第12話 裡辺の守鶴

 拍手を二回。

 次の瞬間、伊予の〈庭場〉が広がる。一般人は巻き込まないが、すべての魍魎を引き摺り込む足し引き。最悪自らの首を絞める、術師側にはなんのメリットもない行いだ。

 一つの失態は、発動条件が厳しいために範囲を広げられないこと。これは同時に、一般人を巻き込むリスクをカットする意味もあったが、感知できた三体の魍魎のうち二体を逃すということになる。大を奪って小を逃す……欲を言えば三体全て巻き込みたかったが——まあ、逃した方は椿姫たちで事足りるのでいい。

 問題は——。

 漂う、黒い霧。その発生源を睨め上げる。


「無粋ね。お祭りよ、あなた」


 そこは、まるでオーストラリアの荒涼とした荒地を思わせる異空間だった。砂塵が舞い、巨大な蟻塚が林立する。

 わずかな気休めばかりの枯れ草が踊り、事故の原因として悪名高いタンブルウィードが転がっていく。

 睨め上げた先——その魍魎が、一際巨大な蟻塚の上で佇む。


 ——特等級魍魎・禍餓魑カガチ。蛇の頭、二メートル五十センチの巨体と、人間の腕と足を持つ異形。手にはフランベルジェという炎を模した形が特徴的な、祭事用の剣を握っている。無論金属剣ではなく、異形の甲殻から削り出したものだ。

 カガチはシィ、と鋭く鳴き、飛び上がった。

 気づけば、剣が接触。伊予はコンマ秒のラグもなく金剛の術を発動し、その重撃を片腕で防いでいた。剣を受け止めた左腕をぐるりと円運動で回転、剣を払い落として右手で肘を打撃。その一撃で肘関節を砕き、左腕を巻き付けて捻り切る。

 ブシッと赤紫色の血が吹き出し、カガチの右腕がちぎれた。


「まだまだ」


 伊予はすかさず左の前蹴りを顎に繰り出し、巨体を吹っ飛ばした。

 弾丸のような勢いで吹っ飛んだカガチが蟻塚を粉砕し、その瓦礫に肉体を埋める。

 千切れた腕が霧散し、伊予は構えを解かず睨む。

 次の瞬間、瓦礫が爆発。妖力の発露——その圧力で、瓦礫が吹っ飛んだのだ。すでに亡くした腕は再生済みである。

 飛んできた塊を平手で砕き、伊予は足元の石を蹴り上げてキャッチすると、投擲。

 カガチは優れた動体視力でそれを見切ると、ダッキングして回避した。背後で、砲弾が直撃したような轟音を立てて砂柱を上げつつ、石が着弾する。


 攻守が切り替わる瞬間。


 形成し直したフランベルジェは左右に一対。二刀流のそれが、息もつかせぬ勢いで振るわれる。

 右の袈裟斬りを左手で弾きつつ右の下段払いを足で払い除け、首を狙う噛みつきを頭突きでカウンター。刺突を首を傾けて回避し、左の逆袈裟の切り下ろしを半身になって紙一重で避けると、隙潰しに繰り出されたローキックをあえて受け止めつつ後ろに下がる。

 一歩の跳躍で五メートル飛翔しつつ、伊予は流石に術式無しでは無理と悟り、久方ぶりの術式を発動した。


「〈石兵砂塵せきへいさじん〉」


 次の瞬間、伊予の足元が波打った。

 土砂が膨れ上がり、それが凝固。土石の武士となる。


「私に渾式神は必要ないの。強すぎるから持つな、って言われちゃったのよ」


 伊予の等級は、特等級相当。退魔師ではないが、かつてはしつこいくらいに勧誘された逸材だ。決して、家事炊事だけでことを済ましていい妖材じんざいではない。

 だから度々、にも参加するのだ。


「かつて私を追い詰めたのは二人。柊と、善三だけ」


 石兵が、怒号をあげた。

 伊予の秘めたる闘志が爆発したような雄叫びである。手に握った巨大な大刀を振り下ろす。大味な一撃は、特等級には容易く回避された。だが、当てることは考えていない。

 動きの制限、火力拘束ができれば十分である。

 伊予は砂塵を操作。砂が渦を撒き錐のように捻れ、それを、撃つ。


「〈穿牙せんが〉」


 圧縮された砂の槍が音速を超え、放たれた。音の壁を超えた初速、一直線の軌道。カガチはしかし、化け物である。フランベルジェで軌道を逸らして防ぐと、伊予に容易く肉薄した。背後で凄まじい爆裂が巻き起こるが、互いにまるで気にしない。

 振り上げた左の剣を振るうが、それは砂の膜に防がれる。

 伊予は砂で視界を塞ぎ、一部凝固解除。崩した砂の隙間から拳を突き出し、正拳突きを見舞う。

 肋骨を三本粉砕。肺を破壊した手応え。


(心臓と肝臓を潰す。再生力を削ぐ!)


