第3話 復活の噂

 ……もう朝か。さっさと飯を食べて学校に行かないと。って、ん? なんだか良い匂いがするな。そっと目を開けてみると、遠くの方に寝間着姿のベルナデッタがいた。昨日の夜に飯を食わせたから、いくらか元気になったみたいだな。俺が起きたのに気づいたようで、食器を持ったままこちらに近づいてくる。


「おはようございます、シュトラウスさん」

「な、何やってんだ?」

「居候の身ですから。せめて朝食くらいはと思いまして……」

「そうか……」


 俺はベッドから降りて、居間のほうへと歩いていった。テーブルの方に目を向けると、そこには美味そうな料理がいくつも並んでいる。肉を焼いたのと、こっちは野菜を茹でて調味料で和えたものか。そういや昨日は市場で買い物をしたんだったな。


「すまんな、こんなに作ってもらって」

「いえ、私こそ勝手に食材を……」

「いいんだ、俺は料理が下手でな。美味い飯を食えるに越したことはないからな」


 右足を庇いながら、俺は食卓についた。ベルナデッタも俺と向かい合うようにして席に座る。さっそく食べようとしたのだが、ベルナデッタはそっと手を組んだ。


「神よ、日用の糧に感謝いたします」


 ……やはりコイツは王国の人間なんだな。俺は宗教に疎いのだが、王国ではかなりの人間が強い信仰心を持っていると聞く。俺が難しい顔をしていたせいか、ベルナデッタは不思議そうにこちらの様子を窺ってきた。


「どうかなさいましたか?」

「いや……なんでもない。食べよう」


 俺はナイフとフォークを手に取り、食べ始めた。まずは肉から。……ふむ、焼き加減が絶妙だな。いつもは不味い肉だと思って食べていたが、焼き方次第でどうにでもなるということか。しかし、味付けはやはり王国式だ。


「い、いかがですか?」

「ふむ、美味いな。料理なんてどこで習ったんだ?」

「家で習いました。厳しい家だったものですから」

「そうか」


 ただ者ではないと思っていたが、育ちが良い人間なのかもしれないな。格好こそ汚かったが、祖国を放り出されたという状況ならそれも仕方のないことだ。


「あの……シュトラウスさん?」

「なんだ?」

「こんな女物の服、どうしてお家にあったのですか?」


 ベルナデッタは自らの寝間着をつまんで不思議そうにしていた。昨日のコイツはあまりに酷い服装だったので、家にあった服を貸してやったのだ。しかし、一人暮らしの男がそんな物を持っているのを不自然に思うのも無理からぬことだ。


「なに、簡単だよ。俺と寝た女に貸すための物さ」

「ね、寝たっ……!? そんな、破廉恥なっ……!」


 俺は適当に冗談を言ってみたのだが、ベルナデッタは予想以上の反応をしてくれた。顔をみるみる真っ赤にさせていき、あわあわと慌てふためいている。ははは、面白い奴だな。


「冗談だよ。今のは嘘だ」

「ちょっと、言って良い嘘と悪い嘘がありますわよ!」

「そんなに怒るなって」

「いっ、いくら私が子どもだからって……!」

「その服の持ち主は、ずっと前に死んだんだ」

「へっ……?」


 思わず立ち上がっていたベルナデッタも、俺の言葉に戸惑いを隠せていなかった。状況が呑み込めていないようなので、詳しく説明してやる。


「そもそも、男一人でこんな家に住んでいる時点でおかしいと思わないか?」

「たしかに、そうですけど……」


 俺の家は、街の中心部から少し外れたところにある一軒家だ。二階もあり、広々とした庭もついている。本来は家族で住むような家で、俺のような若造が住むところじゃない。


「この家にはな、軍の魔術師と家族が住んでいたんだ。とても実力のある魔術師で、戦場ではとても頼りになった」

「それなのに、どうしてあなたが住んでいるのですか?」

「……その一家、家族旅行に行った先で惨殺されたんだ。こっちの戦力を削ろうってんで、王国が刺客を差し向けたらしい」

「えっ……」


 ベルナデッタは固まってしまい、何も言うことが出来ていなかった。その魔術師は貴重な休暇を家族と共に過ごすことが多かったそうだ。その時は初めて一家で旅行に出かけたらしいが、それが悪夢となるなど誰が予想出来ただろうか。


