49.主役ではないと気づいていた

 危なかったぁ。民に庇われたビオラは、宿のベッドで枕を抱き締める。ごろごろと両側に体を転がし、中央で枕にうつ伏せでのしかかった。


『やばかったなぁ、いきなり神聖騎士とか来ちゃうんだもん。普通さぁ、事前に誰かが密告して逃がしてくれる場面じゃない? まあ庇ってもらったからいいけど』


 ぶつぶつと日本語で文句を呟く。この辺はさっきの危機感がまだ仕事をしていた。ビオラの愚痴が誰かの耳に入れば、大袈裟に吹聴される可能性もある。国の代表として訪問したわけではないため、国際問題になっても見捨てられる。


 日本語なら祈りの言葉だ、と逃げることができた。どうせ聞き取って話せる人なんて、今は周囲にいない。


『そろそろ引き上げても平気かな』


 聖女と名乗らず、民の人気を集める。それがビオラの今回の役割だ。必要なのは、聖女だと思わせること。


「ビオラ様、よろしいでしょうか」


 ノックして声がかけられた。護衛の騎士だ。同行した女性騎士は、カレンデュラが手配した。ビオラは護衛だと思っているが、実際は監視も兼ねる。応じて扉を開ければ、手紙を渡された。薔薇の模様の封筒に、送り主の名前はない。


「こちらが届いております」


「ありがとう」


「いえ。帰還の準備をします」


 女性騎士に笑顔で頷く。こういった支援は迅速に、初動が大事だ。災害の多い日本での経験が活かせた。最初の数日に届いた支援は、特に印象深い。その後は復旧のための援助に変わり、徐々に求められる支援が変化する。


 ようやく帰れる、とビオラは嬉しくなった。挨拶をして扉を閉め、ベッドに寝転ぶ。


 手紙が届いたら帰っておいで。カレンデュラはそう告げた。彼女の言葉通りに届いた手紙は、ビオラを気遣う文章が並ぶ。体調を崩していないか、危険なことはないか。


「なんか、嬉しいな」


 うつ伏せに寝転んだベッドで、バタ足のように蹴る。宿屋の安いベッドは、ぎしぎしと音を立てた。思ったより音が大きいので、苦情が来ちゃう、と慌てた。少し動きを止めて息を潜めるが、誰もノックしない。


 この世界はたぶん……『聖女は月光を手に』ではない。ピンクの髪を一房摘み、大きな息を吐いた。


「本当の聖女だったらよかったのに」


 パン屋の看板娘として働いていたある日、記憶が突然蘇った。それまで何も覚えていなくて、母は亡くなり父がケガで働けず、必死で働いて支えていたのに。まったく違う環境で生きてきた記憶が、ビオラの中に浮かぶ。


 飛び降り自殺に巻き込まれて死んだ地下アイドルを、特別な存在とビオラは感じなかった。気の毒だと騒がれるのは数日で、すぐに新しいニュースに埋もれる程度。それが嫌だった。


 特別な存在なのだと思いたくて、以前に遊んだ乙女ゲームの主人公を当て嵌める。この世界に突然転移して、馬に蹴られかけたビオラが、聖女としてチヤホヤされる。そんな世界がいいなと妄想した。


 でもビオラは気づいた。この世界に日本人が五人もいたら、特別ではない。物語に沿った人生を捏造しても、世界が変化する兆しはなかった。


『モブでもいっか、ルピナスのことは大好きだもの』


 前の世界で特別になれず、この世界でも主役になれない。それでいいと開き直って、ビオラは薔薇の香りのする手紙を抱きしめた。

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