第15話 なんか、男同士って羨ましいです
「海斗、ちょっといいかな? 話したい事があるんだ。屋上、来れるかな?」
次の日、僕は昼休みに海斗のいる教室を訪れた。
五花には、海斗と屋上で話すつもりだと言ってある。まあ五花自身は、来たかったら来るだろう。いずれにせよ、おそらく悪い事にはならないはずだ。それくらいには、僕は今の五花を信じられていたし、海斗の事も信じていた。
「卓か。いいよ、行こう」
海斗はうなずいてくれたので、二人でそのまま屋上へと向かっていく。
こうしていると、海斗は全然普通で、全く病気であるという素振りも見せない。
とても一般的にイメージされる余命2ヶ月とは思われないような姿だ。そういう奇病、という事なのだろうが。
僕たちは無言で歩いていたので、そのまま無意識のうちに思索が進んでいく。
どうして海斗は、五花に絵を描いてほしいんだろう。
どうして五花と絵を描きたいんだろう。
僕がまず考えないといけないと思ったのはそこだった。
幼い頃に憧れた絵の作者が五花で、自分の彼女である。
しかしその彼女は今、絵を辞めている。
どうやら彼女には絵にトラウマがあるらしい。
そんな状況で、その彼女に無理に絵を描かせようとするなんて、なんだか海斗らしくないと、僕はそう感じたのだ。
五花が怖がって断るのは、正直言って当たり前の範疇だろう。
しかし状況を複雑にしているのは、海斗の寿命が実に2ヶ月しかない事だ。
これについては、僕自身未だに実感が湧いておらず、感覚が麻痺している中で、ひとまず五花の問題として取り扱って対処しようとしているというのが正直なところだ。
僕自身、この問題に向き合うのは、怖いのかもしれない。
いや、普通に考えたら怖くて当たり前だろう。
ただ僕は、昨晩高まった五花の事を想う気持ちをばねに、なんとか問題を解決したいというエネルギーで、こうして海斗と話す勇気を出しているに過ぎない。
そんな事を考えているうちに、僕たちは屋上に到着した。
昼休みの屋上は、普段は点々と生徒達の姿があるものだが、今日は端っこのベンチに一組のカップルの姿がある以外、人の気配は無かった。
僕は屋上の入り口がある建物の横に回り、そこにもたれかかるようにして座った。海斗もそれに倣い、僕の横に壁にもたれかかって座る。
「話っていうのは?」
僕はそう聞いてくる海斗を、できうる限りの真剣さが伝わるよう、真っ直ぐに見つめて、こう話した。
「なんというかさ、海斗と僕の間には、言ってなかった事がお互いにあると思うんだ。それをまず、僕の側から話させてほしい」
「……言ってなかった事? たしかに僕の側にはあるけど、卓の側にもあるのかい?」
「ああ。すごく大事で、シリアスな話だ」
「わかった。聞かせてほしい」
「僕は、中学時代、五十鈴五花と付き合っていた事があるんだ」
「……!」
「だから僕は、あの女がどういう女かという事を、たぶん海斗が思っているより良く知っている。もっとも中学時代の僕自身が未熟すぎて、僕たちは比較的すぐに別れたんだ。海斗と五花が付き合うようになったのは、おそらくその後だ。だからこれについて、それ以上言う気はない。だけど……」
「……続けて」
「僕の母親と、五花の父親が、この春に再婚したんだ。だから、五花と俺は、今同じ家の、隣の部屋に住んでいる。その関係で僕は、昨晩、お前と話した後の五花に相談を受けて、あらかたの話を知ってしまった」
「……ははっ、そっか。知っちゃったか。それじゃ、僕の側の秘密については、改めて話す必要もないね」
「……最初に聞きたいのは、なぜ? って事だ。なぜ海斗は僕にその余命について話してくれなかったんだ? 僕はこれでも海斗の事を一番大事な親友だと思ってるし、なんなら好きな彼女だった事のある五花よりも大事かもしれないと思ってる。正直言って、裏切られたって感じた。余命短い病人の事を責めたくもないけど……どうしてなんだ? 聞かせてほしい」
「……うん。それはね、一言で説明できる。これを言うの自体もそうなんだけどさ。僕は単に怖かったんだ。怖くて、怖くてしょうがなかった」
「……そう、なのか」
「死ぬのも怖いし、死ぬことを卓に言ってどんな反応をされるのかも怖かった。僕はね、本当は卓が思っているような立派な人間じゃないんだよ。僕は、絵とかの分野では評価されているかもしれないけど、人間としては卓の方がずっとすごい奴だと前から感じていたんだよ」
