憂の鬱な世界、13回目。~輪廻に抗う幽霊少女。13回目の転生で真の身体を取りもどし、そして怪異の王となる~

神埼 和人

序章 大悪霊と地下鉄の怪異

1.本当の身体を探して

 ――その夜の出来事は、彼女にとって決して気持ちの良いものではなかった。


 夏の夜。地下鉄のホーム。

 水無瀬彩葉みなせ いろはは、ひとり終電を待っていた。

 

 黒髪のショートボブ。

 白いノースリーブのブラウスに茶系のキュロットスカート。背に小さなリュックを背負っている。

 色白で背は低く、ぱっと見た目は小中学生女子といった印象だ。


 普段なら終電を待つ人が多少なりともいるはずだが、今日に限ってホームは閑散としている。

 冷房の効きが悪いのか蒸し暑く、不快な湿気が身体にまとわりついていた。


「まったく……アイスにクレープ、果ては水族館のマンボー。あんたの『未練』はしょうもないもんにばっか、つながってるわね」


 独り言にしては大きな声。ベンチに腰をおろした彩葉は、となりにおいた小さなリュックに視線をむけて、こうつづけた。


「ひと気もないし、でていいわよ。ゆう

「ほんと!? やったー!」

 

 リュックから顔をだし、喜びの声をあげたのは可愛らしいクマのぬいぐるみ。それが、のそのそと動きだしたかと思うとリュックから這いだして、着地する。

 

「もう、やっとだよ……。一日中、リュックの中なんてひどいよ彩葉ちゃん」


 憂と呼ばれたぬいぐるみが両の手を大きく動かし、首をふってコミカルに自身の惨状をアピールする。

 ぬいぐるみから響くのは、安っぽいスピーカーを通したような、くぐもった声。

 それはさながら、CGを使ったカートゥーン・ムービーのようだった。


「しょうがないでしょ。動くぬいぐるみなんて、中に”霊”が入ってるとは誰も思わないだろうけど、絶対に人目をひくもの」

「だからじっとしてるって言ってるじゃん!」


「それこそ私がいい年してぬいぐるみを手放せない、”不思議ちゃん”扱いされるわ。そんな由々ゆゆしき事態は絶対に避けなければ」

「もーいじわるー」


 ぷいっと横をむき、すねてみせる憂。


「しっかし、あんたの『未練』をたどって”本当の身体探し”をはじめたはいいけれど、簡単には見つからないもんね。おまけに今日は、変な子どもにつきまとわれるし……」

 

 彩葉が疲労感をアピールするようにベンチにぐったりと背をあずけ、天井をあおぐ。


「記憶喪失って言っても自分の身体のことなんだから、なにかヒントになるようなことを覚えてないわけ?」

「ぜーんぜん!」


 ぬいぐるみが両手を広げて大きな輪をかいて見せる。


「――気のせいかしら、いま全身を殺意が駆けめぐる音が聞こえたわ」

「あ、アハハハハ……彩葉ちゃん、足、足……」


 彩葉のスニーカーがぬいぐるみの足を踏みつけていた。


「まったく、身体を見つけてあげるなんて、安請け合いするもんじゃないわね……」




 そのとき、ひとりの長い黒髪の女性がベビーカーを押してホームを歩いているのに、彩葉は気づく。


 厚手のロングコートを着て、首にはマフラー。

 顔の下半分はマフラーに覆われ、その表情は判然としない。


 ――真夏にロングコート? しかも、こんな時間に子連れで?

 

 その様子に違和感を覚える彩葉。憂を女性の視界から隠すように足でベンチの下へ押しやりながら、視界の外で注意をむける。

 次第に加速していく鼓動。

 彼女は彩葉たちの眼のまえで、不意にその足をとめた。


「こんばんは」


 自然な雰囲気で、声をかけてくる女性。

 

「私の坊やがいないのだけど、どこかで見なかったかしら……」

「えっと……?」


 一瞬、言っている意味がわからず、彩葉は返事を詰まらせる。

 よく見ればベビーカーはもぬけの殻で、そこに子どもの姿はなかった。

 

「お子さんとはぐれたんですか?」


 半信半疑でそう問いかける。

 

「はぐれた――いえ、違うわ。奪われた……盗られたのよ」

「え? それは、どういう……?」


 状況が飲みこめず、彩葉が再び問いかけようとしたそのとき、女の態度が突然豹変した。

 彩葉の足元を睨みながら、怒鳴りつけるように叫ぶ。

 

「ユウ! 私の坊やはどこ! あの子をかえして!!」


 突然のことに身体をすくませて、硬直する彩葉。


「えっ!? なんでわたしのこと?」


 突然、名前を呼ばれて驚いたのか、憂が彩葉の足元から顔をだす。

 ぬいぐるみの姿はもとより、憂の存在を知る者すら皆無に等しいのだ。その疑問は当然といえた。


「あ、バカ!」


 女性のまえに姿をさらしてしまった憂を、彩葉が思わずとがめる。

 その瞬間、ドクン、と何かが大きく脈打つのを感じた彩葉が息をのみ、目のまえの女性にあわてて視線をもどす。


 ――いまのは、なに? この女性ひとはいったい……?


