第14話 バーベキュー

 二日後の八月十二日。

 燈真たちは魅雲村北部の湖、龍神湖に来ていた。


 龍神湖は龍神が住まう湖であり、北の霊山——魅雲連山から流れ込む滝、河が流れ込んで形成されている。湖の水は川となって各地へ流れ、村の貴重な水源となっていた。

 あるいは魅雲村に優秀な退魔師が多いのは、霊山の霊力が染み出した水を常飲しているからとも言われ、魅雲村にある温泉は、冬場には湯治客で賑わい、湖に観光に来るのが定番になっていた。

 湖の水温は龍神の影響で低く、ニジマスが多く生息する。それらを獲る漁船が停泊する港や、遊覧船を出す場所もあった。


 あれから祭りは中止ということになり、しかしどうにか夏、もしくは秋のうちには再開したいと神社は発表した。村民も大半が妖怪であり、喧嘩と酒は妖怪の華というくらいで、酒が飲める祭りは楽しみそのものだし、そして魅雲村の者は何より祭り好きが多い。

 燈真と光希はそれぞれペアで変異型の二等級撃破という功績を上げ、退魔局から特別手当を含め報奨金をもらっていた。椿姫と万里恵は倒せて当然の力量差なので、特別手当はない。だが全員に、緊急出動の手当金がそれぞれ五〇〇〇円ずつついた。


 ちなみに燈真が五等級なのは言わずもがなだが、光希は三等級であり、椿姫は二等級、万里恵は一等級だ。

 等級だけ見て言ってしまえば光希は大変な足手纏いを抱えて戦ったことになるわけだが、実際燈真のポテンシャルはさすが柊に手厳しく鍛えられただけあり、充分なものと言える。近々、昇級の話もあるかもしれないと担当監督官のブルーノは言っていた。


 時間帯は昼間。燈真たちは炭を敷き詰めたバーベキューコンロに火を入れ、点火した。火付け用の乾燥した木に柊が狐火で着火すると赫赫と燃え、炭に火が移っていくと赤々と熱気を放ち始めた。

 菘は形のいい石を探すのに夢中だ。万里恵がついてやっているので、変なくぼみにハマることもないだろう。


「菘って、ちょっと幼くないか? なにか事情があるのか?」


 燈真がずっと気になっていたことを、椿姫に聞いてみた。

 彼女はウインナーの袋を開けて、しばらく無言だったが、口を開いた。


「あの子には"神眼"っていう柊の瞳術を一部引き継いだ目が宿っててね。一般に霊視って言われる瞳術と違って、邪気や邪念、悪意、人の嘘が、そしてその者の本質が見抜けるの。色とか、濃さとか、場合によっては恐ろしい化け物のような姿でね」

「…………」

「幼いうちは神眼のオンオフなんてできなくて、最近やっとできるようになった。あの子は二十一年近く、悍ましいものを見続けてきたのよ。そのせいで、精神の発育が遅れたの」

「ごめん……変なこと聞いて」

「ううん。誤解を生むよりはずっといいから。舌足らずなのはあの子の喋り方の癖だけどね。まあどうあれ可愛い妹だから別にどうでもいいんだけど」


 椿姫が菘と万里恵に「お肉焼くよー!」と声をかけた。

 菘は石を一つ持って、万里恵と共に戻ってくる。


「このいし、もってかえっていい?」

「いいわよ。あとで洗ってからね。それあっちにおいて、手洗っておいで」

「はーい」

「石か。楓も子供の頃この辺やら河原で石を拾ってきては磨いておったな」


 ロング缶のビールをブシッと開けた柊は早速それに口をつけて飲んでいた。本当に酒が好きなようだ。


「かー、美味い。外で飲む酒も悪くない」

「私にもちょうだい、柊」

「貝音は酔ったら足の変化解けるだろう」

「車まで担いでくれたらいいじゃない。柊の馬鹿力なら余裕でしょ?」

「ったく、しょうがないな」


 そう言って柊はクーラーボックスからロング缶をもう一本取り出し、貝音に持たせた。

 ちなみに伊予は運転手なので酒は飲まない。妖怪だって飲酒運転は怖いし、一応この村にも人間の法が適用されているのだ。無論、妖怪が多い分妖怪の掟や、退魔局の退魔規定法の方が実効力があるのだが。裡辺では人間同士の諍いは人間の法で裁かれるが、妖怪のトラブルは古くより続く妖怪の掟や退魔規定法で裁かれることが多い。

 菘と万里恵が戻ってくる頃には、身が薄いカルビがよく焼けていた。燈真がトングで取り皿に乗せ、菘に紙皿を渡す。


「熱いから、気をつけろよ」

「うん。まりえはねこじただから、なおさらね」

「猫ちゃんだから仕方ないんだよねえ。まあ妖力で熱をある程度遮断したらいいんだけどね、あはは。それじゃ味変わっちゃうからやんないけど」


 万里恵は猫呼ばわりされた時怒る時と笑う時、両方ある。もちろん本気で怒るわけではないが、貶したりする感じで猫呼ばわりすると、「誰が猫じゃい」とツッコミを入れるのだ。言うまでもないが敵対している相手から嘲られると、こめかみに青筋が浮かぶくらいには怒る。それでも冷静さを欠かないのは忍者ゆえだろう。

