第3話  幻の花


 婚約が決まった翌日、すぐに陛下の執務室へ向かった。

 俺の縁談についてずっと心配をかけているので、婚約が成立したことを早く報告したかったのだ。


 ノックをするとすぐに応答があり、内側から侍従のマルコが扉を開けてくれたので入室する。

 まだ朝早いが既に執務机に座り、積まれた書類に向かっていた陛下が顔を上げる。横には監視するように宰相のアントニオが立っていた。


 陛下と宰相のアントニオ、陛下の侍従のマルコ、俺の四人は幼馴染だ。


 六年前。前王が末の王弟に起こされたクーデターは失敗に終わったが、多くの犠牲を出した。

 前王は生き延びたものの、責任を取り王位を王太子であった現王に譲り、当時の宰相や大臣の多くは反乱軍により命を落としている。そのため、現王の王政に携わるのは若い世代が多い。


 ―――ヴァレリオもその一人。

 前任の総騎士団長がクーデターの黒幕で、当時の騎士団員の多くも密かに取り込まれクーデター側に加わっていた。王太子付きの筆頭近衛騎士になったばかりで夜会会場にいたヴァレリオは王や王太子を守り、反乱軍の黒幕を討った功績でヴァレリオが総騎士団長に選ばれたのだった。



「朝から失礼します。少しお時間よろしいでしょうか」

「おはよ。改まってどうした?緊急の案件?」

「いえ。私事ですが婚約が成立いたしましたので、その報告に参りました」

「え!うっそ!ついに決まった!?ちょっ、ちょっと待って、ちゃんと聞きたい!詳しく!待って待って!」


 陛下は持っていたペンを放り出すと、いそいそと応接セットのひとり掛けソファに移動し、皆にも手で着席を促した。


 アントニオは持っていた書類を執務机に素早く置き、マルコは陛下が投げ出したペンを拾い上げた。

 そして二人ともすぐにソファに並んで座り、すでに話を聞く体勢になっている。


 元々将来の王とその側近候補として幼い頃から共に育ってきた四人だったが、国王になってもざっくばらんな陛下の性格も相まって、四人だけの時はいまだに気安い雰囲気で話をすることも多い。こういう時の団結力は幼い頃に協力して悪戯をしたときを彷彿とさせる。


 三人とも今はすっかり国王と臣下ではなく、ただの幼馴染としての顔をしているし、俺もそうしよう。


「それで?相手は?誰なんだ?」

「そう!相手が気になる!早く!勿体ぶらないでよ?」

「ヴァレリオを受け入れてくれる強心臓なご令嬢がいたとはな。興味深い」


 俺がソファに腰を掛けると、待ちきれないとばかりに陛下とマルコが身を乗り出して聞いてくる。


 ニヤニヤと笑いながら酷い事を言うのは、宰相になって腹黒っぷりを遺憾無く発揮しているアントニオだ。


「相手は、リラ・サランジェ伯爵令嬢だ」

「…………は?」

「リラ・サランジェ伯爵令嬢」

「「はぁぁあああぁぁあぁぁぁ!?」」


 何故か陛下に聞き返されたからもう一度相手の令嬢の名前を告げると、今度は陛下以外の二人が口を揃えて絶叫した。

 二人の絶叫が執務室内にこだまする。


 ドンドンドン!とドアが強く叩かれて「開けます!!」と声がした。ドア前や周辺で警備している騎士らがなだれ込んで来た。


「如何なさいましたか!?大丈夫ですか!?」

「何でもない!大丈夫だ。下がっていい」

「……大変失礼いたしました」


 俺の婚約報告で二人が絶叫したなど恥ずかしくて部下に言えるはずがない。

 騎士らは室内をぐるりと見渡し、テーブルを囲む我々しかいないことを確認して出て行った。

 騎士が下がり、完全にドアを閉めたのを確認してから二人に絶叫の理由を聞く。


「なに?彼女になにかあるの?」


 皆の反応に不安が押し寄せてくる。

 やはり何か裏があるのか、いわくつきの令嬢だったのか?


「ヴァレリオと幻の花か……」

「嘘だと言ってくれ!」

「幻の花が、陰で、いや最早公然と凶悪と言われているヴァレリオと?世も末じゃないか?信じられん……」

「嘘じゃないけど、なに?その幻の花って?あと、さっきからアントニオ酷い」


 皆が言っている幻の花とは、何かの隠語だろうか?

