第4話 五十鈴五花という少女について

 前からたっくんは不思議な雰囲気を持った男の子だと思っていました。


 美術部に所属する朝森海斗という男の子と親友らしく、よく二人でマンガやアニメ、イラストなどの話をしているたっくんは、一見すると普通のオタクっぽい男の子です。


 わたしが近づいた時の反応も、普通。

 挙動不審になって、テンションが上がって、緊張して、ドキドキしてくれます。

 男の子の中でも、分かりやすい方なくらいです。


 でもたっくんは、わたしがそうやって心の中でたっくんの事を上から見下ろすように見つめていると、そんなわたしの瞳を覗き込んできて、まるでわたしと同じステージまで上がろうとしてくるような、そんな感じがします。


 そういう目をされるとき、わたしは落ち着きませんでした。


 自分のこの醜い本性が、バレているのではないかと不安だったのです。


 自分の良さをパラメータで表すとすると、わたしのパラメータは、顔の良さとか胸の大きさとか、そういう所に全振りしてしまっていると、わたしは思っています。


 もちろん普段は性格も魅力的な女の子であろうとしているつもりですけど、残念ながらそれは演技ですからね。


 もっとも、こんな演技も見抜けない馬鹿な男の子たちを騙して弄ぶのは、いまだにすごく楽しくて、なんというか、自分の中の欠けた何かが、その瞬間だけ埋められるような、そんな感覚を覚えます。だからやめられません。


 だけどもたっくんは、そんなわたしの欠けた何かがある穴まで、見通してくるような目を、時々してくるのです。


 河原で話した時は、特に不思議な感じがしました。


 普段だったら絶対話さないような、わたしの、わたしだけの内面を、たっくん相手だと不思議と話してしまったのです。


 あれは何だったんでしょう。


 正直言って、自分が分かりません。


 だからわたしは、そんなたっくんに、内心苛立っていて……


 普通の男の子より念入りに、たっくんがわたしにメロメロになるまで、誘惑し続けました。


 その甲斐あって付き合うようになってからは、付き合っているという状態を活かして近距離で甘く囁き続ける事で、たっくんは完全に堕ちてしまいました。


 たっくんは自分の性欲ばかりに夢中になって、それを晴らす方法しか考えられなくなっているようでした。


 たっくんは必死に、わたしに懇願するべきか、内心で葛藤しているのがありありと分かりました。


 そんな様子を見て、わたしはようやく、たっくんという良く分からなかったモノを支配した、と思いました。


 それは一種の達成感を伴う体験でしたが……


 同時に、わたしは自分が酷く失望している事を感じていました。


 いったい、なぜ?


 それは、その時のわたしには分からない事でしたが。


 もしかすると、わたしはわたしの中で、たっくんという存在に、何か可能性を感じていたのかもしれません。


 わたしの中に幼い頃から潜み続けるこの闇を、見事な手法で晴らしてくれるような、そんな可能性を――


 だけどもたっくんは、しょせんは普通の中学3年生の男の子に過ぎず、どんなに分かったような目をしていても、しょせんは性欲に勝てない愚かな男の子である事が証明されてしまいました。


