10 醜いのはエステルだけで十分だ【第三王子オグマート視点】
魔物の襲撃後すぐに、フリーベイン領に私名義で何度も手紙を送らせた。だが、いまだにエステルからの返事はない。
「くそっ!」
私は手に持っていたグラスを床に叩きつけた。
ガシャンとグラスが割れる音とともに、ワインのシミが床に広がっていく。
「エステルは、まだ戻らないのか!?」
怒鳴りつけると、侍従はおびえながら首をふった。
魔物被害の報告に来ていた騎士団長のため息が聞こえ、私をさらにいら立たせる。
「オグマート殿下、落ち着いてください」
「落ち着いていられるか! エステルがいなくなってから、もう五回も魔物の襲撃を受けているんだぞ!?」
エステルがいなくなったあの日、出現した一匹の魔物は城下町には目もくれず、まっすぐ城を目指してきた。
遠目で見た魔物は、巨大なオオカミのように見えた。しかし、尻尾は炎のように燃え盛り、黒いモヤでおおわれるその姿は普通の動物ではない。
血のように赤い目が三つもあり、思い出すだけでゾッとする。
王都中の騎士を集めてなんとか討伐したものの、こちらの被害は甚大(じんだい)だった。
騎士達の三分の一は死傷した。その責任を取らされて、私は軍の総指揮から降ろされた。今は兄である第二王子が総指揮にあたり、王子であるこの私が騎士団長の下につけられている。
魔物の襲撃後、多くの貴族が王都に構えていた邸宅を捨て、逃げるように自分たちの領地に帰っていった。
住む者がいなくなった貴族街は廃墟のようになっている。
「なんとしてでも、エステルを王都に呼び戻さないと……」
「聖女エステル様は、大丈夫でしょうか? ご無事なら良いのですが」
騎士団長を含む多くの者は、私がエステルを追い出し、フリーベイン領に行かせたことを知らない。
聖女の不在は、魔物が多く出没するフリーベイン領を哀れに思ったエステルが、勝手に向かったことになっている。
真実を知っているのは、私と新しい聖女マリア、そして、エステルをフリーベイン領まで送った神殿で働く馬車の御者だけだった。
御者には大金を渡して口止めし他国に行かせた。だから、エステルが王都に戻ってくるまで、マリアさえ黙っていれば、なんの問題もなかったものを!
あろうことかマリアは、私がエステルを王都から追いだしたことを国王陛下である父に告げ口した。
なんとか黙らせようとしたが、侯爵令嬢というマリアの地位が邪魔をして思うようにできなかった。
魔物の襲撃が、私が聖女を追い出したせいだと知られると王家の威信(いしん)は失われる。だから、父の判断でその事実を伏せることになった。
マリアも「今は混乱を避けるべきだ」と陛下に言われ、しぶしぶだが従う。
父が私に向ける視線は冷ややかだった。
「オグマート、お前が、これほどまでに愚かだったとは……」
あのときの父に向けられた目を思いだすと、今でも腹が立つ。
くそっマリアめ! あの女、高貴な生まれで麗しい外見だったから優しくしてやったのに、あんなに心が醜(みにく)かったなんて。
こんなことになるのなら、外見が醜いエステルのほうがまだマシだった。
エステルは従順だし、聖女の力は役に立つ。
「エステルを引きずってでも、私の元に連れ戻してやる!」
そうすれば、すべて元通りだ。
私の言葉を聞いた騎士団長が「殿下、聖女様になんてことを……」と言ってくる。本当に不愉快なやつだ。
「うるさい! 用が済んだらさっさと部屋から出ていけ!」
「まだ伝言が終わっていません」
「私が出て行けといえば出ていくんだ!」
襟首をつかみ脅しても、騎士団長は顔色ひとつ変えなかった。
「上官への暴力は禁止されている。今すぐ手を放すんだ」
「私は王子だぞ!? だれに物を言っている!?」
「……お前にだよ、オグマート」
騎士団長に手を払われたと思ったら、気がつけば私が襟首をつかまれていた。
