第30話

 ライニールは相変わらずうまいもまずいも言わないが、皿の中が綺麗になくなるのがその答えだ。ミハルは空になった皿を片付けるべくトレイに乗せながら、満足げに笑みを作った。

「デザートはどうする? アイスかプリン」

 そう問うとライニールは少々ぶっきらぼうな態度で「プリン」と低い声で答えた。

「あー、だめだー、ごめんなさい。あの感じでプリン食べるのとか面白くて笑っちゃいそう」

「モナ、もう顔が笑ってるよ」

 厨房で肩を振るわせていたモナにミハルは苦笑し声をかけた。

 ライニールはいつもの舌打ちを返すが、モナはあっという間にライニールへの警戒心を解いたようだ。すでに怯える様子はない。おそらくミハルの恋人だと確信したからだろう。

 ジットは食事を終えると帰り際に「じゃあな英雄」と、ライニールに声をかけ、いつもより早く店を去った。

 その後に二組ほど客が来た。客たちは店の隅に黙って座っているライニールの姿をみて一瞬「ひっ」と声を上げたが、「無害です、大丈夫ですよー」とモナが伝えてやると半信半疑で席に着いた。

 ライニールがいるせいではなく、このところの客入りはこの程度だ。以前は昼のピーク時には外に列が出来ることもあったのだが、ジットが心配していた通り噂の影響は大きい。

 最後の客がちょうどデザートを食べ終えた頃、まるで待ち構えていたかのように店の扉が開き、またベルが鳴った。しかし、現れたのは客ではない。ミハルは一瞬営業用の笑顔で顔を上げたが、すぐにその表情を曇らせた。

「どうも、また何かご用ですか?」

 現れた人物に、ミハルは少々低く出した声でそう言った。ライニールが店の隅で視線を上げる。

 入ってきたのは、この町の憲兵の男だ。くるりと巻いた口髭を蓄え、紺の制服に身を包み、腰には自慢げにお飾りのサーベルを下げている。グッと胸を張って後ろ手を組んだ彼は、ペリカンの獣人だ。前回彼が訪れた時、その姿がくるみ割り人形みたいだと言ったのはモナだった。

「いやいや、また通報がありましてね」

 憲兵は口髭をぴくりと動かしながら、空気を含んだ独特な喋り方でそう答えた。

「通報?」

 低く唸るように言ったのはライニールだ。憲兵はライニールの姿に今気がついたようで、びくりと体を揺らし「ひっ」と小さく息を吐いた。

 デザートを食べ終えた客は、何やら気まずい空気を察したのか、代金をカウンターの上に置くとそそくさと身を屈めるようにして出て行った。

「通報っていったいなんです?」

 ミハルは何の感情も見せないように、カウンターの上の皿を下げながら言った。モナがその後から濡れた布巾でカウンターの上を拭いている。

「前と同じですよ、このお店で毒入りの料理を出しているとかいう」

「あ?」

「ひっ!」

 憲兵の言葉にライニールが凄んだ。

 憲兵はライニールが怖いのか、なかなか店の入り口より中には入ってこない。

「以前もお調べになったじゃないですか、大勢でいきなり押しかけて、鍋はひっくり返すし、冷蔵庫の中身も引っ掻き回して片付け大変だったんですからね!」

 そう言ってモナは腰に手を当て、赤らんだ頬を膨らませた。憲兵の位置から自分の背後にライニールの姿が見える様に立っているのは彼女の計算だろう。

「いやいや、こちらとしても、通報があったのに動かないわけにもいかなくてですね」

 憲兵はポケットから取り出したハンカチで汗を拭った。

「おいっ」

「は、はひっ!」

 ライニールの低い声音に弾かれたように、憲兵は背筋を伸ばし、両手を体の脇に揃えた。

「毒入りの料理ってのは何の話だ」

 ライニールは腕を組み、その体を背もたれに預け顎を持ち上げた。

「へっ、えっと、ですから以前から噂になってる、英雄たちの死の件です。皆ここの料理を食べた直後にな無くなっているので……」

「あ? そんなもんたまたまだろ、関係ねぇ」

「ひっ! ですから、私は通報を受けたから来ているだけでして」

「誰だ、そんなくだらねぇこと言ってるやつは」

「い、言えるわけないでしょうそんなの!」

「あ? なんだてめぇ、喰われてえのか」

「ライニール!」

 言葉の通り、今にも食らいつきそうな様子だったライニールをミハルは言葉で制した。

「ライニール……って、ライニール様ですか? 戦士ライニール?」

 憲兵はまだ少し震える声で胸元を抑えながら恐る恐るそう尋ねた。

「チッ、何度も呼ぶんじゃねぇ」

 ライニールは相変わらず不機嫌そうに眉を歪めて答えた。

「おお! 英雄ライニール様! 戦線からお戻りになっていたのですね!」

 憲兵は両手を広げ、英雄ライニールへの羨望を表しているようだったが、ライニールは相変わらず不愉快そうに鼻から息を吐いた。

「って、えっ、ライニール様、もしやこちらでお食事をお召し上がりになりましたか?」

「チッ」

 憲兵は、ライニールの前に置かれた空のデザート皿を見ながら驚愕したように口元を抑えた。

「なんてことだ! お体に不調はございませんか?」

「あ?」

「さっきも申しましたように、この店で食事をした英雄たちが、次々に亡くなっているんです。英雄の死はこの国や西の魔女にとって大きな損失! 由々しき自体なのです!」

「チッ、クソが」

「ライニール様、念の為、すぐに病院に行きましょう!」

 憲兵はやっと店の中に入るとライニールに歩み寄り、本当に病院に連れて行くつもりなのか腕を掴んだ。

 ミハルは焦り憲兵を止めようとしたがすでに遅かった。

 ライニールがその大きな体で立ち上がり、憲兵の腕を振りといたのだ。その体は当然のように投げ飛ばされ、カウンターにぶつかると、ごろごろと床を転がった。モナは慌ててカウンターの椅子の無事を確認している。

「このクソが、ここを誰の店だと思ってやがる」

「は、はひっ?」

 床に尻をついたまま、動揺を隠せない様子の憲兵は、ライニールの問いに対する答えの代わりにミハルの方へと視線を向けた。

「ここは俺のツレの店だ。今度妙なこと言いやがったら、その喉食いちぎって裏の井戸に投げ捨ててやるからな」

「ひっひいぃぃっ!」

 憲兵は無意識なのか自分の喉をぐっと両手で押さえている。

「ラ、ライニール様の、あ、へ、へえ、なるほど」

 定まらない呼吸の中で上ずる声を出しながら、ミハルとライニールを交互に見た憲兵は、おずおずと立ち上がると後退りながら店の入り口へと近づいていく。

「そ、それは、失礼いたしました。では、私はこれにて!」

 そう言い残すと、憲兵は扉から逃げるように出て行った。

 モナは倒れた椅子をもとの位置に戻しながら、ニヤニヤとした表情をミハルに向けている。

ですって、やっぱりね。やだもう、てんちょったら」

 次に揶揄うようにライニールを振り返ったモナは口元に手を当ててわざとらしく肩を揺らした。

「チッ、クソが」

 ライニールは呟きながら、また元の椅子にどかりと腰を下ろした。

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