コンコンデール

第12話

 一番近い街まで馬車でも数時間かかる距離だ。それだけ、ライニールの古城は孤立した森の中に切り拓かれた一画にある。

 英雄ライニールは魔法使いではなく戦士だ。戦場において魔法使いは後方からの支援を行い、戦士や騎士は前線でその支援を得ながら戦いに身を投じる。

 魔女からαの勲章を賜ったライニールは今もいくつかの魔法の支援を受けていた。それは戦士たる彼の身体能力等を高めると言うだけのものではなく、空間を圧縮し通常よりも速く移動するこの魔馬車もその支援の一つなのだという。

 セントラルからライニールの古城まで十日間も堅い馬車の座席で揺られてきたミハルは、フカフカのシートの上で「ほうっ」と息を吐きながら、不自然に流れる森の木々を眺めていた。

「窓から手を出すんじゃねぇぞ」

「はいはい、わかってますよ」

 窓ガラスに頬を押し付けながら、ミハルはライニールの忠告に適当な返事を返した。

「移動の魔法と言えば、あのシュンと消える瞬間移動かと思いましたけど、こういうのもあるんですねぇ?」

 ミハルは言いながら、以前窓から覗いたヒリスの姿を思い出した。その姿がゆらめいた次の瞬間、魔法使いであろうヒリスは空間を移動したのだ。色々と制約はあるらしいが、魔法使いの移動方法としてはその瞬間移動が主流らしい。

魔法使いやつらは自分一人しか瞬間的には移動させられねぇんだ。それにも天候だとか距離や遮蔽物だとか、まあ、色々と条件がある」

「なるほどなるほど。だから人を運ぶ時はこういった魔馬車を使うんですね。まあ、俺は普通の馬車でだいぶ辛い思いをしましたが」

「魔法は万能じゃねぇ。使えねぇ奴らからしてみたらなんでも出来るように思えるが、使えるものらにしてみたら、意外と不自由なものらしい」

「ほほう」

 ライニールはその話を誰としたのだろう。あの魔法使いのヒリスだろうか。

「しかし、その不自由ってのもなかなかいいもんです」

「あ?」

「無駄な会話をする時間ができます」

「無駄なんだろ、無駄ってのはつまり要らねぇってことだ」

「要りますよ」

「あ?」

「要ります。俺、何も持ってないんで」

「ああ……」

「だから、あんまり怖がらせないでくださいね?」

「あ?」

「吐いちゃうの、もったいないんで」

「……チッ」

 魔馬車を引くのは青毛の牝馬と決まっている。魔法が掛かりやすい条件が揃っているかららしいのだが、詳しいことはライニールも知らないようだ。

 馬は蹄の音を緩め、尾をパチリと尻に打ちつけ音を鳴らすといなないた。

 どうやら街についたようだ。

 ライニールが馬車の中でその大きな体を動かすと、車体は大きく揺れ動いた。

 ミハルはその揺れに体が弾み、ほとんどライニールの背中目掛けて放り出されるかのように魔馬車の外へと降り立った。

「ずいぶんと賑わってますねぇ?」

 コンコンデールはウェル国の西側では中堅都市にあたる。

 この街自体に観光名所はないが、東側から西の渓谷へ向かう旅人や渓谷から仕入れた品々を東側へ運ぶ商人などが行き交うハブ的な役割のある街だ。そのため宿屋が豊富で、ミハルもライニールの城を訪れる前にここで一夜を過ごしていた。

 もちろん罪人のミハルに街を見て回る自由などなかったが、宿の窓からみたあの日の街並みよりも、今日はさらに人が多いようだ。

「昨日は市場が休みだったからな。その分、今日は混んでる」

「市場?」

「ああ、街の中心部に市場がある。食材ならそこで大抵のもんが揃う」

「ほお! それは素晴らしい場所です! この街の観光名所なのですねっ!」

「あ? 別にそう言うわけじゃねぇよ、市場なんてもんはちょっとでけぇ街にはだいたいあるもんだ」

「ほほう? ライニール様は行ったことがあるので?」

 引き篭もりなのに、と言う言葉をミハルはギリギリ飲み込んだ。

「昔な」

 ライニールが物憂げに言葉を濁す時、多分恋人とのことを思い出しているのだろうとミハルは思った。今もそうだ。かつてライニールがどこかの街の市場を歩いたその時、その隣にはあの顔の見えない写真の彼がいたのだろうか。