「お前は、王族の権限をすべて剥奪(はくだつ)された。これは陛下のご指示だ」
「なっ!?」
騎士団長がパッと手を離したので、私は無様に床に尻もちをつく。
「国王陛下より伝言だ。今後は一兵卒として戦場の最前線で戦い、一体でも多く魔物を倒すこと。そして、その命が尽きるまで戦い続けること」
「そんなの、死ねと言っているようなものではないか!?」
私を見下ろす騎士団長の目は、おそろしく冷たい。
「言っているようなものではない。王家のために死ねと言われているんだ。そんなこともわからないのか?」
「父に抗議してくる!」
立ち上がろうとした私の肩を、騎士団長は強く押さえつけた。
「聞こえなかったか? お前は王族の権限を失っている。もう陛下に謁見(えっけん)できるような身分ではない。早く荷物をまとめて一兵卒用の兵舎へ向かえ」
「ふざけるな!」
私の肩に騎士団長の指がめり込んだ。
「痛っ!?」
「ふざけているのはお前のほうだ。俺の意見を無視してクソみたいな命令を出し、よくも大事な部下たちを殺してくれたな」
その声は殺気に満ちていた。
「お前がこの場で殺されないのは温情ではない。よりお前を苦しませるためだ」
騎士団長の言葉通り、それからの生活は地獄だった。
一兵卒用の兵舎で、私にあてがわれた部屋は臭くてせまい。まるでブタ小屋のようだった。食事もまずくて食べられたものではない。だがこれは嫌がらせではなく、普通の一兵卒の暮らしだと言われた。
訓練は朝から晩までつづき、部屋に戻ると固いベッドで泥のように眠った。それを繰り返しているうちに、次第に剣の扱い方や体の動かし方を思い出していく。
そういえば、私は剣の腕前だけは、優秀な兄たちに勝(まさ)っていた。でも平和すぎる世の中では、剣術が強くても評価されることはなかった。
私がほめられるのは、この整った外見くらいだ。
軍の総指揮を任されたときも、陰では貴族たちに『ただの名誉職だ』とあざ笑われていたことを私は知っている。
騎士団長の言っていたとおり、魔物が現れたら最前線に立たされ命がけで戦わされた。
そのたびに己の剣術がさえていくのがわかる。
周囲のやつらは、犯罪者を見るような目で私を見ていた。しかし、私が魔物を倒すたびに、それが少しずつ変わっていくのがわかる。なんとも言えない気分だったが、まぁ悪くはなかった。
せまい自室に戻り、魔物の返り血を浴びた服を脱ぎ捨てる。
そのとき、何かおかしなものが見えた。
あってはならないものが、なぜか私の体にあったような気がする。
おそるおそる自身の腰あたりを見ると、そこにはエステルにあった醜い黒文様が浮き上がっていた。
「う、うわぁああああ!?」
ゴシゴシと手のひらでこすっても取れない。
「なぜ私に!?」
同じように魔物と戦っている者達の中で、体に黒文様が浮き上がったなんて聞いたことがない。
エステルは、会うたびに体を蝕(むしば)む黒文様が広がっていた。
「たしか、エステルに最後に会ったときは、顔にまで浮き上がっていたぞ……私もああなるのか?」
この私が、あんなにおぞましい、醜い姿に?
想像するだけで血の気が引くような思いだった。
「い、嫌だ……エ、エステル。そうだ、エステルを呼び戻さないと……」
王都や神殿からフリーベイン領にエステルを迎えにいったが、すべてフリーベイン公爵に追い返され、聖女に会わせてもらえなかったというウワサ話を聞いていた。
だから、エステルはまだフリーベイン領にいる。
エステルが王都に戻り邪気を浄化すれば魔物は現れない。そうすれば、私の黒文様はきっと消えるはず。
聖女を連れ戻した功績で、また王子にだって戻れるかもしれない。
「醜いのは、エステルだけで十分だ」
私は部屋の中にあったわずかな荷物を袋に詰め込むと、真夜中の兵舎をあとにした。
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