第十話 「忘却される姫」
―ねえ、まだ?―
さやかが店を出る瞬間にスマートフォンが震える。熱い眼差しを添えてメッセージが届いた。ちらりと熱い眼差しをたどると、メッセージをやり取りした姫がソファについているパーテーションからひょっこりと顔を出してこちらをじっと見つめている。クスッと笑ってみせると、慌てて顔を隠して座りなおしはじめた。情はメッセージを送り、姫のほうを見つめた。
――メインディッシュは最後がいいだろ?――
情がメッセージを送るやいなや、パーテーションの先で頭がぴくりと動くのが見える。スマートフォンを見るとすぐにメッセージが来ていた。
―……バカ―
情は歩きながらジャケットを直して、柱にかけてある鏡で髪の毛を整える。鏡の先に見える姫を見るとじっと頭を下げていたのが見えて、メッセージを送った。
――今日の最後の1ページをあやめで埋めてくれ――
――うん......!――
あやめが席で何度も頷いている姿を見て、情はコップを取って席へと向かった。情は席につくなりコップを置いて、テーブルの横に立ち、胸元に手を添えて会釈をする。
「遅い...!」
しかし、あやめは頬を赤らめて膨らませてそっぽ向いてしまった。情はちらりと綺麗なテーブルを見て、あやめと一人分離れた場所にそっと座る。
「あやめ、待たせてごめんな」
「じゃあ、この隙間は何!?私のことなんてどうでもいいんでしょ!?」
ようやくあやめは情のほうを見て、隙間を指さしながら情に顔を近づけた。情はそっとあやめの肩に腕を回して、胸元にあやめを寄せる。
「やっと俺のほう向いてくれた」
「......ずる......」
あやめは情のジャケットをすがるように握ってからすすり泣く。情は赤子をあやすようにあやめの頭をそっと撫でる。
「今日はずっとこのままでもいい」
情はあやめの耳元で囁く。あやめは悲しそうな顔をして情を見つめる。
「...えっ...?今日は絶対情くんのラストソングを隣で聞きたくて.....いっぱいお金持ってきたのに......使わせて...くれないの?」
あやめは絞り出すように声を震わせ、大粒の涙が頬を伝う。情は細かく首を振って、あやめの頬を伝う涙を人差し指で拭った。あやめはジャケットに涙がつくくらい頭を情の胸元に沈めながら首を振った。
「やだやだ......!今日こんなにオシャレして、ずっと、ずっと!かっこいいオシャレな情くんを待ってたんだよ!誰もこない席でぽつんと。何もなくただ撫でられるなん......」
あやめが語気を強めながら情のジャケットを引っ張る強さが次第に強くなっていったところで、情はあやめの言葉を遮るように肩を握って胸元から引き離した。もう片方の手であやめの顎を上げて、目線を合わせる。あやめは驚いて胸元で手を震わせながら目を見開く。
「そうだよな。あやめはメインディッシュだ。そんなつまんない夜になんてさせない。消したくても消せない油絵のように華やかな思い出を作るからな」
だんだんあやめの顔に笑みが戻ってきて、目尻が下がっていく。最後の涙が目尻から頬を伝うと、情はあやめの顎をあげていた手でそっとあやめの輪郭をなぞり涙を拭った。あやめをそっと元々座っていた位置につけると、肩が寄り添うほど近い場所に情が座る。あやめはふうっと一息吐きながら情の肩に頭を預けた。
「はあ。私てっきり情くんに忘れられたと思ったんだから」
「そんなことないさ。来てくれているのに忘れるホストなんてド三流にも程があるだろ?」
情は鼻で笑いながら胸元からタバコを取り出して火をつける。大きく息を吸い込んでから上へ煙を吐き出す。
「情くん、他の姫に夢中だった!」
「今、この時、あやめに夢中なんだけど、ダメか?」
「...ずる...!」
情がにこやかにタバコを吸っているのを見てあやめは情を指さした。
「あー!出た出た!いっつもそう!私をからかう悪い情くん!」
「人聞きの悪いこと言わないでくれよ。かわいいからついつい」
「むー。そうやって調子いいこと言うんだから」
あやめがちょっと頬を風船のように膨らませると、情は優しくぷにぷにと指でつつく。
「あやめと一緒にいるのに他の子を気にしながらなんて」
「絶対嫌!......だからわかってるもん」
あやめは情の言葉を遮りながら俯く。
「あやめは大人だな。ありがとう」
「えへへ」
情が微笑みながらあやめの頭を撫でると、あやめはぱっと顔を上げて、両手を顎につけて微笑みながら頭を嬉しそうに振っている。
「それで忘れられたってのは?」
「お店にだよ~!」
「店......?」
「そう!だって前は一人の時間なんてないほど、いっぱいホストの子が相手してくれたもん!今じゃ私から声をかけようとしたって、みんな早歩きで動いているか、誰もいないかだもん」
「なるほどね」
情はタバコを灰皿に押しつぶして火を消す。
「情くんいなくなってからだんだん一人の時間増えていっちゃったから全然楽しくないんだもん」
「俺と目があっても手も降り返さずにこっそりメッセージ送るくらい奥手だからな」
「ちっ、違うもん!」
あやめが俯くと、情はまたあやめの顎を上げる。
「俺があやめを照らす星だからな。ずっと見てろよ」
「うん...!」
あやめはすっかりうっとりとした目で情を見つめる。情があやめの頬を親指で撫でると声にならない声をあげて喜んでいた。
「やっぱりかわいいな、あやめは」
あやめはピンっと背筋を伸ばして、メニュー表を取り出して、せっせとページをめくってはにらめっこを始めた。情は注文をするためにホストを呼ぼうと見渡すも、賑わう店内とは裏腹に立っているホストが近くにいないことに気づいた。
「......なるほどね......」
情がぼそりと呟いた。
「え?どうしたの情くん?」
あやめはきょとんとした顔でメニュー表とのにらめっこをやめて情のほうを見た。情はすました顔で首をふる。
「いや、あやめは鋭いなって」
「えっ!褒められた?」
「ああ、めっちゃ褒めてる」
「嬉しい~~~!情くんに褒められた!!!もう気分いいから今日はこれにする!!!!」
情はあやめの指さしたメニュー表の先を見て、あやめのほうを見る。
「あやめ、ありがとう」
「ううん!だって情くんに褒められたんだもん!頑張れちゃう!」
「じゃあ、俺もその期待に応えないと失礼だな」
「これできっとラスソンは情くんだね!」
情は口元を緩ませてゆっくりと頷くと、さっと注文用紙を持っていき、受付にオーダーを渡してあやめの席へと戻る。
「いーよいしょー!オールコールオールコール!」
情とあやめの席の前にはホストたちが大勢集まり、テーブルの上には大きなボトルがずらりと並んでいる。シャンパンコールが始まると、情はジャケットを脱いであやめに渡して、袖を捲るなりボトルを片手に飲み干していく。最後の二本になると情は自分に一本、あやめに一本持たせてボトルを合わせて鈍い音を立てたのち、互いに飲ませ合う。あやめのボトルの減りが遅くなったのを見ると、ボトルを下げて、二本同時に飲み干し、周りのホストに見せつけるようにテーブルにボトルを叩きつけた。言葉にはしないが、まるでホストに一喝入れるように。
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