あやかし喫茶の縁結び

佐倉海斗

第一話 墓参りは姉弟の縁を結び直す

01-1.山田家の墓参り

 人々は交通の便が良い都会に流れ、田舎は置き去りになっている。


 お盆の時期になれば墓参りをするものだと考える人も減り、昔からこの地域にある墓の中には何年も放置されているものもある。


 ……どれほど経ったか。


 それらを横目で見ながら、時代を逆流しているかのような和服に身を包み、女性が好むような艶やかな色合いの和傘の柄を肩にかけ、手には色合い豊かな菊の花束を持つ青年がいた。


 青年の額には二本の角が生え、固く閉ざされている口の中には鋭い牙が生えている。青年――、伊織は、人ではなく、あやかしと呼ばれるものだった。


 その中でも特徴的な見た目を持つ鬼である彼には人であった頃の記憶がある。


 あやかしたちの中では人であった頃の名残として人型を保つ者も少なくなく、年月と共に薄れていくとされている当時の記憶を慈しみ、墓参り等といった人独自の風習を愛する者もいる。伊織もその一人なのだろう。


 ……随分と寂れたものだ。


 目的である墓の前に立ち、懐かしそうに眼を細める。


 あやかしとなってから視える景色が変わったことに気づいたのはずいぶんと昔の話だ。人ならざる者たちは人々の目には映らないだけであり、昔と変わらない生活を営んでいる。中には現代の文化に刺激を受け、新たなものを生み出しているあやかしもいる。


 伊織の目には墓に腰をかけている人の姿が視えた。


 それが人でもなく、あやかしでもないことは伊織が誰よりもよく知っている。


「ただいま、母さん」


 それは黄泉路に旅立つ間際、この世に残されてしまった未練の一部だ。


 多くの人々の目には映ることもなく、あやかしの目には映るものの、その声が届くことはない。


「今年も来たよ」


 本来ならば時期早々に消えてしまうような力の弱いものだった。


 それを黄泉路に送り届ける仕事がある。


 人の身でありながらも、人とは思えない異常な力を生まれ持った者たちの生業だ。あやかしの一部も同じような仕事を担う者たちもいる。


「菊を持ってきたんだ。好きだっただろ?」


 数十年前ならば、はっきりと視えた表情も今ではぼやけてしまっている。


 それでも、墓に座っているのは伊織の帰りを待っているからなのだと、伊織は知っている。だからこそ、毎年、この日には墓参りをすると決めていた。


 それは伊織が人であった過去に縛り付ける鎖のようなものだった。


 それを愛おしく思うのは伊織の心の中に人間らしさが取り残されている証拠なのだろう。


「父さんの好きだった酒も持ってきたんだ」


 あやかしとして生きる彼が生きる道を苦しいものにするだけの人だった頃の名残を味わうかのように伊織は墓参りを欠かさない。


 いつの日か、伊織が墓参りを止める時が来るのだろう。


 それは伊織が人であったことを忘れ、あやかしとして生きる道を選んだ現実の先に待ち受けている逃れることはできない運命だ。


 ……今年は先を越されなかったのか。


 山田家と彫られた墓石を撫ぜる。


 苔はついていないものの、墓石の周りには小さな草が生えており、最近は手入れがされていないことが伝わる。毎年、この日になると綺麗に手入れがされている。


 それは山田家の墓を熱心に掃除している人が生きている証拠でもあった。


 ……それとも、死んだのか。


 あやかしとは異なり、人間は百年余りの寿命しか生きることはできない。


 昔と比べると長生きの傾向があるとはいえ、百歳を超えても元気に動き回っている人は少ないだろう。


 ……人は呆気ねえもんだ。


 伊織は花立てに菊の花を入れ、静かに手を合わせる。


 かがみこまないのは、すぐに離れることができるようにする為である。


「アンタ、山田家の墓になんか用かね」


 その声に驚き、反射的に左隣を見てしまう。


 色鮮やかな花束と墓石にかける水桶を持った老婆の目は冷たいものだったが、伊織の姿をはっきりと認識をしていた。数回、瞬きをした後、老婆は驚いたような表情に変わり、水桶から手を離してしまった。


 地面に落ちた水桶は横に倒れ、水が零れてしまっている。


 そのことに気づいていないのだろうか。


 それとも、それどころではないのか。


 老婆は迷うことなく伊織の腕を掴んだ。


 ……生きていたのか。


 この時点で伊織はこの老婆が誰であるのか、察していた。


 ……俺が視えるようになっちまったのか。


 数分前には寿命を全うしたのだろうと思ってしまった相手だ。


 七十年前、一方的な別れとなった彼女は生きていた。黄泉路を歩んでいたとしても、おかしくはない年齢の老婆はしっかりとした自分の足で立っている。


 この七十年間、一度もその目には伊織の姿が映し出されることはなかったのだが、今は、震える手で伊織の腕を掴んでいる。


 ……いっそのこと怯えてくれたらいいものを。


 その目には恐怖はない。


 その目には涙が溜まっている。


 ……どうして、泣きそうな顔をするんだよ。美香子姉さん。


 簡単に振り払うことができる枯れ枝のような手だった。


 皺が増えた顔は泣きそうな表情のようにも、怒っているようにも見える。


 ……振り払えないじゃないか。


 目の前にいる伊織のことを認識しつつ、ありえない現実に戸惑っているのだろう。


 それならば、これは夢を見ているだけなのだと現実に突き飛ばしてしまうことが老婆、山田美香子の為なのだとわかっていながらも、伊織は動けなかった。


「はは、今にも死にそうな婆さんがなんのつもりだ?」


 その変化は切ない別れを意味しているのだということも知っていた。


 はたして、上手く笑えているだろうか。


「墓荒らしでも捕まえようとしたか? それとも、想定外の化け物が相手で声も出ないか。なにか言ってみたらどうだ」


 伊織の腕を掴んだまま、状況を理解していない美香子は姉だった。


 伊織が人として生きていたのは、彼のような不可思議な力を持つ者は人型兵器として扱われるのが当然だった時代だ。


「生き抜いたアンタを恨んで化けて出たように見えるか?」


 今の時代では考えられない酷い待遇だった。


 科学では証明できない不可思議な力を持つ人は存在する。その力を表現する言葉は多くあり、どれもが的を射ていない言葉だった。


「役目を果たせないままに行方をくらましたろくでなしに見えるか?」


 伊織は笑ってみせた。


 呆然とした顔をしながらも、手を離そうとしない美香子が言うはずもないもとわかっているような台詞を口にする。


「その枯れ枝のような腕じゃあなにもできねえだろ。婆さん。俺を捕まえてなんのつもりだ」


 悲しき時代を共に生きた美香子は伊織のことを忘れなかったのだろう。


 時代に翻弄され、行方知らずとなった弟のことをろくでなしと思っていたのならば、どれほどに良かっただろうか。


 軍によって告げられた形だけの死を受け入れられたのならば、美香子の心に重荷を背負わせることはなかったのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る