第16話 椿 1

 ぽとり、と椿が落ちた。

 私は相も変わらず殿上童をしている。


 蓮の季節からもう三カ月は経つだろう。


 猩猩が出る原因がわかっても、斎宮を決めるには時間がかかるからだ。

 現状は西郷の姫君が筆頭候補らしい。


 神祇官じんぎかんでは、他にも斎宮の候補がいないかと探しているが……その中に私はいないからだ。

 南雲の家から名前が消されたのが痛かった。


 いや、消されたことは別に良い。そこは気にしたところで意味がないから。

 それに私には斎宮になるのに知識が足りない。


 蘇芳様にお願いして、斎宮になるべく勉強をしているけれど……今のままだと斎宮の側仕えになる試験に受かるかどうか。


 今の私は、ただの燕。それ以上でもそれ以下でもない。

 斎宮の側仕えになる試験を受けられれば、斎宮に必要な才も見てもらえる。


 主に、この国に結界を張れるだけの力があるのかどうかが。

 早くしないと母の結界は消えてなくなってしまうだろう。でも周りは皆、慌てるなという。


 結界が危ないと知っている帝様ですらそうなのだ。焦ってもいいことはないと、それはそうなのだけど……結界は大事なものなのに。


 どうするのが正解なのかわからない。でも今の自分が未熟なのもわかっている。だからこそ帝様は私が焦らないようにというのだろう。


 それに――――あの日から、帝様はなぜか暁を使って私の元へ文をくれる。


 おかげで知り合いだと思われずに暁に会えるのはよかった。

 どうして暁が持ってくるのかはわからない。暁も頼まれたから、としかいわないし。


 だけど説明するときは大変だった……


 そういえば待ち合わせ場所決めてないな? と思いだしたときには、暁が蔵人所に来てしまったからだ。


 しかもまだ蘇芳様がいたし。蘇芳様の縁者だといった手前、蘇芳様に何も話さないわけにはいかないし……二人が対峙した瞬間、胃の腑がキュッと音を立てた。


「どうも、東郷暁です。こちらの紫という殿上童に文を持って参りました」

「紫に?」

「ええ。さる方から、頼まれたのです」


 ちょうど入り口近くにいた初馬様が対応し、初馬様がチラリと私を見る。私はそのさる方、といういい方に旭を思い浮かべた。


 もしやもうバラしてしまったのだろうか?

