【SF短編小説】さいたま巨大卵奇譚 ―七日間の異界―

藍埜佑(あいのたすく)

「第一日:異形の胎動 ―出現―」

 2024年8月12日月曜日、さいたま新都心の平凡な朝は、想像を絶する光景によって唐突に塗り替えられた。


 午前5時24分、さいたま新都心駅前広場に、10階建てのビルに匹敵する巨大な卵が突如として出現した。その存在は、現実と非現実の境界を一瞬にして曖昧にし、人々の認識を根底から覆した。


 最初の目撃者となった早朝の通勤客たちは、その光景に言葉を失った。巨大な卵は、完全に普通の卵を巨大化しただけの形状で、その白い殻は朝日を反射して輝いていた。


「あれは……卵……?」


 ある会社員が呟いた言葉が、周囲の空気を震わせた。


 瞬く間に、スマートフォンのカメラが卵に向けられ、SNSには驚愕の声とともに画像が投稿され始めた。Twitter、Instagram、TikTokといったプラットフォームで、#さいたま巨大卵 のハッシュタグが爆発的に広がっていった。


 午前6時15分、地元警察と消防が現場に到着。彼らも目の前の光景に戸惑いを隠せない様子だった。


「これは一体……」


 警察官の一人が呟いた言葉に、誰も明確な答えを返すことができなかった。


 現場は即座に封鎖され、周辺の交通が遮断された。しかし、その措置は逆効果となり、好奇心に駆られた人々が次々と集まってきた。駅前広場は瞬く間に人で溢れ、パニック寸前の状況となった。


 午前7時、さいたま市役所に緊急対策本部が設置された。市長を筆頭に、警察、消防、そして急遽召集された科学者たちが一堂に会した。


「とにかく、市民の安全を第一に考えねばなりません」


 市長の言葉に、全員が頷いた。しかし、その後の沈黙が、誰もがこの状況にどう対処すべきか分からないことを如実に物語っていた。


 午前9時、国内の主要メディアが一斉に「さいたま新都心に巨大卵出現」の速報を流した。NHK、民放各社、そして海外メディアまでもが、競うようにヘリコプターや中継車を現地に向かわせた。


 科学界も素早く反応した。東京大学、京都大学をはじめとする国内主要大学の研究者たちが、専用機で現地に向かった。彼らの表情には、興奮と戸惑いが入り混じっていた。


「これは、人類の知識の限界を超えた現象かもしれない」


 ある著名な物理学者のコメントが、状況の異常さを端的に表していた。


 午後になると、哲学者や宗教家たちもメディアに登場し始めた。


「この現象は、存在そのものの本質に関わる問いを我々に投げかけているのではないでしょうか」


 京都大学の哲学者、山田太郎教授は、テレビのインタビューでそう語った。


「これは神の啓示かもしれません。人類に対する警鐘なのかもしれません」


 新興宗教団体「宇宙の卵」の代表、鈴木一郎氏の発言は、SNS上で物議を醸した。


 一方、地元の高校に通う佐藤さくらは、この異常事態を冷静に観察していた。彼女は、友人たちとのLINEグループで状況を共有していた。


「ねえ、みんな見た? 駅前の巨大卵」


「やばくない? 一体何なんだろう」


「エイリアンの仕業?」


「冗談でしょ。でも、すごく不思議」


 さくらは友人たちの反応を見ながら、こう書き込んだ。


「この卵、私たちの常識を根底から覆すかもしれないね。科学で説明できないなら、哲学的に考える必要があるのかも」


 彼女の言葉は、この後の展開を予見するかのようだった。


 夕方のニュースでは、各局が競うように特別番組を組んだ。専門家たちが次々と登場し、様々な角度から考察を展開した。


「この卵の出現は、既知の物理法則では説明がつきません。重力、質量、エネルギー保存の法則……すべてが覆されているのです」


 東京大学の物理学者、田中誠司教授の言葉に、視聴者たちは息を呑んだ。


「生物学的観点から見ても、これは前代未聞の現象です。地球上のいかなる生物も、このような巨大な卵を産むことはできません」


 国立科学博物館の生物学者、鈴木美咲博士のコメントは、事態の異常さをさらに際立たせた。


 哲学者たちも、この現象に対して深い考察を展開した。


「この卵の出現は、我々の存在認識に根本的な問いを投げかけています。我々が『現実』と呼んでいるものは、本当に絶対的なものなのでしょうか?」


 京都大学の山田教授の言葉は、多くの視聴者の心に深い影響を与えた。


 宗教界からも、様々な解釈が示された。


「この卵は、人類に対する神の警告かもしれません。我々は、自然との調和を忘れてはいないでしょうか」


 仏教系の新興宗教団体「宇宙卵教」の代表、高橋悟師の言葉は、環境問題への警鐘としても受け止められた。


 一方で、懐疑的な意見も出始めた。


「これは何らかの集団催眠現象かもしれません。多くの人が『卵がある』と信じ込むことで、実際に見えているのかもしれない」


 心理学者の中村洋子教授の発言は、現実認識の可塑性について新たな議論を呼び起こした。


 夜になっても、さいたま新都心駅前は興奮冷めやらぬ人々で溢れかえっていた。警察による規制線の外側で、多くの人々が携帯電話のカメラを向け、SNSに投稿を続けていた。


 さくらは、友人たちとのLINEでこう書き込んだ。


「今日一日で、世界が変わった気がする。明日からどうなるんだろう……」


 その言葉には、不安と期待が入り混じっていた。それは、さいたま新都心の、いや、世界中の人々が共有している感情だった。


 第1日目の夜が更けていく中、巨大な卵は静かにそこにあり続けた。その存在は、人類に対して深遠な問いを投げかけ続けていた。科学と哲学、宗教と常識、すべてが混ざり合い、新たな世界の幕開けを予感させていた。


 そして、誰もが気づいていなかったが、この日を境に、さいたま新都心の風景は、目に見えない形で永遠に変わってしまったのだ。


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