KUSANAGIEXPRESS 夜を行く

白雪れもん

第1話 夜を行く

夜の帳が都市を覆い尽くす頃、東京の街は一層の煌めきを放つ。ビルの隙間から漏れる光が、無数の星々のように闇に散りばめられている。しかし、その美しさの裏には、人々が隠し持つ孤独や苦悩が潜んでいる。


大手町の駅から、ふとした思いつきで「KUSANAGIEXPRESS」に乗り込んだ青年、斉藤直人。都会の喧騒に疲れ、何も考えずに乗ったその電車は、今夜も闇の中をひた走っていた。直人は窓の外に広がる夜景をぼんやりと見つめ、ぼやけたガラス越しに自分の顔が映るのを見つめた。


彼はもう何年も、同じような日々を繰り返していた。仕事に追われ、心の余裕を失い、ただ生きるために働く。そんな生活に疲れ果て、彼の心は次第に色を失っていった。しかし、どうすることもできず、ただ流されるままに生きてきたのだった。


KUSANAGIEXPRESSの車内は、どこか異世界のような空間だった。落ち着いた照明が優しく車内を照らし、静かな音楽が流れている。乗客は少なく、みなそれぞれの思いに沈んでいるかのように、静かに座っていた。直人はその中で、ひとり孤独を噛みしめていた。


突然、ドアの開く音がした。次の駅に到着したのかと思いきや、誰も乗り降りする気配はない。不思議に思った直人が顔を上げると、一人の女性が車内に入ってくるのが見えた。彼女はスラリとした姿で、長い黒髪が肩にかかっている。どこか物憂げな雰囲気をまとった彼女は、直人の前の座席に腰を下ろした。


彼女の顔を見た瞬間、直人の心臓が一瞬跳ね上がった。彼女はどこかで見たことがあるような気がしたが、思い出せない。それがもどかしくて、直人は視線を逸らすことができなかった。


しばらくの間、二人は何も言わずに座っていた。直人は何度も彼女をちらりと見ては、心の中で何かを探しているような気がしていた。しかし、言葉は出てこない。ただ、彼女の存在が何か大切なものを思い出させるような気がしてならなかった。


「…どうして、こんな夜更けに?」彼女がぽつりと呟いた。直人は一瞬、声が自分の耳元で囁かれたかのように感じたが、彼女の視線はまっすぐに前を向いていた。


「…何も考えずに乗ったんです。ただ、どこかへ行きたくて。」直人は思わず正直に答えた。彼女の静かな声に導かれるように、心の奥底の思いが溢れ出した。


「逃げたいんですね。」彼女は微笑んだ。その笑顔はどこか儚く、しかし温かみがあった。


「…そうかもしれません。でも、本当は…」直人は言葉を探したが、見つからない。ただ、自分が何から逃げているのか、彼自身も分かっていなかったのだ。


「私も同じです。」彼女はふっと息をついた。外の景色が流れる中、彼女の横顔が美しく映えていた。


「私も、逃げているんです。このKUSANAGIEXPRESSに乗るのは、初めてじゃないんです。」


彼女の言葉に、直人は少し驚いた。彼女もこの電車に何度も乗っているということは、何か彼女自身も抱えているのだろうか。しかし、直人はそのことを尋ねる勇気がなかった。ただ、彼女の話を聞くことで、自分も少し救われる気がした。


「夜が怖いんです。だから、こうして夜を駆け抜ける電車に乗っていると、少し安心できるんです。」彼女は少し寂しげに笑った。


「夜が…怖い?」直人はその言葉に少し戸惑った。彼にとって夜は、ただの時間の一部であり、怖いと思ったことはなかった。しかし、彼女にとっては何か特別な意味があるのかもしれないと思った。


「夜には、たくさんの思いが詰まっています。過去の記憶や、未来への不安。そういったものが、夜には一層色濃く感じられるんです。」


彼女の言葉に、直人は静かに頷いた。確かに、夜は人々の心に潜む何かを浮かび上がらせるような力を持っている。彼自身も、夜になると漠然とした不安や孤独感に苛まれることがあった。


「でも、だからこそ、この電車に乗るんです。夜の中を駆け抜けることで、その不安や孤独を忘れようとしているのかもしれません。」


彼女の言葉は、直人の心に深く染み渡った。彼女もまた、何かを抱えながら生きているのだと思うと、直人は少しだけ彼女に共感を覚えた。


「あなたも、何かから逃げているんですね。」彼女は直人の目をまっすぐに見つめた。その視線に、直人は少し戸惑いながらも、正直に頷いた。


「そうかもしれません。でも、何から逃げているのか、自分でもよく分からないんです。ただ、何かに追われているような気がして…」


直人の言葉に、彼女は静かに微笑んだ。そして、その微笑みにはどこか救いが感じられた。


「大丈夫です。夜は長いようでいて、いつか必ず終わります。あなたが何から逃げているのか、きっといつか分かる日が来ますよ。」


彼女の言葉に、直人は少しだけ心が軽くなったような気がした。彼女の存在が、まるで夜の中での光のように感じられた。


電車は闇の中をひた走り、外の景色は次第に静まり返っていった。KUSANAGIEXPRESSは、まだまだ夜を駆け抜ける。その先に何が待っているのか、誰も知ることはできない。しかし、今はただ、夜の旅路に身を任せるしかない。


そして、直人は再び彼女に話しかける。夜の静寂の中で、二人の声が優しく響き合う。KUSANAGIEXPRESSの車内で、二人は互いの存在を感じながら、夜を行く。


物語はここから始まる。夜の中で出会った二人の心の旅が、どこへ向かうのか――それは、まだ誰にも分からない。


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