第66話 カフェバー
後藤に栄養たっぷりな晩御飯を食べさせて遅番夜勤の仕事先まで送り出す。
まるで円満な同棲パートナーかヒモのような事をした小熊はハンターカブの後部ボックスにメスティン他の自炊道具を放り込み。後藤のアパートを出た。
腕時計を見ると時刻はもう夜だが深夜になる少し前。約束の時間にはまだ余裕があったし、後藤の夜勤明けまでの時間を潰すにはちょうどいい。
小熊はハンターカブのエンジンを始動させて、待ち合わせの場所に走り出した。
昔、といってもまだ元号が昭和だったかなり昔には、テレビ番組の構成作家はテレビ局までタクシーを飛ばして一時間以内で駆けつけられる場所に住むのが不文律だったという。
台本の共有方法は時代によって変わり、郵送やバイク便輸送から電報技術を用いたテレックス、電話線によるデジタル通信のFAXと変わっていき、世紀が変わりメールやファイル共有が主流になるまで、台本とはディレクターと作家が顔を突き合わせながら書くものという意識が根強く残っていた。
小熊にとっては生まれる前の話で、感覚的には戦前や江戸時代と同列だが、これから会う人間は同じく直接見たことの無い年齢ながら、そうするのが当たり前だった世代に人間に師事し、薫陶を受けて一人前になった。
川崎北部にある後藤のアパートから渋滞の一段落した幹線道路を三十分ほどハンターカブで走った小熊は、世田谷区池尻大橋の私鉄駅近くにあるカフェバーに到着した。
見た目からして明らかにコンビニを改装した店舗と思われるカフェバーの前にカブを乗り付けた小熊は、以前東京都心部に高校の卒業旅行で来た経験から、この辺じゃバイクにも駐禁のステッカーが貼られる事を知っていた小熊は、バイクを駐められる場所を探して周囲を見回したが。いかにも元コンビニらしく駐車スペースは無いながら敷地の端に駐輪スペースが存在し、高価そうな自転車が何台か駐められている。
バイク駐車場では小さな車体ゆえ窮屈な思いとは縁遠い原付だが、自転車の多い駐輪スペースでは少々肩身の狭いカブを駐輪スペースの端に駐め、ワイヤーロックした小熊は、ヘルメットを後部ボックスに収納し店内に入った。
店の中はカフェバーという店名というか業務形態名の通り、喫茶店と酒場が混じり合ったような風景だった。
暖色の照明で薄暗く照らされた中に、小ぢんまりしたファミレスのような感じでテーブル席が並んでいる。
焦げ茶色の木材に張り替えられたフロアの端に、以前はレジスペースだったらしき長く大きいバーカウンターがあって、カウンターの背後には酒棚やビアサーバー、コーヒーサイフォンやソフトクリームマシンが並んでいる。
下戸と上戸の両方が等しく楽しめる店だと思った小熊が店内を見回すと、小熊より少し遅く店に入ってきたらしい客に背後から声をかけられた。
「遅れて済まない。小熊君」
小熊が振り向くと、背後にカーキ色のデニムパンツに白麻のジャケット姿の小柄な女性が居た。
「しばらくぶりです。中村さん」
事故による頸椎損傷の患者として小熊と一か月の入院生活を共にし、病室の牢名主として小熊や後藤に色々と世話を焼いてくれた女性、中村良未が居た。
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