第10話
「森倉せんせー、リンネちゃん? の写真とかあんの?」
凛音のたどたどしい説明を聞き終わったあと、類は『まさかぁ』とバカにして笑うでも、気味悪がるでもなく、あっけらかんと言い出した。
「……写真?」
「実在したんだろ? どんな子だったのか見たい!」
好奇心丸出しの無邪気な類の様子に、愁はあっけにとられている。
「あるにはあるが……」
てっきり、今度家から持ってくる、とでも言い出すのかと思っていたら、愁は財布の中から古そうな写真を取り出しはじめた。
「いま持ってるの!?」
びっくりしすぎて、凛音は思わず大きな声をあげてしまった。
「これぐらいだが……」
申し訳なさそうに愁が見せてくれたのは、縁の方がボロボロになり、印刷の一部がにじんでいる、古い写真だった。
「待って、シュウちゃんがなんでこんな写真持ってるの!?」
よりにもよって、七歳の七五三の時の写真だった。
写真の中のリンネは、白地に赤い花柄のついた着物を着せられ、結い上げた白金の髪にはピンクの髪飾りがついている。
神社の境内と思われる場所で、緊張した面持ちでぎこちないピースを作っている少女の姿が映っていた。
「おばさん……リンネの母さんが、葬式のあとみんなで食事した時にくれたんだ。これが一番綺麗に撮れてる写真だから、って」
『リンネちゃんは、ワンピースでもいいんじゃないかな。その方が髪の色も映えるかもしれないし』
不意に、リンネだった頃のパパの声が耳に蘇ってきた。
『あらダメよ、こういう時は、着物が基本なんでしょう? お着物を着る機会なんてそうそうないんだし、可愛い着物を選んであげましょうよ。美容院で着付けもしてくださるっていうし、せっかくの機会よ』
柔らかな声で反論するママの声も。
いつもはパパの主張に穏やかに従うママだが、この時ばかりは絶対に譲らなかった。
着物や髪飾りを選んでくれたのもママだ。
生まれも国籍も日本なのに、いつも『ガイジンみたい』と言われていたリンネに、せめて日本人らしい祝福を受けさせようというママの気遣いだったと気づいたのは、多分、数年後のことだった。
「か、かわいい……」
横から写真を覗き込んできた類が、呆然と呟いたあと、ハッとした様子で凛音の顔をまじまじと見てくる。
「大丈夫! 凛音くんも可愛いよ!」
「どういう意味!?」
優しさでフォローしてくれたのはわかるが、どうにも無理やりな気配がする。
「ごめん、大事な写真を汚しちゃって」
愁が神妙に呟いた。
汚れているのは、ずっと持ち歩いていた証拠。
そして、にじんだ跡があるのは、もしかしたら涙によるものかもしれない。
「……シュウちゃんは、リンネのママがいまどこにいるのか、知ってる?」
「わからない。スウェーデンに帰ったんじゃないか、って話をご近所さんがしてるのは聞いたことがあるが、詳しいことはなにも……。確か、リンネが亡くなってから二年後ぐらいにいつの間にか空き家になってたんだ。そのあと、別の家族が住んでいるらしいが……」
「あ、それなんだけど、リンネの家はいま、類くんが住んでるみたいだよ」
「オレ?」
類は自分を指さし、きょとんと首を傾げる。
「うん……実は類くんの家、僕が前世で住んでた家なんだ」
真剣に告げた凛音に、類は吹き出した。
「あはは! なにそれ! どういう偶然!? アニメみたいじゃん。いや、そもそも生まれ変わりがどうの、っていうのもアニメみたいな話だけど」
軽く笑い飛ばしてくれた類につられて笑いそうになる凛音だったが、愁は口元に手を当て、なにやら考え込む仕草をしている。
「藤枝くんの家は、リンネ……来栖リンネの家族から直接あの家を譲り受けた、ということはないだろうか?」
「うーん、そのリンネちゃん? って子の話は聞いたことないけど、確かママが……アヤちゃんの紹介でいい家を格安で譲ってもらえることになった、って言ってたような……」
「アヤちゃん?」
聞き覚えのある名前だ。
でも、どこにでもいるような名前だ。
まさか同一人物だとは思えないが……。
「さっき言ってた、漫画描いてる従姉弟だよ」
「
凛音が聞く前に愁が疑問を口にした。
「なるさわ……? 鳴沢、うん、そうだったかも。うちのママはいつも『アヤちゃん』って呼んでるけど、おばさんは『あやこ』って呼んでた気がする」
「あいつか……」
苦々しそうに呟いて、愁は天を仰ぐ。
鳴沢綾子。
リンネの同級生。
いつも一緒に遊んでいた友達のうちの一人。
それが……類の従姉弟?