 ――わたしはたっくんに、性欲に負けないでほしかったのでしょうか。

 わたしの魅了に負けず、わたしのいるこの暗闇まで、辿り着いてほしかったのでしょうか。


 正直言って、それは分からないです。


 分からないですが――


 わたしの浮気の証拠を発見したたっくんが、わたしにそれでも従い付き合うと言った時、わたしは確かに、言い知れぬ黒い快感を感じていて――


 わたしは宣言通り、その日の夜、たっくんでオナニーしました。


 想像の中で、たっくんは優しい表情ながらも、わたしの全てを見通すような目をしてわたしを責め、それは大変興奮したのですが――


 わたしが本気で誘惑すると、たっくんは結局は性欲に負けて、猿のようにわたしを犯してしまいました。そう想像したとき、わたしは自分の中で何かが冷めるのを感じて――


 わたしは、その見通すような目を続けてほしかったんだと、ようやく気づきました。


 だけどもわたしにたっくんがその目を向けてくれる事はついぞなく――


 たっくんは完全に余裕を失い、わたしのされるがままになってしまいました。


 たっくんを操り人形にするのは、最初は楽しかったですが、段々と飽きてしまいます。


 だから、わたしがたっくんに別れを切り出したのは、自然な成り行きだったと思います。


 そんなわたしに、何かを酷く諦めたような表情で、ごめんなと謝るたっくんは――


 なんだか私の心まで、酷く痛ませましたが、その痛みをわたしは無視しました。


 これでもわたしは、自分の事を真正のクズだと思っています。


 クズだからこそ、自分の快感には正直に、クズらしく生きていこうというのがわたしの人生方針なのです。


 そうして、それからしばらく、クラスメイトのたっくん以上につまらない男の子たちで遊びながら退屈な日々を過ごしていたわたしでしたが――


 ある日、たっくんの親友である男の子、朝森海斗くんが、一人で重そうな荷物を運んでいる場面に出くわしました。


 わたしは優等生の仮面を被って、海斗くんを助けます。


 ついでにべたべたとボディタッチをしてみると、海斗くんは顔を真っ赤にして照れていました。なんだか可愛いな、と悪戯心が芽生えました。


 そうですね。


 次は友人同士、セットで堕としてみるのも面白いかもしれません。


 たっくんには何か可能性のようなものはあった気がしましたし、もしかしたらその親友であるこの可愛い男の子にも、何か可能性はあるのかもしれないです。


 そう思うと、退屈が紛れそうな、そんな予感がしました。


 だから、わたしは――


「海斗くん。わたし、海斗くんと一緒にいると、なんかほっぺたが熱くなってきちゃうんです。これなんでですかね? なんでだと思います?」


 そうやって意識させ――


「ねぇ、海斗くん。こうやってくっついてると、なんだか楽しいですね。海斗くんは嫌ですか? え、嫌じゃないです? そうなんですね。ふぅん」


 胸の谷間を見せつけながら密着する事で、性欲を喚起させ、その興奮を恋心と錯覚させていきます。


 そうしているうちに、たっくんの親友はあっという間にわたしにメロメロになってしまって――


 告白してきたので、たっくんと同じ条件をつけて、付き合う事にしました。


 だが、付き合う事にしてから、気付いた事があります。


 彼の家には、美術部員らしくたくさんの絵が飾られていて、その多くは彼自身が幼い頃から描いてきた絵なのですが――


 その絵が、無性にわたしを苛立たせるのです――


 わたしは、出来ればその理由を最後まで見ないようにしたかったです。


 けども、さすがにわたしも馬鹿ではないので、気付いてしまいます。


 わたしは、海斗くんの事が羨ましかったのです。


 ――嫉妬、してしまっているのです。





 ――わたしはかつて、絵画というジャンルで、天才少女と呼ばれていた事がありました。


 わたしは幼い頃から、特に母親の強い期待を感じながら絵の英才教育を受け、複数の絵画コンクールで賞を取っていました。


 当初、わたしはすっかり天狗になっていました。

 自分は才能があるのだ。

 自分の絵は、母親や、父親や、周囲の大人たちを喜ばせる力があるのだ。


 そんな考えが、わたしの心をどんどん浮足立たせていきます。


 ですがそこまではまだ幸せな方でした。


 わたしの考えは、儚い幻想にすぎませんでした。


 いつしか、際限なく高まり続ける母親の期待と圧力が、だんだん物凄い負担になって、わたしの上に圧し掛かっていきました。


「そんな絵を描いちゃダメっていってるでしょう! そんなんじゃコンクールの人たちは喜ばないわ! もっと壮大で、芸術的で、子供らしさも演出した、そんな絵を描かないと!」