「それでこの家は空き家になって、とりあえず軍が引き取ったんだ。俺が軍を退役したとき、褒美としてこの家を貰ったというわけだ」

「では、この服は……?」

「例の魔術師の娘の物だ。一家が使っていた物は全て残されていたからな」

「そう……だったんですね」

「可哀想なことに、その娘は婚約していたんだ。嫁入り前の最後の思い出になるはずだったのにな」

「随分とそのご家族のことをご存知なのですね」

「まあ、その婚約相手ってのは俺のことだからな」

「へっ……?」


 俺はスープを啜りながら淡々と答えた。航空隊のエースとして現役だった十三歳の頃、有力魔術師の娘として紹介された。とても綺麗なお嬢様で、今でもその笑顔ははっきりと脳裏に焼き付いている。


「死んだと聞いたときはショックだったが、前線を駆け回っていた頃だったからな。悲しんでいる暇もなかった」

「そんな大事な方の服を、私なんかが着てもよろしいのですか……?」

「生きている人間の方が大事だからな。取っておいても仕方ないだろ」

「……随分と淡泊なのですね」

「思い出しても辛いだけだからな」

「……私も、それくらい割り切れたらよかったのに」


 ベルナデッタは感情を押し殺すように声を絞り出した。せっかく美味い朝食があるってのに、なんだか暗い気持ちになってきたな。いかんいかん、何か別の話題を提供しなければ。


「そうだ、ベッドの寝心地はどうだったか?」

「はい、快適でした……!」

「良かったよ。しばらく二階には上がってなかったから、埃を被ってたんじゃないかと心配していたんだ」


 俺はベルナデッタのために二階の部屋を貸してやったのだ。それも元々は例の婚約者が使っていた部屋なのだが、言わずとも分かっているだろう。


「あの、二階に上がれないというのはやっぱり右足が……?」

「階段を上るのも大変だからな。間違っても夜這いなんか出来ないから安心してくれ」

「ま、またそうやってからかって!!」

「ははは、そう怒るなよ」


 頬を膨らませて怒っているベルナデッタのことを、俺は笑って眺めていた。そうこうしているうちに、学校に行かなければならない時間になってしまった。俺は着替えて荷物を持ち、玄関に向かう。


「ベルナデッタ、お前はあくまで密入国者だ。家でじっとしているんだぞ」

「はい、もちろんです」

「じゃあ、行ってくる」

「行ってらっしゃいませ!」


***


 杖をつきながら、ゆっくりと坂道を歩いていく。学校は小高い丘の上にあるので、俺は毎朝のように山登りをしなければならないのだ。登校中の生徒たちにはどんどん追い越されるし、情けないったらありゃしない。


「ソラせんせー、おはよーっ!」

「おう、おはよう」


 エレナに追いつかれるころ、ちょうど俺は学校に着いた。校門の前では校長のクラーラが待ち構えており、生徒たちに挨拶をしている。


「クラーラ先生、おはようございまーす!」

「うむ、おはよう」

「おはようございまーす!」

「おはよう」


 相変わらず表情が冷たいな、クラーラ。せっかくの美人と、軍服が似合う八頭身が台無しだろう。俺はエレナと一緒に校門まで歩いていき、何気なく通り過ぎようとしてみる。


「おはよっ、校長!」

「うむ、おはよう」

「おはようございます」

「おい、貴様は待てっ」

「へっ?」


 俺はクラーラに服を掴まれ、無理やり止まらされた。あんまり急激な動きは足に悪いのでやめてほしいのだが、それを言って聞く女じゃねえか。まあ、一緒に前線を張っていた頃からそうだったからな。


「……いかがされましたか、校長?」

「貴様には話がある。後で私の部屋に来い」

「用件も言わずにいきなり来いとは、部下に対して理不尽じゃありませんか」

「黙れ! 自分が何をしたのか分かっているのか?」

「はあ、なんのことでありますか?」


 とぼけてみたのだが、クラーラの表情は変わらない。クラーラはそのまま俺に顔を近づけてきて、そっと耳打ちしてきた。


「『英雄復活』の噂が駆け巡っているが、まさか貴様のことじゃないだろうな?」

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