「なにを馬鹿な事を! 海斗は凄いじゃないか! 格好良くて、センスがあって、良い奴で、優しくて、才能もあって! 非の打ちどころがないと、僕の方こそずっと思っていたよ! 僕なんかより、明らかにすごい奴だ!」
「ふふ……まあそう見えてるのは分かってるんだ。でも内情は違う」
僕は、これが、海斗の内奥の核心に踏み込んだ、本当に大事な話になると直感し、覚悟を決めてから続きを聞いた。
「僕はね。小さい頃から、いい子でないといけないと思っているから、いい子でいるだけだったんだ。絵の上手い子でいないといけないから絵を練習する。人に優しくしないといけないから、人に優しくする。僕の根っこにあるのはね、そんな、とっても幼い、未熟な、どうしようもない下らない自我なんだよ」
それは、僕自身全く予想もしていなかった話で、僕は大変に驚かされた。
思わず目を見開いて、海斗を見つめ返してしまう。
「でもさ、そんな僕が、絵に関してだけでもそこから脱出できたきっかけがあるんだ。五花の絵を、この眼で見た事だ。絵を見て、そこに秘められた、途方もない自由への渇望のようなものを、ありありと表現された自由そのものを、感じた事なんだ……」
海斗の表情は、どこか恍惚として、その時の感動を、ありありと脳裏に蘇らせている事が読み取れる表情をしていた。
「僕は、本当に、心の底から震えあがっていた。凄すぎて、理解不能だった。こんな絵が、僕がそれまで義務感だけで描いてきたくだらない絵画と同じ土俵に立った先にあるなんて、信じられなかった。しかもさ、この絵の作者は、僕と同い年の一人の女の子だっていう。僕はそんな自分と同じくらい幼い女の子に、文字通り人生を塗り替えられたんだ。この衝撃っていったら、この先短い事が定められてしまった僕の人生全部の中で、間違いなく一番のものだった」
「そうか……それは、本当に尊い事だし、五花がそれを成し遂げた事も、素直にすごいな……でもそれが、今の五花に絵を描いてほしいという思いにつながったのは、どういう?」
僕がそう問いかけると、海斗は、何か痛みをこらえるような表情で、全てを理解したように苦しそうに答えた。
「ああ、そうだよね……卓は賢いから、そこに秘められた僕の未熟さに、当然気づいていると思う。それはたぶん卓の想像通りだ。僕はね、この不自由な自我に囚われたまま死ぬ事が、このまま人生の意味も見つけられずに死ぬ事が、途方もなく怖くってさ。怖くって、怖くって、もうなりふり構っていられなくなって、手段を選ばず、ただ必死に、五花にお願いしただけなんだ。またもう一度、あの素晴らしい感動を僕に与えてほしいって。僕のこのくだらない醜い心を救ってほしいって。僕にあるのは、そんなダメダメな利己心だけさ。僕は本当にくだらない人間なんだよ。卓、本当ならキミのような美しい心を持った男と並び立つ資格もない……ただ、絵が上手いというだけで、キミに絵を教える事で、存在価値を保っているだけの、くだらない……」
「……次、自分の事をくだらないって言ったら、僕は海斗、お前を殴るぞ。ぶん殴る。病人だろうがなんだろうが」
僕の言葉は、思わず口をついて出てしまった、何も考えていない直情的な言葉だったが、思いのほか海斗には響いたようで、海斗はハッと目を見開いて感情を動かされた様子を見せた。
「卓……でも、僕は、本当にそう思って……」
海斗が何か言葉を返そうとした次の瞬間、もたれかかっていた
「……海斗くんの今話してくれた赤裸々な本音、大好きなわたしにも全然言ってくれなかったのに、たっくんには話しちゃうんですね。なんか、男同士って羨ましいです。よいしょ……」
どうやら先んじて屋上の入り口がある建物に登って待機していたらしい五花が、そんな言葉を発してから、壁に設置された梯子をミニスカートを靡かせながら降りてくる。
少し桃色の下着が見えてしまっていたのを、海斗は顔を赤らめて視線を逸らす。僕も、それに倣って、慌てて視線を逸らした。
「ふぅ……女の子がこんなところ登るもんじゃないですね。さて、話は聞かせてもらいました。ここからは、わたしも男同士の友情トークにお邪魔させてもらいますね? たっくんに……海斗くんも……いいでしょうか?」
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