 コンコンデールの街並みに高い建物はない。だいたいが二階建ての木造で温かみのある造りの建物が多く、何処からか長閑なアコーディオンの音色が聞こえてきそうだ。民家も宿屋も2階の窓辺にはたいてい花台があり、そこには黄色や赤など明るい色味の花が飾られていた。どうやらその装飾はこの街の風習らしい。

 高い建物がないせいで、少し見上げると遠く向こうに雪を被った山脈が見える。それを背景にした街並みは、なかなかミハルの好むところだ。そういえばあの暖炉の部屋で壁で埃をかぶっていたうちの一枚の絵画はこの街の風景だったとミハルは思い出した。ただ、暗がりで埃をかぶっているせいで、昼間のこの街とはだいぶ違う印象を抱く。きちんと埃を落として明るい場所で見れば、本来はこの街のように華やかな雰囲気をもつ絵なのだろうか。

「おや、ライニール様、あちらに書店がありますねえ?」

「あ?」

 道沿いには様々な商店が並び、その一画をミハルは指差した。

 アプローチ部分に施されたウッドデッキの上に趣のあるロッキングチェアが飾られている。そこの上に重ねられた布張りの凝ったデザインの図書と、さらにその上に木彫りの装飾が施された看板に「OPEN」の文字が綴られていた。

 ガラス張りのショウウィンドウから覗く店内には壁中にびっしりと並んだ本と、その手前にもやや乱雑に雑誌や絵本が平積みになっているのが見える。そして奥の方に目を凝らすと、埋もれるようにカウンターで鼻先にメガネをかけた店員がうとうとと船を漕いでいる姿があった。

「いっぱいありますね、本」

「そうだな、市場はあっちだ」

「はあ」

「あ?」

 ミハルは口元を結び、わざと足取り重くチラチラとその書店の店先に目をやった。ライニールはしばらく「さっさと来い」と眉根を寄せていたが、結局折れたのは彼の方だ。

「クソ兎が、十分だけだぞ」

「はいはい、わかってますよ」

 主人の許諾を得たミハルは、ぴゅんと足取り軽く書店のドアに歩み寄りその戸を押した。

 店員はドアベルが鳴るとゆっくりと瞼を持ち上げ、まだ眠そうな様子のまま「いらっしゃい」とミハルを迎え入れ、さらにその背後から店内に入るライニールの大きな体に、目が覚めたと言うように眉を持ち上げた。

「本を読もうなんて良い身分だな」

 ライニールは嫌味ったらしく毒づくと、興味があるのかないのかわからない仕草で書棚の一冊を手に取りめくっている。彼が持つとハードカバーの立派な書籍もまるで文庫本のようだ。

「レシピがあるんじゃないかと思ってですね」

「あ?」

「ほら、俺、お菓子類はあまり作れないので。ああいうのは分量を細かく知っていないとダメでしょう?」

「菓子なんて作ってどうすんだ」

「え?」

「あ?」

「だってライニール様、甘いものお好きでしょう? 野菜は嫌いだけど、ポテトやコーンはお食べになりますし、ニンジンもグラッセにするとたくさん食べるので、甘党なのかと」

 積み重なっていた書籍の中からケーキの絵が書かれた雑誌を手に取って、ミハルはライニールを見上げぱちぱちと瞬きをした。

 ライニールはミハルの言葉に、ぐっと口を結んだ後で、ふんと鼻を鳴らし、視線を手元の書籍に落とした。

「さっさとしろ」

「ちょっとだけ待ってください。今覚えますんで」

「は?」

「お金ないんで、今読んで分量覚えます」

「クソが」

 舌打ちをしたライニールは硬貨をミハルに差し出した。ミハルはまたぱちぱち瞬きしながら、両手を上向けそれを受け取る。

「おやおや、そんなつもりでは」

「クソ兎、さっさと買ってこい」

「こっちの魚料理の本もよろしいです?」

「好きにしろ」

「はいはい」

 ミハルはお菓子と魚料理のレシピ本を胸にかかえ、店の奥のカウンターに歩み寄った。店員は鼻先にメガネをかけた老人だ。シワシワの手で本を確かめ硬貨を受け取ると、声を抑えてミハルに言った。

「にぃちゃん、おねだり上手だな」

「ちょろいもんです」

 ミハルはそう言って片目を瞑ると、くっと口角を上げて見せた。

「おい、さっさとしろクソ兎」

「はいはい」

 ミハルは店員に頭を下げると、ローブの下で肩から下げていた布の袋に、その本を仕舞い込んだ。

 少しズレたフードを直し襟元を整えると、早々に店の外に出てしまっていたライニールの後を早足で追いかけた。

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