第50話 堕天使

緑の髪の青年がすぐに隣の部屋に駆けつける。


少年は左目に手を添えながら、彼女の名前を呟く。


すると、右目に紋章のようなものが現われた。


「リリカ」


途端、緑の髪の女性が少年の横に現れた。


「ノアールの傷の手当をしろ。それが終わり次第、ノアールの代わりに夕飯の仕上げをしてくれ。」


「ああ、それとデザートはいらない。」


少年の命令を受けたリリカは素直に少年に従う。


「かしこまりました。」








緑の髪の青年が扉を勢いよく、開ける。


もちろん、警戒は怠らないが、黒髪の青年の様子を見た瞬間、それが少し、緩んでしまった。


「おい…。ノアール、どうしたんだ。」


「すまない。少しヘマをしてしまって、ケーキが爆発してしまった。」


「それよりも、さっき、俺を見た途端、警戒が解けていた。そんなことをしていたら、すぐに死ぬぞ。」


ノアールは冷淡にそう言う。


「…ああ、そうだな。」


しかし、緑の髪の青年の顔は晴れなかった。


「あのさ、ノアール。」


「なんで、お前、傷を治してないんだ?」


ノアールは緑の髪の青年の言った意味が分からず、ノアールは緑の髪の青年の視線が降り注がれる腕を見た。


そこにあったのは、シャツを捲り上げてあらわになっていた腕から流れる少なくない量の血だった。


だが、ノアールはそれを見ても驚くことはなかった。


それどころか、どこかそれに納得していた。


「しかも、それ…」


緑の髪の青年はノアールの首元を指す。




しかし、緑の髪の女性がノアールの前に現れたため、その言葉の続きが言われることはなかった。


リリカは手際よくノアールの腕に包帯を巻いていく。


「姉ちゃん⁉」


緑の髪の青年が声をあげる。


「シエガ、煩いです。」


「それに、仕事中はリリカと呼んでくださいと言いましたよね。」


「ノアールは私に任せて、シエガは引き続き、スルト様への報告をしてください。」


シエガはリリカにせっつかれ、渋々という感じで、ノアールを振り返りながらも、部屋から出て行った。






そして、リリカは弟の部屋を出ていく様子を見届け、ノアールの手当てに戻る。


ノアールの首に包帯を巻いていく。


「ノアール、あなたにしては珍しい事ばかりね。」


「……。」


リリカは石窯に飛び散ったケーキの残骸、壊れた石窯、黒髪の青年の腕の現在進行形で滲みが広がっている包帯へと視線を向けていく。


「あなたはいつも、スルト様の執事としてなにかも完璧。料理にしても、一度も失敗したことがないらしいじゃない。今回の爆破もいつもどおりなら、難なく避けられたはずなのに。それに、自分の傷ならあなたにかかれば、すぐに治るはずなのにね。」





そして、その視線は黒髪の青年の首元にたどり着く。


「なにより、その首元に広がる痣はどうしたの?」


「……。」


そして、包帯を巻き終えたリリカは爆発の後処理をしていく。


「ノアール、心が揺らいでいるのでしょう。」


ノアールの目が揺れ動く。


「ノアールは堕天使なんでしょ。ああ、スルト様、聞いたわけじゃないの。もともと、堕天使については調べていたの。」


「最初はびっくりしたの。だって、堕天使なんて、絶対、前代未聞でしょ。天使と悪魔の関係は険悪、堕天使なんてそんな天使と悪魔のどちらでもない最悪の中間。」


「それに、なにより堕天使はなれるようなものでもない。堕天使は聖と闇の融合、絶対に相容れない2つを無理やり1つにしたものだから。少しでも、揺れると肉体が魂もろともパーになってしまう。だから、聖と闇の融合は素晴らしいとてつもないエネルギーを発揮するものの禁忌とされている。でも、あなたはそれを完全に制御して見せた。」


「でも、それを完全に制御するためには絶対に揺れない心が必要だった。そして、今あなたの心が揺れ動いている。それが、こういう形で表れている。」


「今まで、あなたの心をずっと支えて絶対に揺れ動かさなかったものが今、崩れ行こうとしている。それでも、まだ、こんなに持ちこたえているのが奇跡だね。」


「それとも、他に何か心の支えがあるのか。」


リリカはノアールの顔をちらっと見る。


ノアールの目が大きく見開かれていた。


「うん。当たったみたいだね。」


「スルト様はいいよね。あと、これは感なんだけど、ノアールのもう1つの心の支えはスルト様についていけば、取り戻せるんじゃないの。」






もう、黒髪の青年の流血は止まっていた。


リリカは朗らかに笑うと夕飯の仕上げに移った。






黒髪の青年が部屋を出て行った。







緑の髪の女性はメインのハンバーグにたれをかけながら、笑みを浮かべながら、呟く。


「本当に割に合わない契約ね。」





「ごめんなさいね。」


緑の髪の女性は後ろを振り返る。


そこには当然、誰もいるはずがなかった。


緑の髪の女性はぽそっと言う。


「本当にバカね。」

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