(六)残響

 マヌーゲルへ戻るのは、それほど苦労しなかった。

 街へ戻った二人を一番に出迎えたのは、見知らぬ冒険者だ。はじめは、ソウの前を通りすぎた。彼はすこし先でふりかえると、その金壺眼がぱちぱちと、何回か閉じたり開いたりしながら、ちょび髭のある口をとがらせるように考えこんだあと「あーっ!」と太い声を上げ、短い手足をばたつかせた。ころころした体型から伸びた短い脚で、急いで近づいてきて、一通りなにかを言ったが、そのうちに言葉が伝わらないことに気がついたのか、そのままどこかへ走り去ってしまった。

 ころころとした背中を見送ったソウは、黒影と顔を合わせた。

「なんだろうね?」

「知らん」

 とにもかくにも、ふたりはまず、宿泊していた冒険者の宿へ向かうことにした。

 二十分ほど歩き、植樹の豊かな公園を通り過ぎようというときに、ふたたび「あーっ!」と太い声。ふりかえったそこには、つい先ほど見かけたばかりのちょび髭の小さな冒険者。そしてそのとなりには――、

「お帰りなさい゙いぃぃぃぃぃぃいいいいい!」

 亜麻色の髪をふり乱して、ナギがこちらへ一直線に駆けだしてきた。そのうしろで、目じりをぬぐい、親指を立てるちょび髭がかいま見える。

「ナギさん」

 ソウは明るい声をあげた。

 ナギは滝のような涙を流しながら走り、その両腕を大きく広げ――、

「へぶらっ!」

 地面へ激突した。どうやら、縞鋼板の絶妙なつぎ目につま先が引っかかったようだ。

「大丈夫……?」

「ぶえぇぇぇぇぇええええっ」

 ナギはバッと顔をあげて、さらに泣いた。

「ご無事でなによりでずぅぅぅぅゔゔ」

「あ、うん。心配かけてごめん」

 とびついてきたナギをどうどうとなだめながら、ソウは苦笑する。

「良かったあぁぁあああ゙! 街のどこを探してもお二人の姿が見つからなくて、冒険者の人たちにも頼んで、それでもなかなか見つからなくて、だから本当に本当に心配したんですよぅうぅぅおおおぉぉぉぉぉおん」

 ぶあつい袖で涙と鼻水をぬぐって、また次から次へと涙をこぼす。

 ソウはナギをなだめながら、懐から花の刺繍が入ったハンカチをとりだすと、ナギの目もとをハンカチでぬぐった。

「さがしてくれてありがとう」


 その後、捜索に協力してくれたちょび髭の冒険者と別れ、ほかの冒険者たちにもお礼を言いに行った。その道中で、ナギは、ソウが昨晩見た煙が、鉱山区域で発生した原因不明の爆発事故によるものだと話した。開拓中の坑道で起きた爆発が、運悪く地下水の出口となってしまったという。

「過去にも爆発事故が起こったって話があったって聞いていたけど、今回もそうだったんだね」

「ですです」ナギはうなずいた。

「けど、災害のあとなのに、あんまり変わらないっていうか……」

 街を見渡したソウに対して、ナギは赤くなった鼻をすすりながら、答えた。

「被害にあったのは開拓中だった鉱山区域の一部と、貧民街です。街が被害に遭ったのはこの谷沿いのごく一部。だから……多くの人は、ふつうに暮らしています」

「そっか……」

 わずかに視線を伏せると、陽光の差しこむ谷底には、まだ細く水が流れていた。どこからか笑い声が聞こえる。ソウは顔をあげた。

 道向かいの小さな青果商の店先で、世間話でもするように笑いあう婦人は、手提げかごを揺らしながら、新鮮な野菜を手にとっているところだった。視界をさえぎるように横切った青年は、ゴトゴトとせわしない音を立てて、積み荷をたっぷり乗せた台車を押してゆく。働き盛り、という言葉が似合う青年だった。彼は道の向こうを見て、たえず振動に揺れる橋梁をなんの気なしに渡っていった。

 かたい岩盤にへばりついた鉄骨の街は、ごく普通に、あたりまえの生活をしている。錆びた鉄骨の上で笑い、あるいはどこか日常に飽きたような顔のまま、まるでなにごとも起こっていない、とでもいうようにあくびをしたりして。

 災害の爪痕を生活の底に残したまま、彼らは眼下を見つめることすら意識のうちになく、それぞれの歩幅で暮らしている。



***



 昼飯を買って冒険者の宿へ戻り、情報収集もほどほどに。ソウ達は明日、この街を出ることに決めた。もとより、武器の整備が終わり次第、この街を出るつもりではあったが――。

「ソウ君、大丈夫ですか?」

 宿の一室で、ソウは食後のフルーツサンドを片手に持ったまま、はっと我に返った。

「あ、ごめん。ちょっと考えごとをしてて。なんの話かな」

「食欲、ないですか?」

 ナギが心配そうに首をかしげる。

「大丈夫」

 笑みを返して、ひとくち食んだ。

 味はそれほど感じないが、吐き戻すほどの気持ち悪さはもうない。食べられなかったのは、きっと一時的なものだったのだろう。もうすこし旅に慣れれば、余裕もできて症状も改善するはずだ。

 そうして、次のひとくちを食べたときだった。

 おもむろに感じた視線をたどる。こちらをじっと見つめていたのは、他でもない黒影だ。彼女の黒いまなざしは終始、黙したままだったが、ソウはというと――、


――おちついたか。


 耳の奥で、当然のように黒影の低い声が思い起こされる。わずかに目を見ひらいたその瞬間。喉の奥に引っかけ、激しく咳きこんでしまう。

「え! ソウくん大丈夫です⁉」

「げほっ……ごめ、ッ……み、水……」

 さしだされたグラスに、よろよろと手を伸ばす。

 黒影はほんのすこしのあいだ、こちらを見つめていたが、やがてあきれたように視線を流したようだった。ため息を細くこぼし、指先についたクリームをぺろりと舐めとって、また小さくクリームサンドを食んでいく様子は、いつもとなんら変わらない。

(勘弁してほしい……)

 これまで、黒影のごく薄い気配を追うのも難しかった。それがたった一晩、肌を合わせただけで、この身体は黒影の存在を精細に認識し、覚えてしまった。そして、彼女になじんだほのかな香りを、よくも悪くも感じとってしまうものだから、その一挙一動が鮮明に五感を刺激する。急激な変化に自分の認識と理解がついていかない。だから、こまっていた。

(ああくそ)

 情けなさのような、羞恥しゅうちのような。いらだちとぎこちなさを振り切るように、ソウは水を呑み下して、クリームサンドを噛みちぎった。ふわり、と甘いクリームの香りの合間に、残り香。

(食べ終わったらすぐ洗濯して、シャワーを浴びよう……)

 次の行動を心の中で定めながら、もう一度水をあおる。と、そこで、グラスの中がすっかりからっぽになっていたことに、ソウはようやく気がついた。

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