第3話 ほしがともる(奏良)

 飽きたな。


 薄暗い空の下で半額のパンを買って腹を満たしたら、財布の残りがこれ以上の食事をもたらしてはくれない事に気づいて、武内たけうち奏良そらは何もかも面倒くさくなった。


 家に帰って金をくすねるにも、今頃は酒乱の母と半グレに足を突っ込んだような母の恋人が仲良くやってるだろうし、見つかれば殴られる。

 他人からかっぱらうのは見つかると相手にボコされて警察に捻り上げられたうえに親に殴られるから面倒だし、オッサンの相手をして搾り取るのも気乗りしなかった。

 既に警察に目を付けられているから、売人運び屋なんて即アウトだ。小柄でやせっぽちな見た目のままに喧嘩も弱い。その上、児童相談所の監視で学校に通えたのは中学までで、最低限の知識しかなく頭もよくない。

 奏良に出来るのはスリか売春くらいなものだ。


 行き交う自分と同じ年頃の人間が楽しそうに話をしているのを見て、生きてることになんの楽しみがあるのだろうなんて不思議に思った。


 中学では、ネグレクト気味の可哀想な子として一部の教師から施しを受けていた。

 給食の残りや寄付寄贈品の文房具。着るものも、はく靴も、人の好意で受け取って、ただの子どもとして他の子と一緒に勉強させて貰った。

 その頃は、みじめな気持ちや寂しい思いなんてものを人並みに覚えていたし、頑張れば普通になれるのかもしれないなんて期待もあった。

 けれど、義務教育が終わってしまえば、そんなのは束の間の夢だったことを思い知った。そしてそれはもう三年もの遠い昔の思い出になっている。


 生きるためには金を何とかするしかない。金を何とかするには、吐き気がするような嫌なことをするしかない。

 楽しいことなんて思い浮かばなかった。これから先に良いことがあるなんて期待は全く持っていなかった。


 だから、奏良は時間をつぶすためだけに行く当てもなく歩きながら、ふと思った。


 生きるの、飽きたな。

 もういいか。


 人生に期待なんてしていない。だから、絶望もしていない。

 ただ面倒くさくなった。それだけだった。



 暗がりの中、公道にかかる橋の欄干らんかんに登った。

 そこは干上がると幅が半分になるような浅瀬の川で、しばらく先で海に通じているためだろう、わずかに潮の匂いが漂っていた。

 おぼれるというよりも、叩きつけられるんだろうな。

 奏良は夜闇の中でわずかに波の名残だけがほんのりと光を映している不気味な水面を、何の感慨かんがいもなく見つめた。

 飛び降りるならどのタイミングが良いんだろう?

 なんて、どうでもいい疑問が頭に浮かんで、あまりのばかばかしさに自嘲じちょうこぼれた。



『お願い、どうか、ほんの少しだけ。君の身体を貸して!』


 その時、星に打たれた。

 奏良は本気でそう思った。猛烈もうれつに突き進んでくる流れ星が、自分に大きく体当たりしてきたと。


「わわわっ、ちょ、あぶなっ!」


 ふらついた身体で必死に欄干から歩道へと飛び降りて、膝をついて震えているのは奏良であって奏良ではなかった。

 意識は確かにある。ここに存在はしている。

 だけど口を開いたのは自分ではない。

 そんな不思議な感覚だった。


「ご、ごめん、怪我させるつもりは!いたたっ」


 りむいた膝をさすりながら、奏良の口は誰かの言葉を紡いだ。

 日常的に怪我をしている奏良にとっては、取るに足りない怪我をいたわるように優しく撫でながら。


『死のうとしてたの止めて、怪我させたって謝んだ?』


 怪我をして痛いのは、きっと奏良の身体に宿った流れ星のほうなのに。それも、今頃止められていなければ、奏良は怪我どころではない事態だったろうに。

 あわてる星の言葉に、奏良はなんだかおかしくなって笑った。


 慌てて、心配して、悪かったと思ってる。

 自分がいつ無くしたのかもわからないような感情がストレートに胸に渦巻いて、ひどく懐かしいような、恋しいような気持ちになった。

 胸の中が、温かい。


「あーっと、勝手に乗っ取ってごめん!でも君、死のうとしてたように見えたし、死ぬくらいならちょっと貸して欲しかったっていうか、助けて欲しいって思って!勝手なことばっかりでほんとごめん、でも、時間がなくって、………頼みたいんだ」


 暗く人っ気のない橋の上で、必死に一人で喋ってる自分の姿に、奏良はまた笑った。

 最後に面白いことの一つでもできたなんて、上出来じゃないか。

 こんなにも笑ったことなんて、今まで一度もなかった。


「いいよ。好きにしなよ」


 奏良は話を聞く前にあっさりと了承した。


 自分が一人の人間だと感じられる扱いを受けるのは、久しぶりだった。

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