 女性はベビーカーから手をはなし、おもむろにマフラーを剥ぎとった。

 そこにあったのは、口裂け女を彷彿とさせる巨大な口。牙のような鋭く短い歯が上下に突きだしている。

 そして、その瞳が黒く、どす黒く濁っていく。


「怪異……!?」


 彩葉がとっさに女性と距離をとり、彼女と憂に意識を集中。そして意識の波長を異なる次元へと徐々にずらしていく。

 

 ――見えた!

 

 憂からうねうねと伸びる無数の黄色い帯――『未練』。

 それが彩葉の視界にありありと映しだされていた。そのうちの一本が、その女性から伸びたどす黒い色の帯と空中で結び合って一本になる。

 そして、一瞬のうちに侵食された憂の未練が、すべてどす黒く染まっていく。


「憂の未練じゃない! 彼女だ、あの女性ひとの未練があなたにつながっているのよ!!」

「なになに、どういうこと!?」


 そして、女性の髪の毛がまるでそれ自体が意識を持ったかのように、うねうねと四方八方に伸びていく。

 その毛先が絡みつくように持っているのは、ぬらぬらと濡れたような光を放つ出刃包丁。


 一本、二本とそれは無数に増えていく。

 数えきれないほどの刃物が、彩葉と憂の頭上めがけて降り注ぐように襲いかかった。

 

「あぶない!」

 

 彩葉は憂をかばいつつ、横に飛び退いて辛くも回避。

 ガギンッ、ガギンッと音をたてて、ホームに突き立てられる無数の出刃包丁。

 

「ちょっと、落ち着いて! まずは冷静に話しあいましょう!」

「ユウ! おまえのせいで! おまえが全部全部全部、何もかも奪ったんだ!!」


 黒い瞳は、完全に常軌を逸していた。


「怪異あいてに話しあいなんて、普通は無理か……」


 一瞬、足元のぬいぐるみに視線を移す彩葉。

 そして、あたりを見回す。

 限られた地下のホームで逃げつづけるのは難しい。そして、見渡す限り、助けを求める相手もいない。


 ――となれば。

 

 彩葉は、憂をすくうようにして拾いあげ、そのままホームを走りだした。

 遠く彼方に見えるのは、改札へつながる登り階段。

 振りかえれば、包丁のからみついた髪を振り乱して一心不乱に追ってくる怪異の姿があった。


「あんた、本当に恨みを買ってるのね! 一体、前世で何したのよ!?」

「わかんないよー、なにも覚えてないんだから!」


 彩葉の手に掴まれて、前後にはげしく振り回されながら、憂が答える。


「覚えてなくていいから、あれをなんとかしなさいよ! 時代を渡り歩く災厄の源、『大悪霊』が聞いてあきれるわ」

「悪霊じゃないもん! 彩葉ちゃんこそ、魔法でやっつけてよ!」


「魔法ってあんた……霊導術れいどうじゅつをバカにしてるの?」

「してない! してない! そのなんとか術でパパっと……」

「言ってなかったっけ? 私、攻撃呪文はからっきしなのよね……」

「えーそんなー!」


 そのときだった。彩葉の視界に逆側のホームで手をふる少年の姿が飛びこんできたのは。

 背後には停車した電車。そのドアが今、まさに閉まろうとしている。


「彩葉お姉ちゃん、こっち!」


 少年が叫ぶ。

 その声をうけて急停止した彩葉が、おもむろに背中からおろしたリュックへ憂を無理やりつめこむ。そして電車へむけ、力いっぱい投げつけた。


 リュックは緩やかな放物線を描いて電車へ到達。閉まりかけたドアに挟まれ一瞬空中で静止するも、異物の挟まりを感知してドアが再び開く。

 そこへダッシュして滑りこむ彩葉。


 頭上から落ちてきたリュックをキャッチした彼女の背後で、ドアが静かな音をたてて閉じる。

 

「セーフ……」


 ドアに背をあずけ、彩葉はその場にへたりこんだ。

 その腕の中でリュックがもぞもぞと動きだす。

 上下逆さまに押しこまれた憂がやっとのことで顔をだし、一言。

 

「彩葉ちゃん! ひどい!」

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