二
晦の言葉に、藍姫は力なく答えてくれた。
「最後に手紙をいただいたのは、七日前です。私も管轄が違うため、武官のほうにそう簡単に行くことができず、寝ずの番がどうなっていたのかがわからないんです……」
「ありがとうございました。でしたら、詰所で確認が取れればいいですね。できましたら、そちらに紹介状を書いてはくださりませんか?」
私はそれに「あれ?」と思いながら、晦を眺めていた。
一応陰陽師は、占いや相談のためだったら、朝廷の中に入れる。そもそも私をとっ捕まえたのだって、朝廷の中を調査するためだったし。
行方不明者の捜査だったら、堂々と朝廷に入れそうなものなのに。
私が不思議がっている中、藍姫は「ですが……」と困惑していた。
「私たちはまだ、お付き合いはしておれど、結婚の約束もしておりません。私の紹介状に意味はあるでしょうか?」
「ありますよ。無断で調査と言っても口を開かないでしょうが、恋人を探しているという大義名分があれば、人はおのずと同情しますから、口が緩むこともあります。無味乾燥な調査だけでは、ただ警戒心を生むだけでしょうからね」
晦の言葉に、藍姫も一応は納得してくれたようで、晦の紹介状を書いてくれた。
それを持って、私は晦と一緒に本当に久しぶりに朝廷へと向かうことになったんだ。
私は朝廷のほうを、そわそわと見回しているのを、晦は苦笑気味に尋ねた。
「久方ぶりの実家でしょう。なにをそこまでそわそわなさっているんですか」
「いえ……久しぶりの朝廷で落ち着かなくって……それに私はいつも武官の詰所にしかいなかったから、後宮とかは新年会の時にしか顔を出せる立場ではなかったので」
「そうですか……」
番の呪いをかけられたってことは、私になにかがあれば、私に番ののろいをかけたあやかしが襲ってきて、最悪族滅させられてしまう。
そんな危険人物を人目のつく場所の置いておきたい人間なんている訳もなく、朝廷の端っこにつくった屋敷で暮らしていたものだから、人通りの多い場所になんていられなかった。
武官の詰所に通うことができたのは、そもそも武官は外敵やあやかしと戦うのが本分だったのだから、数少なく私にかけられた番の呪いを怖がらない人たちだったからだ。
私がきょろきょろとしている間に、鼻の奥がジンとするような懐かしい場所が見えてきた。
武官の詰所は鍛練用の広々とした中庭に、馬を繋げた厩舎、そしてそこで談笑している待機中の武官たち。
間違いなく、私がしょっちゅう通っていた武官の詰所だった。
私があまりにも大喜びをしているのを、晦はクスクスと笑った。
「あれだけ物々しい場所を喜ぶ女性は姫様くらいですよ」
「だって……私にとってはあそこくらいだったんですもの。私のことを腫れ物扱いしなかったのは」
「それはなによりですね。すみません」
やがて、私が見たこともないような若い武官が、晦に声をかけられた。
「申し訳ございません。こちらは関係者以外は……」
「いえ、私は陰陽寮に勤めております晦と申します。こちらで行方不明になった方と懇意の方に頼まれまして、捜査に当たることにしたんです。何分、有事でもなければ、この辺りすら陰陽師でも好き勝手に歩き回ることはできませんからなあ」
そう言いながら藍姫の紹介状を見せると、その若い武官は慌てて奥へと引っ込んでいったと思ったら、すぐに戻ってきた。
「陰陽師様でしたか……我々も困っているのですよ、寝ずの番の最中に行方不明事件が続きまして」
「……続いているのですか?」
ちょっと待って。
武官の行方不明が続いているのは、いくらなんでもまずいんじゃないのか。
寝ずの番で守っているのは朝廷だ。その守りが少しずつ削ぎ落されるのはまずい。
ただでさえ、桔梗区ではあやかしが出続けているのだ。今でもずっと式神越しにやり取りを続けている薄月だって、夜な夜なあやかし退治を続けているんだし、そんな術者が追い回しているあやかしが朝廷に逃げ込んできたら……ここで働いている貴族も、ここで暮らしている王族も、ただでは済まない。