 すぐに右拳で心臓、左で肝臓を破壊。カガチはもんどりうって倒れ、瞬時に傷を再生させる。

 ——動きを止められれば、それで。

 石兵が、満を辞して大刀を振るった。

 妖力治癒の最中、特に傷が深ければ移動しながらの回復は不可能。仰向けに倒れ伏したカガチに、石兵が無骨な刀を振い、切るというよりはすり潰すようにして、圧殺した。


 それで、勝負は決まった。

 治癒という概念が意味をなさないミンチにされたカガチは、そのまま肉体の維持ができなくなり祓葬されたのである。

 戦いというよりは、蹂躙といった方がいい勝負だった。


 あくまでも、同じ特等級。だがその開きは、天と地ほどもあった。


「お疲れ様。土に帰りなさい」

「……御意」


 石兵は低い声で言い、ざらざらと土砂に戻った。この〈庭場〉自体伊予の妖力なので、彼は伊予の妖力のみで形成された式神である。

 本来式神は契約して手にするものだが、良い術式によってはその中にデフォルトで式神が組み込まれることがあるのだ。


 裡辺の守鶴とも言われる伊予は、化け狸——砂撒き狸という比較的穏やかな妖怪の中では異質と言える強さを持つ、そんな妖怪だった。

 無論守鶴——分福茶釜の元ネタとなった正法寺七不思議は室町時代の出来事とされ、平安生まれの伊予はその頃にはすでに六尾相当の膨大な妖力を獲得していたわけだが、のちの世に(明治時代頃)村の子供達が、面白おかしく伊予を守鶴と言い出したのである。


「みんなもこれくらい強くなって欲しいわねえ」


 などと、呑気に言いながら〈庭場〉を解くのだった。

 燈真たちはまだ知らない。

 本当は伊予が八尾の大妖怪だということを。そこまで強くなるために、単純計算でおよそ八〇〇年はかかることを。


×


「カガチが祓葬されたか。……恐ろしい妖怪が多いな、ここは」


 真之は高みの見物をしつつ、そう言った。

〈庭場〉の中のことは、五等級にも満たない魍魎の目を使って観察していたが……アレの相手は絶対に避けなくてはならない。

 あんな化け物の相手をさせられたら自分も仲間も秒殺で全滅である。まず、正攻法で勝てる相手ではない。


「あの少年……」


 冷徹な目は、境内を唐揚げを片手に歩く少年に向けられていた。

 稲尾竜胆、そして漆宮燈真である。


「あんなガキの心臓になんの価値がある……? だが、確かに


 ほくそ笑んで、真之はワンカップを呷った。楽しい観戦は、まだこれからだ。


×


「はいどうもローカル武田です! 地域密着型ピン芸人、魅雲村生まれ魅雲村育ち、だけど事務所は燦月市の本田芸能プロダクションです!」


 ノリのいい、若い外見の犬妖怪が出てきた。スマート・アコースティック・ギター——略してスマアコという、アンプに繋げられるアコースティック・ギターとハーモニカを持ったピン芸人である。


「生まれはど田舎活動は大都会!」


 ジャジャン、とギターをかき鳴らす。


「村民は知らない都会の常識! 知ってますか、知らないでしょう? 都会じゃ人間の方が多いんですって!」


 このネタは、妖怪にはウケがいい定番ネタだ。逆に人間も、ギャップによる印象でキャラを覚える。


「私、駅を一駅歩けます! だけど魅雲村から燦月市まで歩いたら遭難します!」


 田舎の一駅はもはや冒険だ。これも、地域差をイジったネタだ。なんなら柊は都会人が晴れた日に一駅歩くと聞いた時「人間本気か!?」と思ったくらいだ。


「実は僕、魅雲村ってまあまあ都会じゃんって思ってました! 違いました、ど田舎です!」


 ジャジャン、ジャーン、と鳴らす。リズムがあって、トントン流れるネタなのでテンポがいい。柊も冷静に見つつ、笑っていた。


「都会のネズミは、大抵が野良の動物です。魅雲村のネズミは、鉄鼠です! ハクビシン、アライグマ、アナウサギ、田舎者にとっては平等に弱小妖怪仲間! 外来種に厳しい都会人、だけどみんな、ライオンが好きです」


 皮肉も交える。柊は酒を片手に笑っていた。この女はツボが浅い。

 そこで熱くハーモニカとギターをかき鳴らす。しばらくソロパートが流れ、最後に、ジャンッとギターを鳴らし、


「そんな僕、ゴールデンレトリバーの妖怪です。どうも、ありがとうございましたー!」


 拍手が巻き起こった。

 ちなみにローカル武田は本当に魅雲村の妖怪である。年齢は九三歳で、魅雲高校のお笑い同好会所属であった過去がある。親からの猛反対を無視して燦月市に行き、オーディションを勝ち抜いて事務所に入った。現在はライブを中心とした活動をし、ピン芸人グランプリでは初出場で準決勝まで行っている。

 すでにネットでは次の一発屋、なんて言われていた。彼はそれを「一発ジャックポット大歓迎!」とコメントしている。


『こっちはお笑いライブのおかげで気取られんかった。だがお主は相変わらず派手だな』

『コンパクトに戦ったでしょう? あなたと喧嘩した時は山が一つ崩れたし、善三と戦った時は屋敷が半壊したじゃない』

『それと比較するのもどうかと思うが。怪我はないか』

『ええ。だけど二体は健在。禁足地から動かないけど、まだ発生してないのかも』

『神主は結界で封じ込めをしておる。だが、内側から外への脱出を封じる結界だ。入ることはできる……退魔局の応援は?』

『最短で四十分』


 柊は顔には出さず悪い状況だな、と思った。


『あとで詫びを入れよう。椿姫らを向かわせる。成長課題にもなる、燈真も向かわせよう』

『相変わらずね。わかったわ、念話を入れておく』


 念話が終わる。


(おそらく二等級に一等級。燈真の相手には壁が高すぎるが、ここを超えられれば一気に実力がつく。やつならやれる。そういう器の目をしておった)


 弟子のことは、一番に信じている。

 柊は、だが……。


(忌物は先んじて回収しておいて良かったな。これは、子供が持つべきではない)


 とっくに握りつぶし、炭に変えた禁后を置いた相手を、柊は明確に「敵」として認識していた。

 舐めた真似をしやがって、と。その、老獪な怒りが、埋み火のように——久方ぶりに湧いた瞬間でもあった。

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