 わたしは自分のやりたい絵を描こうとするだけでとことん罵倒される環境の中で、社会に受ける絵、大人に受ける絵、コンクールで受ける絵というものを学ばされ、強制されていきます。


 それでもわたしは、描き続けました。

 幼いわたしは、母親に認められたかったのです。

 母親に、少しでいいから愛してほしかったのです。


 ああ、そういえば結局この人は最後まで愛しているとは言ってくれなかったな……


 それでもわたしは、描いて、描いて、描き続けて――


 ある日、限界を迎えたわたしの精神は、彫刻刀を持って、今まで描いてきた全ての絵画をズタズタに切り裂いてしまいました。


 それを知った父親は、それまで仕事が忙しく、あまり家庭に携わっていなかったのですが、わたしを愛する気持ち自体はあった事から、母親に激怒しました。

 

 二人は離婚する所まで行きつき、父親はどういう手法を使ったのか、親権まで勝ち取ってしまいます。


 わたしは絵を辞めて、平穏な暮らしを手にしたかに見えましたが、しばらくの間、わたしは自分のやりたい事をやる事に強いトラウマを感じ、人が喜ぶ事、人からやれと言われた事だけをやろうとする、そんな惨めな生き物に成り下がっていました。

 わたしは強い力に従う事が習慣になっていたのです。

 わたしは力を恐れ、その影響下に存在している事だけに安息を見出す子供に成り下がっていたのです。


 学校ではいい子のフリをして、先生の言う事を積極的に推進していく。そんな哀れな子供が、わたしでした。


 そんなわたしの転機が訪れたのは、小学六年生の時でした。

 その時、徐々に周囲が異性に関心を持ち始める空気の中、自分の事を好きだという男子に、わたしは告白されました。

 わたしはその男子の事が、特に好きではなかった事から、気まぐれでその男子にいじわるな命令をしてしまいます。


「わたしの事、好きなんですね。だったら、その大好きなカード、そこから投げてみてくださいよ。そしたら、付き合うか考えてあげます」

 

 そこは開放された小学校の屋上でした。眼下には一段下がった広場に置かれた貯水タンクの水面が広がっています。


 ――普通に考えたら、やるわけがない状況です。


 わたし自身、当初は断る言葉の代わりとして、そんな意地悪を言っていたつもりでした。


 ですが――

 驚くべき事に、その男子は、わたしの言葉にそのまま従ってしまい、小学生のお小遣いでは高額な部類に入るトレーディングカードのデッキを、貯水タンクに投げ落としました。


 その瞬間――

 わたしが受けた衝撃は、どれほどのものだったでしょう?

 

 ――そのときわたしが感じていたのは、紛れもない性的快感でした。


 力があれば、人を従わせられる。

 そして異性から見たときの自分の魅力というものは、すなわち力なんだ!


 それを自覚してから、わたしは変わりました。


 中学に入っても、絵画への未練のようなものはありつつも、絵画を描こうとはしないわたしは、美術部には怖くて近づけませんでした。


 部活は無難にバドミントン部を選びます。

 ほどなくして部活の先輩に告白されて試しに付き合う事になりました。

 

 それは実験と人間観察を兼ねていました。

 

 その中で、わたしは興味本位に始めたゲームをきっかけに、男を性的に弄ぶ事を覚えていきます。

 そうした中で、わたしはその先輩の心理を完全に掌握し、支配しました。

 わたしの性的ないじめのせいで、勉強に全く集中できなくなった先輩は、見事に受験に失敗します。

 その先輩は、家が貧しい事から私立高校には進めず、中卒として働き始める事になってしまいました。


 さらに、そんな先輩をこっぴどく振ってみると、先輩は人生に絶望して、貧しいのに仕事をやめて引きこもりになってしまいました。そんなの近いうちに死ぬしかなくなるだろうに、なんとも可哀想な事です。


