短編:日記
@chiyola
吉村ひろしの日記
5 月11日
最近、日常生活での楽しみが生まれてきた。というのも、日中は普通に授業をして、家に帰っては晩御飯を食べて入浴をする、といった、20年間続いてきたルーティーンが変わったわけではない。
一昨日から、昼休みに校舎の屋上で娘と会うようになった。私がいつも入り浸っている屋上の重たいドア開けると、彼女はすでにいた。今にも風に飛ばれてしまいそうな華奢な体格をした娘が、こちらに背を向けて低い塀に持たれかかっている。
その薄い背中には、本当に落ちてしまいそうな危うさがあり、彼女にそこから離れるようにと、近くにあった椅子に座らせた。
私も椅子に座って、彼女と一緒に話をした。部活の練習風景とか、最近クラスで流行っていることとか、普段の何気ない話を聞いているだけだったが、この時間が私にとっての一番の幸せであった。 妻が用意した弁当 (もちろん私のと同じもの)が可愛くて友達に羨ましがられたとか、最近は歴史よりも理科が好きだとか、特に変わったことはないが、娘を少し理解できたようで、なんだか嬉しかった。 また家族のために、何か料理を作りたいと思った。
5月12日
今日の昼休みに、屋上で娘と過ごした。今週の土曜日に久しぶりに家族みんなで公園でピクニックをしようという計画を立てた。
家に帰って妻に伝えると、妻は嬉しそうに頷いてくれた。スマホをチラ見すると、美味しいサンドイッチの作り方を調べていた(あんまママにバレたくないね)。娘はプリンを食べたがっているようだが。
最近、寝過ぎで頭が痛い。でも不眠症よりはマシか。
5 月 13 日
部活の練習試合が急に入ったため、娘はピクニックにはいけないらしい。私は行けないけれど、夫婦二人で楽しんでねとのことだった。
気づけば、ここ数年、妻と二人きりになることはめったになかった。
最近娘の上履きがなくなっているらしい。いじめかと聞いたら、急に無口になった。
5 月14日
娘が、最近しんどいと言っていた。夏休みはまだ先だが、家族でどこか旅行にいこうか、という話になった。
夏の大会が終わったら受験が控えているので、そりゃあしんどい時期だろう。娘は部活で大将を担っていて、家に戻る時間が私よりも遅いことが時々ある。
それでも、ちゃんと頑張っているからこそ、必ず結果を残せると思っている。
5 月 15 日
どこから書けばいいのか...
公園での妻と二人きりでのピクニックは、決して気分のいいものではなかった。
最初はサンドイッチを食べながら、昔の話をした。花見にしては遅すぎるけど、まだ涼しい季節なので心地よかった。付き合った当初の話で盛り上がったが、娘の話をすると、妻は急に口を閉ざした。やはりいじめられているのか、と聞いたが、そうじゃない、もういないの、と返ってきた。彼女は喉になにかを飲みこむことが困難のようで、唇が震えていた。私には嘘に見えなかった。
しかし、あやかは毎朝ちゃんとおはようと言い、晩御飯の食卓でひたすらしゃべり続けている。妻の言う事は冗談にしか聞こえない。彼女もその後、すぐ話を切り上げた。まるで、その話がないようだった。そのあとの話はあまり覚えていなく、気づけば私は家に帰っていた。
しかし、妻が言った通り、娘は今夜、家に戻らなかった。心配している。
5月16日
日曜日の校舎は恐ろしいほど静かだ。いつもの錆びた階段を登っていくと、やはり、そこに娘はいた。
家に戻りたくないのかと聞いたら、そうじゃない、と首を振った。練習試合の帰り道で、変な人に話しかけられたから逃げた。一番近かった家は西村さんの家だったから、そこで一晩泊まったらしい。
妙な言い分なので、誰に話し掛けられたのか、と聞いたら、2組の関口に話しかけられた、とのことだった。なにかされたのかと聞いたら、急に泣き始めた。 真実を確かめないといけないと思った。
5月18 日
学校から関口の親の電話と住所を探した。そのあと、変な夢をみた。
まず、関口と仲のいい市田を呼び出した。なにか知っているかと聞くと、彼は急に泣き崩れて、ぼくは何もやっていませんと答えた。どういうことかを聞いたが、彼はただ、あのことを計画したのは関口で、僕はみていただけなんです、と怯えながら答えた。何を言っているのかさっぱりわからないが、娘は何らかの危険に遭ったことだけが分かった。
私はその後、変な夢をみた。
関口がなぜか目の前にいた。 私を見ると、彼は急に怖くなり逃げ出そうとしたが、私たちは地下室みたいなところに閉じ込まれていて、彼は逃げることができなかった。 そのあとは、彼がただ骨スキ包丁で切られ続けるのをみた。血が大量に溢れ、唾液と涙と血が混ざり、切り刻まれる彼の顔が原型を失っていくのをみた。だけど、あまりにもリアルには見えなかった。動作の主人公はたぶん私であるが、動作より感情がずっと冷静であって、肉の下処理をするように彼の肢体を細かく処理して、一つ一つ小さく切ってから袋に封じた。
起きてからはすごく怖くなって、肉類を保管していた冷蔵庫を恐る恐る開けたが、案の定、そこに人体らしき組織はなかった。
5 月19日
娘は最近、様子を取り戻したようだった。また元気いっぱいのあの子に戻った。本当によかった。 部活はまだしんどいらしいけど、頑張りきれたらそれでいいから。あやかは 日々頑張っているから、と伝えると、彼女は嬉しそうにしていた。
妻は今日、帰省すると言った。
5 月21日
関口は失踪したらしい。
この狭い田舎では噂がたちまち広がり、学校でも放 課後は一人で帰らないように、と言った注意喚起の旨が掲示されてある。警察から聴取されたが、何のことかわからない。
あの夢とはなんの関連があるのか、正夢....いや、そんなはずがない。
5月25日
下水道から薄まった血液が発見され、その中から関口のDNAが検出された。私の家が根源だった。
そして、やっと目覚めた。
あの錆びた階段の向かう先はあやかも妻もなく、何度もそこで自殺しようと捗ったショッピングモールの屋上。それだけだった。
これは私が最後に残す、生きた証拠になるかもしれない。
私の生きる意味はもうなくなった。
これから傷を忘れて何もなかったかのように生きていくことは私にはできない。
少なくとも私は、自分のしたいと思うことを成し遂げた。
それでも、あやかの苦しみを軽減することではないし、それを味わうこともできない。
来世は、幸せに暮らしてほしい。
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