時計仕掛けのオレンジ The Coming Race in Japan V.1.2
@MasatoHiraguri
第1話 来たるべき種族(日本の支配者)
2024年08月10日(土)晴 暑さ凌ぎで、半年ぶりに図書館へ行ってみた。
「日本文学全集 河出書房新社 2016年 4月30日発行」のなかに宮沢賢治・中島敦という巻があったので、「李陵」でも再読しようとページをめくると、今まで聞いたこともなかったこんな小説を見つけました。
中島敦 「巡査の居る風景」1929年
*中島敦
小説家。東京生れ。東大卒。漢学の素養を生かした端正な文章で、人間の存在のあり方を描出。作「光と風と夢」「山月記」「李陵」など。(1909~1942)
「巡査」というので、泉鏡花の「夜行巡査」を連想したのですが、確かに戦前(1929年・昭和4年頃)の巡査(日本の警察官)のことですが、この小説は現在の韓国が日本の属国であった時代、京城(ソウル)にあった日本の警察署に勤務する一人の南朝鮮人巡査の話です。
両班(ヤンパン)という南朝鮮の貴族階級支配下の南朝鮮とは、全国民が無気力であり、そんな国民が生活する国は、行路病者(路上に病み倒れて引取り人のない人。行き倒れ。)や汚物で塗れていた。
一体、三国人に支配された国とは何なのだ、という絶望感・虚無感に襲われた著者の気持ちが伝わってくる小説です。
(1937年・昭和12年に京城近郊に住んでいた私・平栗雅人の父が回想するには、南朝鮮人とは、人は悪くない。嘘をついたり人を欺したりする人は居なかった。しかし、当時の北朝鮮辺りや満州とは比べようもないくらい、彼らの家や町並みは汚くて臭かった、と。父は鉄道機関士として朝鮮半島を走り回っていたのです。父の子供の頃は、日本ではトイレは汲み取り式で、臭いのは慣れっこのはずなのに、南朝鮮人の家は鼻が曲りそうに臭くてたまらなかった。父の居た村は1,500人いたが、文字が読めるのは7人だけ。学校も図書館も祭りもない、文化施設は一切ない。無気力な人間が、毎日毎日、無気力に暮らしている、という感じであったそうです。)
つまり、この小説に書かれたこととほぼ一致する(事実である)、ということです。
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