そこまで想像してぞっとしている中、晦は「穏やかではありませんな」とゆったりとした口調で話す。
「ですが、ここは結界が張られているはずですが」
「そうは言われていますがね、自分も朝廷の結界の強度がどのようなものかはわかりかねます。陰陽寮側の仕事ではないのですか?」
「よく勘違いされますがね、朝廷のほうの結界に陰陽寮は関与できません。朝廷のほうの結界は、神庭の管轄ですから。我々も神庭の結界については調査が及びませんから……ですが、調査をすることはできますよ」
そういえば。前も晦が言ってたなあ。
神庭の管轄のことには、陰陽寮もあんまり手が出せないと。晦がしょっちゅう陰陽師でもなかなか朝廷に入れないって言っているのは、朝廷の結界もろもろは神庭の管轄だからなんだろうか。
晦の説明に、周りはあまりわかっていない。そりゃそうだろう。神庭の詳細はなぜか王族以外にはほぼ公開されてないし、一般的には王族が出家したら入る場所、王族が楽を奉納する場所くらいにしか知られてない。私も元々はそこに出家するために放ったらかしにされていたけれど、そんな私ですら神庭は神様の世話をするところ、以上の知識がない。
でも晦が「調査する」と言っていることで、周りは一旦納得はしたらしく、藍姫の恋人である
一旦はそれを確認しつつ、私たちは寝ずの番でいるはずだった蔵へと向かっていった。
「藍姫が言っていたように、寝ずの番をしていたのは七日前。行方をくらませたのも七日前で間違いなさそうですね」
晦は人形を広げるとなにやら術式を墨で書き加えてから折り畳み、それらを飛ばしていく。
「蔵は傍から見ると普通ですね。他の場所と同じく、あちこちに寝ずの番を立てて守っている……ただ、紅染が見張っていたのは中からだというのが気になりますが」
「普通に考えれば外周を警備中に何者かに襲われたら……になりますけど。中からだったら、むしろどうして行方をくらませられるかわからなくありませんか?」
「むしろ私としてみれば、中を検めたほうがいいと思いますけどねえ……。おや、やはり」
何枚か飛ばしていた人形が晦の手元に戻ってくると、それを確認して、彼は息を吐いた。
「なにがですか?」
「朝廷では、特にあやかしが結界に引っかかったことがないそうです」
「それは結界を張ってるんですから普通のことではないんですか?」
「むしろ異様です」
晦のきっぱりとした物言いに、私はぎょっとする。
「あの?」
「姫様だって見たでしょうが。現状紫陽花区で沸くあやかしの数は尋常じゃないのです。薄月は頑張っていますし、私も家に帰れたときは張り切って退治していますけど、それだけやられたら、陰陽寮や術士のいない方角……それこそ桔梗区や朝廷に逃げおおせようなものの、その気配がないというのが異様なのです」
そういえば、朝廷は陰陽寮の管轄では結界を張れないと言っていたけれど。
「それってつまりは?」
「仮説いち。あやかしは朝廷から出てきている」
「それは仮説にしても異様過ぎやしませんか?」
「ですが、姫様だって結界の張ってあるはずの後宮で襲われたのですから、あながちでたらめでもないとは思いますよ。で、仮設に。あやかしすら関与したくないなにかが、朝廷に存在している」
「それは……女王が怖いとか?」
「でも自分は現女王があやかしを怖がらせるほどの力を持っているとは聞いたことがありませんよ。姫様はどうですか?」
私はほとんど顔を合わせたことのない叔母上のことを思い返した。
「……きつい方だとは思いますけど、たしかに私もあの方があやかしより強いという話は、聞いたことがございませんね」
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