 これは、わたしにとって新たな驚きを与える出来事でした。


 自分に他人の人生をこれほど左右するまでの力があるなんて思ってもみなかったのです。


 同時に、わたしは自分の事を、本物の、真正のクズなんだと、正しく認識しました。


 それは一種の新たなトラウマにもなりましたが――


 わたしはクズらしく、快感を追い求めて生きていこうと思いました。


 それからわたしは、クラスメイトの男子たちと複数浮気をして遊ぶ事を覚えました。


 そうして女王様を気取っていると、なんだかウキウキするような楽しさを感じる事もありましたが――


 結局の所、海斗くんの描いた見事な絵画を見るだけで、その楽しさは儚くも消えて散ります。


 海斗くんは、正しく天才でした。


 かつて挫折したわたしの、その真っ直ぐ進んだ遥か先にいる男の子でした。


 その事を思うと、わたしはこのたっくんの親友こそ、もっとも念入りに堕とすべき、最大の敵ではないかとも思えました。


 わたしがこのたっくんの親友を支配する時、きっと普段では得られない強い快楽が得られるに違いありません――


 そんな気がして――


 ふふっ――


 幸い、もうすぐ受験がある。


 この絵描きの少年は、わたしより頭がいい。


 だから、わたしはまずこの少年の成績を落としてやろうと思いました。


 それで、わたしが進学する高校と同じ高校に進ませるとか、楽しそうじゃないだろうか。


 そうと決まれば――


「ふひひ……」


 わたしは一人部屋の中で、そんな根暗な笑みを浮かべます。


 それは一人でいる時にしか見せない、わたしの本質が出たような、そんな醜い笑みでした。


 そうしてわたしは考えます。


 絵描きの少年で、どのように遊んで、どのように誘惑し、どのように堕落させるのか――


 そうしてそんな楽しい思考がふと、こんな風に発展する。


 ――これを知ったとき、たっくんは何を思うだろうな……


 たっくんは、この親友の事を心から大切に思っているようだった。


 そんな親友が、自分が恋い焦がれた少女に誘惑され、堕落させられていると知った時――


 たっくんは果たして、どんな感情を、どんな思考を抱いてくれるだろうか――


 そう思うと、わたしはより、この絵描きの少年を堕落させるのが楽しみになった。


 そうだな、絵を描くのもおぼつかないくらい、メロメロにしてあげよう。


 いや、誘惑に絵を絡めてみるのも、面白いかもしれない。


 考えていると、色々夢は広がりました。


 だから――


 わたしはこの夜遅くまで自分しかいない家の中でも、寂しくはないのです。


 この孤独は、わたし自身の挫折と、心の闇がもたらしたものだから、そもそも自業自得なのです。


「うぅ……うぅう……」


 ――突然、発作のように、辛さがやってきました。


 だがそれを収めてくれる存在は、他に何もありませんでした。


 そう、何もないのです。


「うぅ……うぅううう……うぅううううううううううううううううう!」


 わたしは苦しみました。


 まるで一人で神様に罰を与えられるように、苦しみました。


 だが誰もいません。


 誰もいないのです。


 寂しい。


 寂しいです。


 寂しいよぉ!


 そう叫びたくなりますが、その愚かさは自分が一番よく分かっています。


 その寂しさの果てに――


 わたしはふと、たっくんの笑みを幻視しました。


 たっくんは透き通るような微笑みを浮かべて、わたしの全てを見通すような目で、優しくわたしを見つめてくれています。


「ははっ……」


 わたしは、なんだかおかしかったです。


 こんな意味の分からないイメージで、自分が楽になっているのが、一番おかしかったです。


「たっくん……また遊びたくなってきたなぁ」


 少し元気を取り戻したわたしは、そう強がるような言葉を口に出します。


 そうする事で、わたしは、自分が、自分らしくいられるような、そんな気がしました――


 だから――


「父さんな、再婚する事にしたんだ」


 それから月日が経ち、高校に入学するのと同時、そんな突然の知らせと共に引っ越しをする事になり、そうして増えた同居人の顔を見たとき――


 わたしは、思わず笑っていました。


「ふひひ……」

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