 そんな彼女は滅多に飲酒しない。椿姫に仕える忍者という自覚云々ではなく、どうやら酒の味が苦手なようなのだ。アルコールの独特の匂いと風味がダメらしい。


「タンもらうぜ」

「レモンそこあるから」


 光希がトングで牛タンを取って、スライスされていたレモンを絞る。椿姫は分厚くて火が通りにくい鶏肉をひっくり返しつつ、カルビをサンチュで包んで頬張っていた。


「そういや伊予さん、祭りの時何してたんだ? 貝音も見なかったよな」


 二日前、気づくと伊予と貝音はいなくなっていた。そのことを燈真が聞くと、二人は顔を見合わせて、


「私はよ。ほら、お祭りって気をつけててもゴミが出ちゃうじゃない? 主婦ってが気になるのよ」

「そうそう。水とか汚れちゃうしね。私は適当にふらついて、お笑いライブとか見てたかな」


 無論、伊予のゴミ掃除とは特等級・カガチの祓葬である。そして貝音はさりげなくあれ以上の魍魎が入り込まないよう、あたりに結界を張っていた。様々な発動条件を複雑に絡め、人妖の出入りは阻害せず魍魎を寄せ付けないものだ。結界術をマスターしたい竜胆にもまだできない、非常に高度な技術である。


「なんだ、ゴミ掃除なら俺に言ってくれたら手伝ったのに」

「気持ちだけ受け取っておくわね。ていうか燈真君は毎週ゴミ出してくれるし充分助かってるけど」

「修行の一環だし」


 走り込みも兼ねて、山を降りてゴミ出しに行くのは燈真の週二回のルーティンである。

 竜胆が、椿姫からウインナーを受け取って頬張っていた。「あっちぃ」と言いながら、弾ける脂を噛み締めてもぐもぐ口を動かす。

 伊予はホルモン焼きの脂を落とすのに余念がない。彼女の美学なのか、脂をほどよく落として少し焦げ付いたくらいの焼き加減が、一番美味いらしい。ちなみに男性に関しても、脂が落ち始めた四〇代以降のオジサン俳優が好みであり、映画やドラマでもイケオジ俳優を見てはうっとりしている。


 燈真はよく焼けた骨付きカルビをつかんで、さらに乗せた。上から辛口のタレをかけ、あっつあつのそれを大きな口を開けて頬張る。

 肉の甘みとタレのスパイシーな辛味が合わさり、程よい旨辛を演出する。その味わいがなんとも美味であり、白飯があればこの一枚で茶碗一杯掻き込めるくらいだと思った。


 光希がキャベツを生でバリバリ齧っていると、湖の方から美しい女が歩いてきた。

 周りの客――同じくキャンプをしている家族連れや、デートで来たであろう若い妖怪カップル、異種カップルに、ボクシング部だろうか、そんな人間の少年は走り込みをしつつジャブを打っていたが、足を止めて女に見惚れていた。


 頭部から年輪が刻まれたような老木のような角を生やし、腰からは鱗の生えた尻尾。スラリと背が高くスレンダーで、黒く長い髪を腰まで伸ばしている。

 服装は小紋という柄がパターンで染められた黒地の着物を着ている。

 一目でわかる――それが、この湖の主だと。


「懐かしい妖気を感じてきてみればやはりお前か、柊」

辰子たつこか。十年ぶりくらいになるか?」

「ああ。ちょうどそれくらいだ。そちらの貝音はよく泳ぎにくるから会っているがな」

「どうも」


 貝音の意外な妖脈じんみゃくに燈真は驚いた。

 その龍神――辰子は網の上の肉をじっと見ていた。龍は霞を食べるというイメージがあるが、それは仙人だったか。いや、龍も仙人みたいなものだが……。


「あの、辰子様」

「うん? 見慣れぬ童だ。柊、こいつは」

「新しい弟子だ。根性があって面白い。名乗っておけ」

「漆宮燈真です。退魔師やってます」

「ほう……妙な血が流れているな。……で、なんだ?」


 妙な血――? 先祖の妖怪と神職のことだろうか?


「あ、あの……龍って、霞とかを食べるんです……よね?」

「いや。鳥肉、特にツバメの肉を好む。他には藍銅鉱に、梨……人」

「人!?」

「悪食の龍の話だ。私は肉食だが人は食わん。骨ばかりでさして美味くないそうじゃないか」


 自分たちのことを美味いか不味いかで見られる日が来るとは思わなかった。

 が、肉を食べるのならと、燈真は新しい紙皿を出してその上によく焼けた鶏肉やカルビ、ホルモンを乗せ、箸と共に渡す。


「どうぞ」

「お、気が利くな。よもや私に言い寄ろうと?」

「違います」燈真ははっきりと断りを入れた。

 辰子は悲しそうな顔をしつつ、「若い男に拒絶されるのは幾つになっても堪える」と言いながら肉を頬張った。


 光希が気を利かせてクーラーボックスからビールを取り出して、紙コップに注いで渡す。


「酒まで。最近の童は本当に気が利く。良い、願いを言え」


 相当気分がいいのか、辰子はビールを呷りそう言った。

 別に願いなんて燈真にはない。光希はどうだろうか。彼はしばらくして、


「村がいつまでも平和なように、見守っててくれたら嬉しいです」


 と、妖怪らしい純朴な願いを口にした。その顔は僅かに赤らんでいる。

 辰子は目を丸くしてキョトンとした後、腹を抱えて笑う。


「私はいつだってそれを願っているさ。あとはお前たち若者が平和を作っていくだけなんだ。力添えはするが、あくまで縁の下の力持ちくらいに思ってくれ。もっとも私がいるのは湖の底だがね」


 菘が「うまい、ざぶとんにまい」と拍手した。

 いや、別にそこまで上手くはないだろうと燈真は思ったが、逆鱗に触れたくはないので黙っておくことにする。


「案ずるな、お前たちなら未来を切り拓ける。龍神だからというより、極めて私的にそう思う」


 温かな声音でそう言って、辰子は鶏肉を口に入れた。

 そうして「美味いな」と言って、流し目で光希を見つめる。切れ長の一重の目と合った光希は、恥ずかしそうに俯くのだった。

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