑やかに新年の挨拶をかわしたり、久濶を叙したりしている。三、四年程前、チケットを買わされて同窓会総会に初めて出た時もその感じを持った。同年輩の人間が見当らないのだ。老年・中年の背広をりゅうと着た紳十ばかりで、思郎は自分みたいな若僧の来る所ではなかったという悔いと心細さを感じたものだ。その翌年の総会には出ず、翌々年の総会に同期の友人と一緒に出かけた時は、同年輩の人の参加が少しふえたと感じた。友人と一緒だったこともあって孤立感も大して感じずにすんだ。後輩も何人か来ていたようだ。だんだん若い人の参加がふえて行きやすくなると思っていたのだが、幹事の総会ではなお一番下の期で畏まることになるようだった。去年こなくてよかったと思郎は思った。一年若い分だけもっと居心地が悪かったろうと思った。去年は一度も幹事の集まりに出ず、その後ろめたさがこの日の出席となったのだ。新年の総会に出るのは始めてだった。


 思郎の同期は藤島という幹事がただ一人来た。思郎が声をかけ、藤島は思郎の隣に座った。一人でも同期の人間がきた事は思郎の気持を楽にさせた。


 藤島は地元の大手製鉄会社の下請けをしている鉄工所の二代目だった。父親が社長なのだ。自営業の同期の人間にはそういうのが多いと思郎は思う。思郎自身、父母が創めたレストランで働いている。藤島とは同じクラスになったことはないが、幹事として二度ほど会っていた

「猪山来ています」

藤島はあぐらをかくなりたずねた。

「猪山、ああ猪山先生。来てないみたいだな」

思郎は中一列挟んだ向う側の端の列を見ながら言った。そこには高校時代の教師の顔が何人か見えた。彼等も同窓生なのだ。思郎の一年の時の担任だった定村の顔もあった。定村が会場に人ってきた時、目が合って思郎は座ったまま会釈した。猪山の顔は見えない。 「君は猪山のクラスだったの」

「ええ、二年の時の担任でした」

藤島は丁寧な言葉遣いを崩さずに答えた。


 猪山は言葉遣いの悪い教師だった。 「お前、ーするんか」 「それはーじゃねえか」そんな話し方をした。性格は磊落で、他の教師にはない、くだけたところがあった。思郎は猪山の受持ちになったことも、教科を教わったこともなかったので、猪山の持味に触れたのは卒業してからだった。大学を卒業して帰郷した翌年の正月、思郎は猪山の家に飲みに行った。思郎と予備校で知り合い、同じ大学に進んだ友人が猪山のクラスで、彼に誘われて行ったのだ。受験勉強に明け暮れ、心から教師に親しんだこともなく、また親しませるような教師もいなかったと思っている思郎には、教師の家に酒を飲みに行くような関係が同じ学校の教師と生徒の間に生まれていることに、ほう、と呟くような感情があった。猪山の家は思ったより大きく、造りも家具も立派に見えた。絨毯を敷いた広い応接間で思郎達も猪山もよく飲んだ。内容はもうおぼろになっているが、猪山はその時自分の経歴を語ったように思郎は記憶 する。朝鮮戦争の頃、役員の一人として会社を設立したが、それが戦後の不景気のなかで倒産し、曲折を経て教師になったいきさつを、時折歯を吸う音をたてながら、猪山は熱っぼく話した。「俺はこらえてきた。こらえることには自信がある」という言葉が今も思郎の耳に残っている。こらえてきた成果がこれなんだな、と室内や庭園灯が照している庭を思郎は眺めた。思郎を同窓会の学年幹事にしたのも猪山だった。三年程前、思郎が博多のサロンに遊びに行く途中、電車の中でばったり猪山に会ったのだ。思郎はバツの悪い思いだったが、猪山は頓着なく話しかけてきた。話の中で同窓会のことが出て、 「お前幹事にならんか」と猪山が言い出し、思郎が軽い気持で「なってもいいですよ」と答えると、「よし、同窓会には俺から伝えとこう」と猪山はその場で思郎の幹事就任を決めてしまった。


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