 総騎士団長をしていれば城や騎士団内で交わされる様々な隠語にも詳しくなるが、初耳だった。

 雰囲気的に毒の隠語にありそうだけど、聞いたことがない。


「え?ヴァレリオってば幻の花を知らないの?」

「ヴァレリオは令嬢に興味がなさすぎじゃないか?婚活してたと思えない」

「幻の花とはリラ・サランジェ伯爵令嬢の事だ」


 話の流れで幻の花とはリラ嬢の事を指しているのは分かったけど、幻の花とはなんのことで、どうしてリラ嬢がそう言われているのかが全く分からなかった。

 誰かもう少し分かりやすく説明してくれないだろうか。


「リラ・サランジェ伯爵令嬢はとても美しいから社交界の花!と言いたいところだけど、彼女は病弱らしく年に一度、王族主催の夜会にしか顔を出さない」

「そんなに病弱なのか?」

「さあ?社交界に全然顔を出さないから実際のところはよく分からないが、病弱として通ってる」

「そう。それで、王宮の夜会にしか顔を出さない上に、いつも王族が出て来る頃に遅れてやって来て、気付けばいつの間にかいなくなってる。存在自体が幻のようだと誰かが言ったのが広まって、社交界の幻の花と言われてるんだ。青みがかった薄紫の瞳の色から、幻の忘れな草と言われることもあるな」

「年一回の王宮の夜会しか出ない上に、来るタイミングと帰るタイミングが王族とほぼ同じだから、実は落とし胤説が出たくらい」

「それはまた妙な噂が流れたもんだ」

「俺としては噂通りにあの子が妹だったら良かったんだけどなぁ。お淑やかそうだし」

「陛下、本当の妹である殿下に聞かれたら怒られますよ」


 それにしても、そんなに病弱なのか?


 昨日のリラ嬢の様子を思い出してみる。

 確かに華奢で色白で儚げな雰囲気ではあったが、顔色は悪くなかった。

 むしろ、頬がピンクに染まって血色が良さそうに見えたくらいだ。もしかしてあれは熱でもあったのだろうか?


 しかし、王族主催の夜会にしか参加できないほどに病弱というのが本当なのだとしたら、それは困る。


 俺には公爵家当主として跡取りを残す責務があるのだ。

 むしろ、そのために結婚しなければと焦っているのだから。病弱だと妊娠出産に耐えられないのではないか? 


「あ~いいなぁ。幻の花!美人だよね。俺が縁談を申し込んでたら受け入れてくれたかなぁ?」

「陛下。陛下には然るべき相手をちゃんと選んでいただかなければなりません」


 軽口をたたく陛下に、宰相の顔をしてアントニオが答えている。


「ヴァレリオが三十歳までに相手を見つけなかったら、妹の降嫁先にしようと思っていたのに」

「それは流石に荷が重い……」

「ヴァレリオが三十歳になれば、妹は十八歳になるし丁度良いかと思ってたんだけどなぁ。妹はヴァレリオを怖がらないし」

「陛下。十にも歳上な上に、この厳つい顔が殿下の夫では、殿下があまりに不憫。それに殿下にも然るべき方を選ばなければなりません」

「あまりに不憫て。アントニオ酷い……」


 それにしても。

 もしや、リラ嬢は病弱で縁談が来なくて困っていたところに俺から申し込みが来たから、病弱であることを隠して?

 だからあんなに用意周到に婚約成立まで持って行ったのか?

 その線は考えていなかったが、可能性としては充分考えられるな。


「しっかし、なんでヴァレリオなんだろう?降るように縁談が来ているのに全部断わってるって聞いたよ」

「そうなのか?」

「うん。だってあの美貌だよ。家を継ぐ予定のない次男三男からは入婿として、養子を取れる見込みがある奴なんかは病弱でも良いから妻にって望まれているらしいよ。断られてるのに何度も申し込む奴もいるらしい」


 そこまで人気なのか。

 それならば何故?

 謎はますます深まってしまった。


「これでヴァレリオの婚活終了か。良かったね」

「それはどうかな。無事に結婚できるまでは油断できないだろう」

「アントニオ酷いよ……」


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