龍は花姫の愛を乞う
諏訪ぺこ
第一章
第1話 桜 1
その知らせは瞬く間に湟国中を駆け巡り、お節介にも私が住む尼僧庵にも知らせが届いた。
手紙には私に届くように呪がかけられている。だからこそ、この手紙を送った相手は何も知らない。
「『良かったな』ですって?そんなわけないじゃない」
山の中腹に生える大きな杉の木に登り、私は都を見下ろしていた。
そして届いた手紙をグシャリと握り潰してしまう。当たったところで仕方ないのは分かっている。
私が今どこに住んでいるか、なんて知りようがないのだから。
伝えればきっと迎えに来ただろう。遠縁とはいえ、同じ一族の血が流れているのだし。
あの薄情者と違って定期的に連絡をくれる幼馴染。その幼い時の顔を思い浮かべる。
きっと背は高くなったのだろう。声も、低くなっているかもしれない。
昔とは違う、想像しきれない姿。その姿に思いを馳せ、ため息を吐く。
途中から定期的に連絡をくれる幼馴染ではなく、ただ一度、数日間だけ遊んだ相手を思い出してしまったからだ。
「――――嘘つき」
そう呟くと、私は手にしていた手紙にフッと息を吹きかける。手紙は瞬く間に燃えて灰となった。
***
新しい東宮が立とうとも、その妃候補として各家々より花姫が集まろうとも私には関係ない。
そう思っていたし、今もそう思っている。
だが現実というのはそう簡単に私を無関係でいさせてはくれないようだ。
都の西の大通り、西郷家の花姫行列を甘味家の二階席から見下ろす。そしてチラリと目の前に座る男に視線をうつした。
美丈夫、と言えるだろう。鍛えた体躯は服の上からでも見て取れた。
長く下ろした髪を後ろで一つに結び、窓の外を眺めている。武官と言われてもきっと信じるだろう。実際は全く違うのだけど。
「いやいや、見事だねぇ。西郷宗家の威信をかけた行列だ」
「……これを見るためだけに甘味家に誘ったんですか?」
「それもあるかな。でも僕は君と美味しいものを食べたかったんだ」
「ここに西郷家の行列があるということは、貴方も迎えに出なければいけない立場では?」
「ふっふーん。母上は僕がいると縁起が悪いって言ってね!」
失礼しちゃうよね!と言いつつもその顔は笑っている。全く気にしていなさそう、ではあるが……
西郷の姫としては、競い負けた息子がいることを良しとしなかったのだろう。
こればかりは当人のせいではない。たまたま後から生まれた方が龍の血が濃いと判断されただけ。
勝手に競わされて、落胆されて……私がこの人だったらふざけるな!と怒っていたことだろう。でも当の本人は目を細めつつ、外の光景を眺めている。その表情に負の感情は見当たらない。
「それにしてもさ、瞳の色が血の濃さを表すとかってどうなんだろうねぇ」
「もう九百年近く経ってるんですから、かなり薄まっているでは?」
「僕もそう思う。東宮には適性のある者がつけばいい。ま、僕は興味ないから良いんだけどね」
「そうですか」
「そうだよ。だからあの子は可哀想だね」
なりたいわけではなかったろうに、と呟く。その言葉を私はあえて聞き流した。問い返したところで答えが返ってくるわけでもなく、さりとて興味があると思われるのも業腹だ。
長く続く花姫行列を見下ろしながら、手元のあんみつを口に運ぶ。
豪奢な――――花姫行列。
ここは西の大通りなので西郷家の行列が見られるが、東の大通りでは東郷家の、南の大通りでは南雲家の、北の大通りでは北雲家の行列が見られる。彼女たちは皆、新しい東宮の東宮妃候補。
花嫁ではなく花姫と呼ばれる由縁は龍の血を引く一族には、番を求める逸話があるからだ。
龍はただ一人の妻を求め、花の痣を乙女の胸に刻む。花がひらけばお互いが何処にいても感じ取れるとか。
ただ一人の最愛。その花を求め、後宮で競い合う。
「……現実問題として、ただ一人にだけ寵愛を傾けるって無理ですよね」
「そうだね。今代は一通り手をつけてたし」
「子沢山ですものね」
「とはいえ、東宮妃や皇后になったからといって番になったわけじゃないからね」
「それって何か違うんですか?」
「まあ色々と。でもこれは内緒ね」
「藤のみ「
人目があるしさあと呑気に言っているが、ここは西の大通りの甘味家だ。花姫行列のこのお祭り騒ぎの日に、二階席が空いてるなんて普通はありえない。つまり西郷家の息がかかっているのだ。
そこで宮様と呼んだところで誰も反応はしないだろう。
西郷宗家を後ろ盾に持つ、藤の宮――――蘇芳様。それがこの人の立場なのだから。
私はしばらく思い巡らせてから、仕方なく「蘇芳様」と話しかける。彼は嬉しそうに笑いながら首を傾げて見せた。
「なあに?」
「用がこれだけなら、私そろそろ帰りますが?」
「えーもう少し付き合ってくれても良いじゃないか。西郷宗家からお祝い餅とか配られるよ?」
「私、そんな食意地はってそうに見えてるんですか?」
「君はもう少し食べた方がいいと思う」
細いし小さい、と言われてムッとする。
尼寺暮らしだから仕方ないのだ。どうしても菜食生活が中心になる。とはいえ、私自身は尼ではないのでたまに雉や猪を狩って肉も食べるけれど。
蘇芳様が軽く手を上げると、何処からともなく店員がサッと現れる。そして何かしら注文を始めた。
いや、本当に。用がこれだけなら包んでもらいたい。尼僧庵は都からほど近いとはいえ山の中腹にある。馬を飛ばしても遅くなればなるほど、夜盗やら人じゃないモノやら出るのだから。
「蘇芳様、どうせなら包んでください」
「お土産ももちろんつけるけどね?それよりも、確認したいことがあるんだ」
「確認、ですか?」
「実は、南雲家の系図を調べたんだけど――――南雲燕、君の名前が消されていた」
まるで明日の天気は晴れです。とでも言うような口調で蘇芳様は私に告げた。
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