Case19 微笑む少年

95 もう一人の紫(1)

「いないね……」


 千鶴は走り回ったのか、息を切らせてそういった。

 凪も走り回ったが、体力があるので息を切らすことはなかった。


「ミオ、どうしたんだろう……」


 もう放課後である。凪たちとミオが出会ってから、一日に一度も姿を表さないなんてことは今まで無かった。


「明日また探さないか。日が暮れる」

「そうだね……」

「賢明な判断だ。さ、帰ろ」


 千鶴だけが浮かない顔をするので、凪は言った。


「もしかしたら、成仏したのかもしれないじゃん?霊体だったら危険な目にも遭いにくいし、そんなに心配することじゃないと思うよ」

「……でも」

「早く帰らないとお父さんが心配するよ」

「……うん、分かった」




 それから一週間、凪たちはミオを探し続けたが、一向に見当たらない。


「やっぱり成仏したんじゃないの」

「だといいけど……」


 千鶴は目に涙を浮かべた。俯いた時に、彼女の涙が床に落ちた。


「お別れくらい、言いたかったな」

「千鶴……」

「向こうでも、楽しくやってることを信じるしかないだろ」

「そうだね。ユウくんの言うとおりだ」




 凪はそう言うが、千鶴の心は不安でいっぱいだった。何週間も彼と過ごした記憶は千鶴の中で大きくなって、いつしか心の大部分を占めてしまっていた。

 今思い返せば、千鶴はミオに惹かれていたのかもしれない。そう思うと、また涙が溢れてきた。千鶴は、自宅のベッドの上で、声を上げて泣いた。




 次の日、千鶴はミオのいない教室で一人、彼が居た机を見つめていた。


 板書はできないが、授業の内容を必死に理解しようとしていたミオ。そんな彼に、勉強を教えたこともある。


 休み時間は、千鶴が借りてきた本を一緒に読んだ。シリーズものの冒険小説は、まだ読み終えていない。


 放課後も、凪とともに教室に残りミオと話した。嬉しそうに笑う彼の顔は、今でも千鶴の脳裏に焼き付いて離れない。


「ミオくん……」


 あの日のミオのように机に突っ伏す。しかし、何も解決はしなかった。


 そのとき、千鶴の隣の席が引かれる音がした。

 顔を上げると、ミオが鞄を携えてそこに立っていた。


「……おはよう」

「ミオくん!?」

「……俺の名前はミオじゃない」


 顔をしかめて、ミオ、いや、少年は言った。


「俺の名前は曙凛。誰と間違えたかは知らないが、二度と間違えるなよ」

「……え?」


 ミオとはまったく違う、澄ました大人っぽい表情で凛は言った。しかし、千鶴には状況が理解できず、席を立って廊下に出た。



 2年E組にやってきた千鶴は、扉越しに目があった凪と昴大に手を振った。


 二人は席を立ち、千鶴のもとに来る。


「どうしたの?」

「ミオくんが、いた」

「ミオが?」

「でも、ミオくんじゃなくて」


 どうしよう。うまく説明できない。千鶴の頭はこんがらがって、どうにかなってしまいそうだった。


「……どういうこと?」

「とにかく、来て!」


 もう説明することを諦めた千鶴は、二人を無理やりD組の教室に連行した。




 千鶴、凪、昴大の3人は教室の扉の前で、凛が席に座って鞄から教科書を出しているのを見ていた。


「本当だ、ミオがいる。……でもさ、あれ。霊じゃ……ないよね?」

「え?」

「そうなの。昴大もやっぱり気づかないよね」

「あの子……もしかして、曙凛?」

「そうみたい」

「……どういうこと?」


 昴大が戸惑う。昴大は凛のことを知らないので、当然の反応だ。


「なるほど、ミオくんが座ってた席の元の主が曙凜くんだと……っていうことは、ミオくんはただの霊じゃなくて生霊だったってことか」

「みたいだね……でも、千鶴のことは覚えてないんだ?」


 千鶴は頷いた。あの表情は確かに、千鶴を覚えている人間のものではなかった。


「へー。なんでだろ」

「あのさ、そこの3人」


 気がつくと3人の前には、不機嫌そうな凛が立っていた。


「邪魔なんだけど」


「あ、ごめん……」


 3人が道を開けたのを確認して、凛は教室からスタスタと早足で出ていった。


「……なんか、雰囲気全然違うね」

「まるで別人」


 凛の歩き方含む所作も何もかも、ミオとはまるで異なっていた。




 雄太郎は一人、教室の前を歩いていた。


「……ミオ?」


 雄太郎がミオだと認識した人間は、紛れもなく生者だ。雄太郎は一度立ち止まり、ミオの姿を見つめ直した。


「俺に何か用?」

「いや……」


 訝しんだ彼が話しかけてきたことに戸惑い、雄太郎は目を逸らした。そんな雄太郎の態度を余計疑問に思ったのか、彼は尋ねてきた。


「俺は曙凛っていうんだけど、君、D組に友だちとかいない?」

「いる、けど……」

「茶髪でポニーテール。背は……俺よりもかなり低い。名前は知らないけど、そんな女子知らない?」

「千鶴のことか?土間千鶴っていう、俺のD組の知り合いがそんな見た目だった気がする」

「多分それだ。俺の名前を間違った、不躾な女だよ」


 平然とそう言う凛。雄太郎としては少しだけ不愉快な気持ちになったが、怒るほどのことではないので、我慢する。そもそも、ミオは、凛に戻ったことにより4人のことを忘れてしまったのだ。この怒りをぶつけたところで、凛にとっては理不尽だろう。


「そうか、それは悪いな。俺の方から注意しておく」

「助かるよ」


 そう言って凛は雄太郎が来た方向へ歩いていく。雄太郎は振り返って凛を見たが、やはりどこまでも、ミオと凛は別人だった。



「……なあ」

「なんだ」


 雄太郎は目を閉じ、自らの中にいるゆうに問いかけた。


「ミオと曙凛は同一人物なんだよな?」

「魂の波長が同じだ。間違いなく同一人物だろう」

「……ミオの記憶は、アイツにはないのか?」

「無くなるはずがない。しかしそれは、夢の中の出来事程度に本人の脳で処理されているはずだ」

「夢、か……」


 雄太郎はミオと過ごした時間のことを思い出した。そして、ミオに多くの時間を割いていた千鶴のことも。


「千鶴は悲しいだろうな。ミオと過ごした時間を失ったのだから」

「……何か後で奢ってやるか」


 雄太郎は呟くと、教室に戻った。

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