第12話 墨俣決戦 修正版
※この小説は「政宗VS家康」の修正版です。実は、パソコンのトラブルで編集中に保存できなくなり、新しいページで再開した次第です。文言や表現を一部修正しております。もう一度読み直していただければと思います。
空想時代小説
6月20日。政宗は墨俣城跡にいた。土木作業の真っ最中である。政宗は率先して作業にあたっている。時には足軽とともに物を運んだ。その方が家臣も働くからである。それを見た秀頼もいっしょに働こうとしたが、そこは側近たちに止められていた。成実はぼやきながらも材木をなわで組んでいる。これもいつもの光景である。
前田勢と毛利勢は周辺の警備にあたっている。上杉勢は徳川の動向をさぐっている。その上杉の探索方の話によると、岐阜城が秀忠の本陣で2万。大垣城には水野勝成の1万。それに明智城をはじめとする支城には2000から5000の軍勢が入っている。家康は駿府城にもどったとのこと。病気だという話もある。
天気は雨が続いている。墨俣のあたりは、ぬかるんだ道で馬も槍隊も動きにくい。そこが重長のねらいだった。敵は大砲や鉄砲が使えないと思って攻めてくると考えていた。
翌日未明、敵はやってきた。それも筏でやってきた。水量が増えた揖斐(いび)川に乗って、攻め込んできたのだ。小雨が降っている。敵はすぐさま馬防柵にとりついた。しかし、そこは想定済み。重長の指揮の元、第2の柵にいた鉄砲隊が火をふく。雨でも使える改良形の火縄銃である。火縄の部分が木片で囲まれており、雨に濡れないように工夫されている。まるで鎧をつけたようなものである。敵は鉄砲で撃たれるとは思っていなかったのだろう。早々に引き揚げていった。
成実率いる騎馬隊が、大垣城の敵を引き連れてきた。そこに、前田・毛利・真田の騎馬隊が3方から取り囲み、大打撃を与えた。ここまでくると、敵も誘いにのってこない。こちらから攻めることになった。
大垣城には政宗勢、岐阜城には真田勢と長宗我部勢、岩村城には上杉勢、明智城には前田勢、美濃金山城には毛利勢、苗木城には大野治房勢が攻め込むこととなった。秀頼は岐阜城攻めが見たいということで、大野治長とともに真田勢の後詰めとして進軍した。
大垣城にいた水野勝成は、奮闘したが政宗勢の鉄砲隊の餌食になり1日で陥落した。
岐阜城は火攻めにあい陥落。信長自慢の頂上天守閣も焼け落ちた。秀忠は真田勢が来る前に逃げ去っていた。
岩村城は、石垣が見事な城であるが、上杉勢は城攻めが得意である。これも1日で陥落させた。
明智城は光秀が産まれた城であるが、城としては大きくない。前田の大軍に囲まれては抵抗するすべはなかった。
美濃金山城は森蘭丸が産まれた城である。明智城より高い山にあり、毛利勢は最初抵抗にあったが、2日目夜襲をかけて落とした。
一番手こずったのが苗木城である。大きな石をうまく使った城で攻めにくかった。大野治房は今まで補給隊を主としていたので、戦場にでるのは久しぶり。かつて郡山城攻めでは功があったが、向こうは平城。苗木城は急峻な山城。水場をさがし、水止めと兵糧攻めをするしかなかった。守る将は、榊原康政。徳川四天王の一人である。その数1000。だが勇猛果敢な将兵ばかりで簡単に音をあげなかった。
7月に入り、大野治房の元には兄治長と秀頼が応援にかけつけた。秀頼登場ということで、榊原康政は最後の決戦をしかけてきた。城から討ってでてきたのである。しかし、そこは想定済み。鉄砲隊の一斉射撃にあって、ほとんどが壊滅。榊原康政は山を下りて去っていった。
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