綺麗な首飾り(孤独なエルフの貴公子が、スリの少年と仲間になる)
空家
序章
馬小屋で目覚めたイオアンと可哀そうなブケラトム。物乞いの少女から告げられた予言について
第1話
運命の日を、イオアンは馬小屋で迎えた。
この日、イオアンは、初めての仲間と出会う。
そして、とても大切なものを、彼に奪われるのだ。
まだ、早朝だった。
東から昇った朝日が馬小屋に差し込み、イオアンの寝顔を赤く染めている。
穏やかな寝息をたてている彼の寝顔は、白い大理石から彫りあげられた、見事な彫像のようだった。
突然、彼が
顔を歪め、大きくあけた口からは、いまにも白い霊魂が飛び出してきそうだった。
「イオアン様、イオアン様――」
それまで彼のことを、心配そうに、となりの馬房から見下ろしていた老人が呼びかけた。イオアンが薄っすらと目をあけた。
「――アルド?」
「こんなところで寝てはいけません。伯爵様のお叱りを受けますよ」
上体を起こしたイオアンは、眠そうな顔であたりを見回した。
屋敷の馬小屋の、
生暖かく湿った空気を
イオアンは
目覚めても頭は重く、すっきりしない。
――そうか。
イオアンはようやく思い出した。昨日の夜、ブケラトムと話そうと馬小屋に忍び込んで、そのまま寝入ってしまったのだ。
「大丈夫ですか?」
ぼんやりしているイオアンに、老人が声をかけた。
イオアンが顔を上げた。
「何がだ?」
「ずいぶん、うなされてましたよ」
「――たぶん」
思い出そうとするように、イオアンは目を閉じた。
「ずっと悪い夢を見てたんだ」
「また、同じものですかな?」
「どうだろう。分からない」イオアンは曖昧な表情をして、首を振った。
本当は覚えている。
そして、悪夢の原因も分かっている。
子供のときから、それはずっと変わらない――。
座り込んで動かないイオアンに、老人が
「朝食を召し上がって下さい。皆さん大広間に集まっておられます」
イオアンは馬小屋の外へ目を向けた。
外はすでに明るく、調理場の裏手では、料理人たちが忙しそうに働いていているのが見えた。
大広間に行けば、厳しい父がいて、優秀な弟がいて、母は――また寝込んでいるかもしれない。それから、朝の訓練を終えた、騒がしい騎士や従士たちが大勢いることだろう。そう考えると、まったく食欲は湧いてこない――。
憂鬱だった。
のろのろと、イオアンは立ち上がった。
「ブケラトムの世話をしたら行くよ」
「水は私が与えておきますから」
「でも、
「食べてません」
飼葉桶へ目を向けると、確かに、ここ数週間と変わらず、まったく減っていない。
イオアンはブケラトムに近づいた。
その頭に触れ、首筋に触れ、背中に触れていく。
イオアンの指先に触れた毛並みは
状態の悪さに、改めて衝撃を受ける。
このままでは死んでしまう――。
そんなイオアンを、ブケラトムは優しい
「どうして食べないんだ?」
イオアンは、ブケラトムの顔を
イオアンの様子に、あまりに感傷的だと思ったのか、老人はやれやれと首を振った。
「私は市場へ出かけます。ちゃんと朝食は召し上がってください」
アルド老人は準備をすると、荷馬のククルビタを馬房の外へ
イオアンは首飾りに手を掛けると、胸元からペンダントを取り出した。
獲物に襲いかかるように立ち上がった
これひとつで、小さな城が手に入るぐらいの価値はあるだろう。いや、値段などつけられるはずがないとイオアンは思いなおす。この世界を変えるほど、強大な魔力を秘めていると伝えられているのだから――。
その名を〈
これこそが、イオアンの悪夢の原因だった。
この首飾りは長いあいだ、イオアンが仕えるタタリオン家に受け継がれてきたものだ。彼らが数百年のうちに、
昔は、本来の名前で呼ばれていたらしい。
しかし、その力を怖れて、口にするのを
この首飾りが先代の公爵の時代、理由は明らかではないが、なぜか一族であるセウ伯爵家に
以来、この首飾りはイオアンと共にある――。
体を洗うときも、ベッドに入るときも掛けている。そして悪夢を見るようになったのだが、外すという選択肢はイオアンにはない。なぜなら、この〈綺麗な首飾り〉こそが、彼がセウ家の爵位継承者であることの
イオアンは朝日に輝くペンダントを見つめた。
「おまえにその資格があるのか」と、いつもこの首飾りに問われているような気がする。その力もないのに首に掛けているから、悪い夢を見るのだと――。
そのとき、ふと
そうだ、これからニナに会おう!
ニナという少女は、イグマスの町に数え切れないほどいる
会うたびに、ニナがこの首飾りを見たがることを、イオアンは思い出したのだ。
――彼女に会えば、憂鬱も晴れるだろう。
そして、このささやかな思いつきが、イオアンの運命を変えることになる。
笑みを浮かべたイオアンは、ブケラトムに別れを告げると、馬小屋を出た。
イオアンは大広間ではなく自室に向かった。朝食は市場で買えばいい。自室で僧侶のような、
話し終えたニナが、いつものように首飾りを見せてくれとせがんだ。
そっとペンダントに触れた彼女は、衝撃を受けたように目を見開いた。そして、神のお告げに耳を澄ますかのように、目を閉じて黙り込む。
「まもなく、あなたは――」
再び目を開けたニナが、
「あなたに幸運と、破滅をもたらす人物に出会うことになるでしょう」
こうして、イオアンの運命を変えた一日が始まったのだった。
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