第24話

「……凛音くんはさぁ、スカート履くのって、嫌じゃないの?」

 綾子に言われたとおりカフェに入ってケーキを注文し、先にきたジュースを飲みながら、類がぽつりと呟くように聞いてきた。


「えっ?」

「ほら、先月までは前世の記憶とかなくて、自分のこと、普通に男の子だと思ってたんだろ? ……女の子だった頃の記憶が急に頭に入ってくるのって、どんな感じ?」

 リンゴジュースにささっていたストローから口を離したあと、凛音は首を傾げる。


「……よく、わかんないよ」

「そうなの?」

「スカート履くのは……最初は恥ずかしかったけど、今は嫌じゃない、かな。リンネはいつも、スカートばっかり履いてたから……」

「それってさぁ、前世の記憶に支配されて、凛音くんだった部分は消えてきてるってこと?」

 問いかけてくる類の眼差しは真剣だった。

 本気で、友達として心配してくれているのだということが伝わってくる。

 凛音は困って、俯いてしまう。


「よく、わかんないよ」

 困って、同じ言葉しか言えなかった。

「……でも、別に女の子になりたいわけじゃない。女の子として振る舞うのも普通に感じる、ってだけで……」

 がんばって言葉を紡ごうとしたけど、うまく言えない。


(女の子じゃなくなっても、シュウちゃんはずっと一緒にいてくれるって言ってくれたから……)

 だから、誰かに求められない限り、スカートを履く必要性はないと思っている。


「……凛音くん、さ……アヤちゃんといる時の方が楽しそうだけど、オレともこれからも、友達でいてくれる……?」

 恥ずかしそうに視線をそらしながら、類がぼそぼそした声で聞いてくる。

 結局のところ、類が一番聞きたかったのはその質問の答えなのかもしれない。


「もちろん。類くんはずっと友達だよ」

 前のめり気味になりながら答えると、類の顔にパッと笑顔が浮かぶ。

「ほんと? よかった!」

 安心したように類が言ったところで、ちょうどケーキが運ばれてきた。


 凛音はクリームのたっぷり乗ったシフォンケーキを選び、類はシンプルなチーズケーキを選んだ。

「おいしそう!」

 はしゃぎながら、類はすぐに食べ始める。

「うん。いただきます」

 凛音も少し遅れてフォークを手に取った。


(ずっと友達でいてほしい、ってお願いするべきなのは、僕の方だったのに……)

 ふと、こうして仲良くケーキを食べている瞬間がいかに尊いかに気づかされる。


 前世の記憶があるという変なやつと友達でいてくれている。

 前世と変わらず一人の男の人が好きだと言っても、気持ち悪いと思わないでいてくれてる。

 ついでに、一緒に女装に付き合ってくれている。

 そんな優しい友達、なかなかいないと思う。


 前世でも今世でも、もったいないぐらいに自分は友達に恵まれている。


(僕以外のみんなも、昔みたいに仲良くしてくれたらいいな……)

 険悪だった綾子と貴希の様子が心配になって、店のガラス越しに外の様子を窺ったが、彼らが姿を見せることはなかなかなかった。




 綾子と貴希がようやく店内に入ってきたのは、ケーキを食べ終わり、頼んだジュースも飲み終えて、学校の宿題の話で盛り上がっているところだった。


 綾子の服はそのままだったが、貴希は着替えて、普通の男の服装に戻っている。


「すまなかった」

 腰を折るほどに頭を下げられて、凛音は困惑する。

「……謝られるようなこと、僕はなにもしてないよ」


 顔をあげた貴希は、複雑な感情が浮かんだ顔で凛音を見た。

 ちょっと泣きそうにも見える。

「その言い方……ほんとにリンネなのか?」

 凛音は苦笑した。


「タカキ、この間、お祭りの時に会ったよね?」

「…………」

「シュウちゃんの隣にいた小学生の男の子。あれが今の僕の、本当の姿だよ。……こんなの、変だよね。僕もそう思うよ。でも、僕はタカキのこと覚えてる。……よく、シュウちゃんが一人で突っ走っていっちゃって置いてかれたリンネに、『どんくさいな』とか言いながらも一緒についてきてくれたよね? あの頃はちょっとタカキのこと怖いと思ってたけど、タカキ、とっても優しかったよね」


