4. 睡眠の事情

 ある日のこと、仕事の後、瞑想と運動と水分補給を繰り返していた私は、ふと左手首の装置が震えていることに気付いて、ほぼ反射的に目をそちらへと向ける。


 そこには「アト30プンデシュウシンジカンデス」という通知が表示されていた。


「おっと、そろそろか。早めにシャワーを浴びないと」


 汗の滲んだ身体で長時間いたり、ましてや就寝なんかしたりすると、不衛生で病気になりやすいし、寝付きや目覚めが悪いし、何より生活スコアがすこぶる悪くなる。


 さっとシャワーを浴び、ドライヤーで髪を乾かせば、ほとんど就寝準備は完了で、最後に就寝前の健康チェックを済ませればいい。


「さて、眠るか」


 私は卵型の装置を操作して、装置のモードを就寝モードに切り替える。この卵型装置は実に便利だが、食事やシャワー、そのほか自由行動に対応していないことが玉にキズといったところだ。


 この装置の中ですべてが完結すれば、面倒なことは少ないのにと思うばかりだ。


「ほどよい運動、ほどよい瞑想……寝入るのに十分な条件だ」


 私は装置の中が変わってから入り込む。就寝モードでふかふかになったシートの中に半ば埋もれるほどに沈み込み、その抱擁にも似た包まれ方に安堵しながらそう独り言ちる。


 昔は、自分の下と上に自分を覆う布、つまり、寝具の布が二枚重ねになっていて、その間に入り込むという方法が取られていたらしい。そのほか、この就寝モードに近い寝袋というものもあったらしいが、毎日使うものというよりは携帯する寝具という建付けだったらしいので、快適さなど望むべくもなかったのだろう。


「ふわあ……」


 思わず大きな欠伸が出てしまった。


 明かりは徐々に暗くなり、辺りが静寂に包まれ、しばらくすると、シートがまるで揺り籠のように少し揺れている……ように感じる。多分、揺れているはずだ。


 睡眠は重要だ。


 私の場合、1日に8時間20分、つまり、500分を睡眠に充てる必要がある。これには個人差があるようで、人によっては6時間程度でも、生活スコアの睡眠の項目が満点になるらしい。


 見たことも聞いたこともない他人のことを羨ましいと思いつつ、多様性が許容され、個の独立が発達して、孤独ならぬ個独が確立された社会の中では、他人と比べること自体がナンセンスだ。そんなことを続けていたら、想定外にストレス値が上がってしまい、生活スコアが悪くなってしまう。


「……あぁ、そうだ。音を流してみようか。ブラウンノイズが合っていると、AIにオススメされていたからな」


 空中に目を向けると、AIが反応してくれたようで、何もないところに仮想的なタッチパネルが現れる。指を動かしてポチポチとタップすると、就寝時の音の設定に辿り着いたので、私はひと際目立ってオススメされている設定を何も考えずにセットする。


 流れてきた音はノイズと呼ばれているだけあって、雑音でしかないが、たしかにどこか落ち着いてしまう魅力のある音だった。


「最高の睡眠だな」


 寝てしまえば問題ない。睡眠は記憶の整理や気持ちの整理に役立つらしいし、頭が十分に休むことで理性的に理論的に戻ってくれる。


 余計なことを考えなくてもよい。


 生活スコアを高めるようにしていれば問題ない。

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