「えっ、なに? 友達?」
「元同級生、かな。確か、鳴沢の父親は不動産関係の仕事をしていたはずだから、家の譲渡に関わっていても不思議はない」
「アヤちゃんの家なら知ってるよ。行って、聞いてみようか?」
「鳴沢の家ならオレも知ってるが……悪い、そろそろ時間だ」
愁は休憩スペースの壁にかけられた時計をちらりと見てから、飲みかけの水を飲み干して立ち上がる。
「今日は合同合宿の打ち合わせがあるから休めないんだ。また今度な」
「ごめんシュウちゃん、忙しい時に……」
「また連絡する。暑いから、気をつけて帰れよ」
慌ただしく愁が去ったあと、取り残された小学生二人は、しばしぼんやりと黙り込んでいた。
「……買い物、行く?」
「……うん」
頷きながらも、凛音が気乗りしていない様子なのは明らかだったことだろう。
夏休みはまだ一ヶ月以上ある。すぐに貯金箱を作らなければいけない理由はどこにもなかった。
「……アヤちゃんち、二人で行ってみる?」
「行く」
今度はキッパリと凛音は答えた。
日差しが照りつけるなか、二人は川の向こうにある鳴沢宅を目指して歩き出すこととなった。
「アヤの家……全然変わってないや」
鳴沢綾子の家は、記憶のままだった。
庭に無造作に並べられた鉢植えの数は増えた気がするが、家の門から先の景色は、そのまま昔の面影を残している。
「来たことあるの?」
「うん……」
前世でなら、来たことがある。
綾子は漫画が好きでたくさん持っていたから、よくリンネは借りにいっていた。
「おばさーん、アヤちゃんいますかー?」
「まぁ、類くん、遊びに来てくれたの? あの子がこんな暑い中出かけるわけないわよ。どうせ暇してるんだから、外に引っ張り出してやって」
「いやぁ、今日はアヤちゃんに聞きたいことがあって……」
玄関に出てきたおばさんは、記憶よりも老けているように見えたけど気さくな雰囲気はそのままで、懐かしさがこみあげてくる。
部屋で綾子と漫画を読んでいたら、いつもせんべいなどのお菓子を持ってきてくれたおばさんの姿を思い出す。
「あら……今日はお友達も一緒?」
目が合って、ドキリとする。
一瞬、自分がリンネだということがバレるのではないかと思ったが、もちろんそんなことはなく、おばさんは愛想よく笑っただけだった。
「うん。学校の友達。凛音くんていうんだ」
「りんね……」
その単語には、おばさんはわずかに困ったような表情を浮かべた。
「懐かしいわねぇ。綾子の友達にもリンネちゃんて子がいたのよ。女の子だったんだけどね」
類と凛音は顔を見合わせた。
「そうなんですか」
凛音は曖昧な笑みを浮かべることしかできなかった。
それ以上話は盛り上がることなく、二人は綾子の部屋に案内される。
綾子の部屋は六畳の和室で、壁には本がぎっしり詰まった本棚がいくつも並んでいる。
さらには、棚に入りきらなかったらしい本の一部は、床に積み上げられていた。
「……あのねぇ、お母さん、私、暇じゃないのよ。いま、原稿中」
机に向かっていた綾子が億劫そうに振り返る。
伸びた前髪が顔にかかっている。さらに、眼鏡のレンズが光を反射して綾子の表情は読めなかったが、不機嫌そうな声だというのはハッキリわかった。
「ご、ごめんなさい……」
「えっ、なにその美少年……!」
おそるおそる謝罪の言葉を凛音が口にすると、従姉弟以外のお客さんがいることに気づいた綾子がパッと立ち上がる。
「類くんの友達。凛音くんだって」
「リンネ!?」
ずんずんと目の前までやってきた綾子は、眼鏡をはずすと、まじまじと凛音の顔を見つめてくる。
「あの……その、リンネのことで、聞きたいことが……」
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