 泣きそうだった顔がさらに緩んで、目元から、涙がにじむ。

 それを見られまいと、貴希は手の甲ですぐに目元を拭う。

「……まだ、信じられない」

「僕もだよ。……そうだ、リンネの遺品、タカキが引き取ってくれたって聞いたけど、あの本も、タカキの手元にちゃんと戻ったかな……?」


 リンネが死ぬ三日前。貴希に本を借りた。

 海外の人気のファンタジー小説の日本語版で、分厚いハードカバーの本だった。

 日本語版とはいえ大人向けの難しい言葉も多い本で、すぐには読み終わらなくて、夏休みが終わる頃には返すね、と約束していた。

 結局、半分ぐらいまで読んだあたりで死んだ。


「……あの本は……あの本は、リンネにやった。しおりが挟んであったの、真ん中ぐらいのページだったから……まだ読み終わってないんだろうと思って、おばさんに頼んで、棺に入れさせてもらったんだ。天国で読めるように、って……」

 座っている凛音の前にひざまずき、貴希は絞り出すような声で言った。


「そっか……ありがとう、タカキ」

 ちょうど目線の高さにあった頭を、凛音はそっと撫でた。

「でも、ごめん。天国の記憶はないから、小説の結末がどうなったのかはわからないや。今度本屋さんで探して読んでみるね。読み終わったら、今度こそちゃんとタカキに返すよ」

「……っ」

 先ほどはいったんこらえて止まった涙が、ぼろぼろと溢れ出してくる。

 化粧の跡が残る整った顔があっという間に涙で濡れた。


 頭の上に置いたままだった凛音の手をはね除けるようにして、貴希は立ち上がる。

「悪い……まだ頭の中が整理できてないんだ。今日は帰らせてくれ」

 そう言い残して、貴希は踵を返す。


 逃げるように去っていく後ろ姿を、追うことはできなかった。

「ご、ごめん……! 本のこと、やっぱり怒ってる!?」

 あわてて声だけはかけるが、貴希はチラリと振り返っただけで、店を出て行った。



「あー……大丈夫よ、凛音。別に怒ってないと思うわ。あれも長年こじらせてきたやつだから、すぐには受けとめきれないんでしょ。私がガツンとお灸を据えといたから、あとはしばらくほっときましょ」

 あいている席に座り込んでメニューをぺらぺらめくりながら、綾子が呆れ気味の声で言う。


「あら、この苺のミルフィーユ、かわいい。でも、モンブランも捨てがたいわね。あんたたち、なに食べたの?」

「……オレがチーズケーキで、凛音くんがシフォンケーキだよ」

 心配そうな面持ちで一連のやりとりを黙って見守っていた類が答える。

「ふむ……それもいいわね」

 悩んだ末に、綾子は結局なぜか、ティラミスタルトを注文していた。

 女子高生姿でそれをやっているのが、妙に似合っている。


「……アヤ、帰りに本屋に寄りたいんだけど、付き合ってもらってもいい? うちの近くだと、小さい本屋しかないから……」

「もちろんいいわよ。私も気になってた雑誌見たかったし」

「アヤちゃん、オレ、ほしい漫画あるんだけど、買ってよ」

 神妙な空気に包まれていた場の空気をなごませるように、砕けた口調で類も会話に加わる。


「なんで私が、息子でもない従姉弟に漫画買ってあげなきゃいけないのよ。……で、なんて漫画?」

「あの、今アニメやってるやつ。主人公が、スイカのかぶり物して戦ってる……」

「あー、あれね。あれなら……全巻セットを予約済みで、近いうちに届くから待ってなさい。私の部屋で、特別にタダで読ませてあげるわ!」

「ほんとに!? アヤちゃん、すごい!」

「だいたいねー、本屋行っても買えないわよ。一巻なんて特に。いま大人気で、ネット書店でも軒並み売り切れてるんだから」

 いつのまにか頼んでいたらしいアイスコーヒーを飲みながら、綾子はしたり顔で語る。


 眩しいような気持ちでそれを眺めていたら、綾子が振り返った。

「凛音も読む?」

「うん……タカキに借りた小説、読み終わったらね」

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