第16話 ポップ

 針からどろりと血が滴る。刺された男はその場にうずくまり、他の男らに応急手当てをされていた。そんな大事をしでかしたカトラだが、後悔する暇はなかった。


「ガキ!よくもやりやがったな!」


 そんなリーダー格の男の怒号もカトラの耳に届いていなかった。初めての感覚だ。タカランの時は相手を傷つけた感覚はなかった。しかし今回はトリィを守るために心の中で何か欠けたような気がした。


 しかしそんな迷いや憂いを関係なしにリーダーの髭男は激昂し、カトラに飛びかかった。ナイフをカトラの首を突き刺そうとする。


「キャプテン、逃げてください!」


 コーンが男の腰に組み付いた。しかし十歳そこらの少年の体重では大した妨害にならず、すぐに振り解かれる。しかしすぐに組みつき直し、果てには男の腕に噛みついた。男は顔を歪めた。


「て、テメェ……!」


 男は怒りを通り越した表情を浮かべ、コーンの腹に膝を入れた。杭を打たれたような衝撃に襲われて、コーンはその場に伏す。


 次にリーダーの男が狙いを定めたのはカトラだ。彼女は依然として血濡れの針を持って呆然としていた。


 男にとって彼女を殺めるのは簡単なことだ。しかし仲間を害された恨みを晴らしたかった。全ての尊厳を奪い、仲間を殺して報復したかった。その前段階としてカトラの胸目掛けて蹴りを入れた。


 カトラは風船のように簡単に吹っ飛んだ。数秒の間息ができない苦しみに襲われた。地面に伏して喘ぐカトラに男はさらに蹴りを浴びせんと足を振り上げた。


 しかしその足が動くことはなかった。黒い煙のようなものに男の体はからみとられていた。男は力を込めて動こうとしてみるが、巌に括り付けられたかのように動かない。


 ギョッとした男が振り返ると、そこには黒い煙に巻かれた大きな口があった。その不定形な存在は煙を男に絡ませ続け、果てには四肢を拘束した。口はねっとりと言葉を紡いだ。


「ワタシの主人たちを傷つけないでくださいますか」


 煙の中の口は金属音のような高い音でその言葉を紡いだ。男は目を見開いた。


「な、なんだテメェは」


「主人たちのしもべです。一つ関節を壊します」


 カトラの耳に聞いたことのない音が聞こえた。目の前て黒い煙の腕が、男の腕を逆向きに曲げていた。男は詰まったような声を漏らした後痛みに叫んだ。


「な、なんなんだ⁈このモヤモヤ野郎!」


「ワタシはしもべです。主人たちをお守りします。二つ目の関節を……」


「ま、待った!わかった!ガキどもに手は出さねぇ!」


 男は震えながら言った。仲間たちも、自分たちのリーダーを襲う不定形の化け物に恐怖を覚えていた。化け物に足はない。黒いモヤから黒いモヤでできた手が伸び、その真ん中に口だけがある。そんな存在だ。


 男は腕を庇いながら、仲間たちの元へと戻る。すると黒いモヤの化け物は瞬く間に彼らを囲むように変形した。そして紳士的な口調で話しはじめた。


「敵意がまだ残っているのを感じます。ご主人様たち、いかがなさいますか?」


 カトラは自分が呼ばれているのに一瞬遅れて気がついた。どうやら黒いモヤは敵ではない。そのことにも段々と気がつき始めた。


「に、逃してあげて。あと怪我してる人を治せる?」


 馬鹿げたお願いに聞こえると自分でも思っていた。自らを襲うものたちを許すどころか治療までお願いするなんて甘すぎる。しかし黒いモヤは関節のない体でお辞儀をすると、針で刺された男を白い霧のようなもので覆った。すると浅く息をしていた男の傷が塞がり、男は目を白黒させる。


「主人たちに二度と手を出さないでくださいね」


 モヤはリーダー格の男に口を近づけると、よだれをダラダラと垂らしながらそう脅した。男は青い顔で何度も頷く。そして仲間を連れ立って街の方へと駆け出していった。


 一方でモヤは少し上空に浮き上がり、カトラたちと距離を取った。



 男たちの背中が見えなくなると、カトラな蹴られた胸と強引に掴まれた腕がズキズキと痛み始めた。しかしその痛みを打ち消すほどに喪失感があった。


 カトラは子供達の方を見れなかった。目の前で人を傷つけたのだ。人でなしと思われても仕方がないように思えた。カトラは目を潤ませ、項垂れた。純粋な子供達に顔向けができなかった。


 しかしそんなカトラの頭を包む腕があった。トリィの腕だった。


「ありがとう、カトラさん。あたしを守ってくれた」


「で、でも……こ、怖かったでしょ?みんなの前で人を刺して……」


「カトラさん……ううん、キャプテンの針は優しいんだってみんな知っているわ」


 トリィは近くにいたオウムのぬいぐるみを抱き寄せて、縫い目を見せるように突き出した。オウムも自らの青い糸で縫われたところを見せびらかせようにする。


「そうだぜ。カトラの針はみんなのための針だ」


 子供たちは頷いた。誰一人カトラから離れようとしなかった。それどころかカトラの周りに集まり、寄り添った。カトラは腹の底から込み上げるものがあった。少し堪えて、泣く前に言った。


「ふふ……ありがとう」

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