第4話


「……嘘でしょ?」

「ごめん! 松山さんが胃腸炎で倒れちゃって、急にピンチヒッター頼まれて……凛音、一人で森倉くんのところ、行ってきてくれる?」


 翌日。つまり、愁に会いに行く約束をした日、一緒に行く予定だった母が、急に行けなくなったと言い出した。

 なんでも、自治会のイベントで運営の仕事をする予定だったご近所さんが急病になったとかで、代役を頼まれたらしい。


「お礼が言いたいって言ってたのはあんたでしょ? お菓子を渡してありがとうって言うだけでいいから。凛音ももう小学一年生だから、それぐらいできるわよね?」

「…………」

「市民プール、この時間だと電話が繋がらないのよ。予定の変更を伝えることもできないから、行くしかないわ」

 愁の家の電話番号なら知っている。前世で何度も電話をかけていたから、覚えている。

 でも、それを今の母に伝えることはできない。


「それじゃ、行ってきまーす!」

 言葉を探して黙り込んでいる間に、母は慌ただしく出かけていってしまった。


 現在の時刻は朝の七時。

 市民プールがあくのは九時で、愁と待ち合わせの約束をしているのは八時だ。

 あと一時間しかない。

 プールまでは、徒歩十分ぐらい。


 凛音はまだ寝起きで着替えてもいないけど、パンを食べるぐらいの時間ならあった。


(どうしよう。なにを言えばいいんだっけ?)

 とりあえず、この間助けてもらったお礼を言って、それから……?


『リンネだよ。シュウちゃんならわかってくれるよね……? 生まれ変わったら男の子になっちゃったけど、また仲良くしてね』

 そう無邪気に言えたなら、どんなによかっただろう。

 この間、再会した時は、まわりに人がたくさんいたからゆっくり話すこともできなかった上、『また会えた』という凛音の言葉に愁がなにか反応を返す前に、凛音は半泣きの母に抱きつかれて、それどころではなくなってしまったし。


 洗面所で顔を洗ったついでに、鏡に映った今の自分の顔を見る。


 黒髪の男の子が映っていた。

 顔はそんなに不細工じゃないと思うけど、特別可愛いわけではない。

 リンネとは似ても似つかない。別人だ。

 そもそも性別が違う。


「待って、もしかして、男の子じゃ、シュウちゃんと結婚できない……?」


 生まれ変わって再会できたなら、今度こそシュウちゃんに告白して恋人になって、いずれは結婚できたらいいな、と考えていた。


(日本の今の法律って、どうなってたっけ……?)

 少し前にテレビのニュースで、同性婚がどうとかやっているのをチラリと見た気がするが、その時は記憶が戻っていなかったので、気にもしていなかった。


「ていうかシュウちゃん、いくら中身がリンネでも、体が男の子なら付き合うのとか無理だったりして……?」


 差別を嫌う愁のことだから、たとえば友達で同性しか好きになれないとかいうタイプの人間がいたとしても、偏見を持ったりせずに普通に接してくれると思うけど、自分が当事者になるのは話が別だろう。


「そもそもシュウちゃん、もうすでに彼女がいたりして……?」


 愁は昔から優しくて人気があった。

 成長して逞しさが加わり、さらにカッコよくなっていたから、彼女の一人や二人ぐらいいてもおかしくはない。


「リンネ、死んじゃったんだもんね。しょうがないよね……」


 忘れてほしくない。

 でも、愁にとって、来栖リンネは死んだ人間で、二人の思い出も過ぎ去った過去でしかなく、仮にもしあの頃、愁もリンネのことを好きだったとしても、十年たった今もなお好きでい続けることを強要できる者など、誰一人としていないのだ。


「でも、もし恋人がいなかったら、僕を恋人にしてもらおう」


 絶望的な気分にさらされた凛音だが、これぐらいのふてぶてしさがなければ、生まれ変わってまで好きな人に会いに来たりしない。

 なぜだか、逆に燃えてきた。


「よーし、この間買ってもらったおしゃれな服着ていこ!」

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