 会いたいとか、そんな内容の文だったらどうしよう。旭とは会いたくない。会うわけにはいかない。


 グルグルと色々な感情が頭の中を巡る。すると側にいた蘇芳様が立ち上がり、暁の元に行く。


「えっと……ごめんね。東郷の子だよね。そのさる方って誰かな? 場合によってはお断りさせていただかないだから」

「藤の宮様。私は紫に、と文を預かりました。藤の宮様にお相手の名前をお伝えするわけにはまいりません」

「でもあの子の保護者は僕だから。それにねぇ……紫に、といいつつ実際は僕宛の文だったってことも結構あるんだ」

「それはそれは結構なお話ですね」

「僕は――――まだ一人に決める気はなくてねぇ。だから文は断っているんだ」


 お互いに譲り合わず、蘇芳様と暁はにらみ合っている。

 いくら東郷本家の子供といえども、その対応はどうなんだろう? 出世とかそういうのに響かないのか?? 私がオロオロしだすと、頭弁様がパンッと両手を叩いた。


「二人とも、その辺になさい。紫が困っているだろ」


 周りの視線が私にふりそそぐ。私はというと両手を胸の前に上げたまま、固まっていた。

 その姿に蘇芳様が吹きだす。


「…………うん、ごめんね? 紫」

「いえ、あの……」

「ひとまず、この文は紫に渡します。よろしいですね?」

「仕方ないね。紫、もし僕宛の文だったらそのまま僕にちょうだい」

「はあ……」


 暁から受け取った文。それには流麗な字で「紫へ」と書かれている。

 私宛で間違いないのでは? 旭かとも思ったが、なんとなく違う気がする。


 結ばれていた文を開くと、ふわりと良い香りがした。


「この香り――――」

「あー……」


 私と同時に蘇芳様も反応する。蘇芳様は側に控えているぶん、よく知っているのだろう。

 この香りは、帝様の香の匂いだ。


 文の内容は蘇芳様に頼んでおくから、こちらにも顔をだしなさい。という内容。

 その文を見て蘇芳様を見上げると、蘇芳様は目元を手で覆い天を仰ぐ。


「あの、藤の宮様……」

「うーん……ごめんね。紫。最近、紫が頑張ってくれるおかげで色々円滑に進むから……気になっちゃったんだね」

「はあ……」


 実際には先ほど会ったから、気にかけてくれているのだろうけど……

 あとで蘇芳様に説明しないと不味いなあ。


「ま、待ってくださいよ。藤の宮様。まさか、まさか紫を正殿付きにするつもりじゃないでしょうね!?」

「あ、それはない。ないない。さすがにうちの部署の人手削ってまで、向こうに人員回さない。あっちの方がなり手多いし」

「ほんっっとうにやめてくださいよ!?」


 蘇芳様は蔵人所のみんなに詰め寄られている。

 必死に仕事してきたけど、猫の手ぐらいにはなれてたようだ。そのことが嬉しい。


「……殿上童一人いなくなったぐらいで仕事が滞るんですか? この部署は」


 どう聞いても嫌味。その嫌味を聞いて、今度は暁に蔵人所のみんなが詰め寄る。


「あのね、本当に人が居着かないの。忙しすぎて居着かないの」

「新婚だからって理由で断られることもあるんだよ」

「家に帰れないとか、帰ってくるのが遅いとかで妻に浮気を疑われるんですよ!?」

「東宮御所ほど人がいないんです!!」

「殿上童だって避けて通るんですよ!!」


 ワッとみんなにいわれて、暁は思わず後ずさった。不用意な一言は身を滅ぼす。

 私も気をつけよう……


 そんなことを考えていると、暁と目が合う。その目は今すぐ助けろと語っていた。

 チラリと蘇芳様を見上げれば、苦笑いを浮かべている。


「……藤の宮様」

「まあ、ほら。口は災いの元、だよ」


 とはいえ、手が止まるのは困るのでみんなに仕事に戻るようにいう。

 暁はほんの少しの時間でゲッソリとしていた。


「さて、紫。君はもう帰る時間だから、家に帰りなさい」

「あ、はい」

「それでは私も失礼いたします」

「うん。東宮によろしくね」

「承りました」


 私は蘇芳様に背中を押され、そのまま蔵人所を出る。

 暁はチラリと私を見ると、小さくため息を吐いた。そして私の手を取ると、牛車が待っている場所に向かう。


「……暁様」

「様はいらない」

「それは、ダメでしょう?」

「いいよ。藤の宮様の縁者なんだろ?」

「そうですけどね……」


 何を話そう。手紙のやり取りはしていたけど、実際に会うのは数年ぶりだ。

 話したいこともあった気がする。こんな風に会わなければ。


 叔母様の尼寺での再会なら、きっと凄く嬉しかったはずだ。

 でも今は、暁の考えがわからない。旭には黙っていてくれてるみたいだけど……それもいつまで黙っていてくれているかわからない。


「なあ、紫。旭には……いわない方が良いんだろ?」

「……うん」

「わかった。今は、とりあえず……わかった」

「いいの?」

「いいも何も、主上が出てきたしな」

「帝様?」

「うん。俺はずっと……あの日止められなかったことを後悔していた。お前の人生を縛るようなことを許してしまったから」

「それは、私も「ずっと一緒に」って言葉に……頷いたところがあるから」

「仕方ないだろ。あのおっさん、お前のこと放置してたし。母親が死んでから誰も一緒にいてやらなかったんだから」


 幼い子供が寂しがるのは当然だ。そういわれて、私は小さく頷いた。

 寂しい、悲しい、誰か側にいて。ひとりぼっちはいやだ。


 だから頷いた。何も考えず、ずっと一緒にいてくれるというから。

 でも現実はそう簡単な問題ではない。


 花姫は龍の生命線。花姫に何かあれば、龍も命を落とす。

 私は、私のせいで旭がどうにかなってしまうのは望まない。そして私が見た先に旭はいない。


 ならすべきことはただ一つ。

 花姫にならない。ただそれだけなのだ。


「お前はさ、もっと自由で良いんだ」

「十分自由にやってるよ」

「まあ、さすがに殿上童やってるとは思わなかったけどな」

「それはちょっと驚かせたかもだけど……」

「ひとまず、お前が絶対に近づいちゃならない場所を教えとく。うっかり迷い込まないように気をつけてくれ」

「わかった」


 暁はそういうと、懐から折りたたまれた紙を取りだし手渡してきた。


「出仕するときに教えて貰ってるとは思うけどな。地図まではもらってないだろ?」

「うん」

「まあ正殿とそこに付随する部署へのお使いが多いと思うけどな。東宮御所のある小龍殿は絶対に近づくなよ。小龍殿の奥に東宮の後宮がある」

「花姫たちがいる場所、だね」

「当然ながらあの女の娘が来てる。だから絶対に小龍殿の周りは近寄るな。誰が見てるかわからない」

「もうあそこには、私の顔を知ってる人はいないと思うけど……」

「アイツは東宮御所の境までは出てこれるんだよ」


 詳しくは蘇芳様に聞いておけというと、暁は私の頭をひと撫でし自分の牛車に向かう。

 私も蘇芳様の家から迎えに来ていた牛車に乗り込むと、屋敷へと戻った。

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