第16話 脈拍と検温

 廊下で待っていると、侯爵の部屋の扉が開き、ジョバンニがわたしを手招きした。


「旦那様が、モニカお嬢様をお呼びでございます」


わたしを呼んでいるの? 

どこかが苦しいのかしら。心配だわ。


部屋に入ると、カンパニーレ侯爵はベッドから上半身起きた状態でわたしを待っていた。

わたしは侯爵の体の調子を尋ねてみた。


「ご気分はいかがですか? どこか苦しいところはございませんか?」


「少し楽になりました。けれども、まだフラフラしています」


「それはそうです。まだまだですよ。ここで無理をしたらすぐにぶり返しますからね」


「……」


「あの、さっきは失礼しました。手を握ったりして、申し訳ございませんでした」


「…脈拍を測ったんですよね」


「あ、そうです。みゃ、みゃく、脈拍を測ったんです」


「今、また計ってもらえますか? 脈拍」


ドキッ! また脈拍を測れってか?

まあ、考えてみれば、看病しているのですもの、当然の行為よね。

侯爵の言葉に、深い意味はない。

何を勘違いしているの、嫌だわ、わたしったら。


「では、」


カンパニーレ侯爵の手首に、わたしは自分の指を二本あてた。


「そうじゃない。ちゃんと測ってください。さっきのと違います」


あ、さっきは脈拍を測ったのではないとバレたか?

怒られる。


「さっきみたいに、ちゃんと手を握ってください」


「こうですか?」


「うん、そう。これです」


カンパニーレ侯爵の手を握った。

侯爵は安心したように目を閉じた。


カンパニーレ侯爵って、少年のような顔をして眠るんだ。

本当はピュアな少年のままなのかもしれない。


カンパニーレ侯爵の寝顔って…寝顔って…

可愛いかも!です。


もうそろそろいいかな。

そう思って手を離そうとしたら、


「まだ、このままでいてください。安心します。

両親を失ってから、こうして誰かに手を握られることなんてなかった。

手を握ってもらうというのは、こんなにも心が癒されるものなのですね」


目を閉じたままのカンパニーレ侯爵が、小さな声でつぶやいたのが聞こえた。


「このまま、時間が止まればいい……」


え、時間止めちゃいましょうか?

それ、わたしのセリフですから。

どうして先に言っちゃうんですか。

ああ、わたしのドキドキが止まらない。

マズい、マズい、マズい。

このドキドキがカンパニーレ侯爵に聞こえていたらどうしよう。


「……」


ん? 眠った?

今のうちに、そーっと手を離しておこうか。

手を離したその瞬間、侯爵の強い力で引き戻された。


「だめです。行かないでください」


強く引き戻された勢いで、わたしは侯爵の寝ている体の上に倒れ込んだ。

顔をあげると、すぐ目の前に侯爵の美しい顔があった。


「熱、測って下さい」


「さきほど測りましたが、もうだいぶ下がったようですよ」


「もう一度、測ってください。ちゃんと」


よろしいのですか? また、おでことおでこをゴッツンコしても。

侯爵の美しい瞳はまだ熱っぽく、わたしを見つめていた。


そーっと、額を近づけてゴッツンコしてみた。

目を閉じて侯爵の体温を感じてみる。

冷徹と言われている侯爵の温もりがそこにはあった。

ちゃんと、人の血が流れているじゃないの。


本当は寂しがり屋さん。

少年のままで時間が止まっているんだわ。


侯爵がわたしのマスクをそっとはずした。

唇と唇が触れそうになる。


「申し訳ありません!」


突然の出来事にわたしは驚き、飛びのいて体を離した。


「謝らないでください。病をうつせば治るかもしれない。

あなたがそう言ったから、うつそうとしただけです」


ヤバいっしょ、それ!

心の臓がバクバクいってる。

どこに視線を置けばいいのか。

とりあえず、エプロンの裾を握った自分の手ばかりを見ていた。

顔をあげてカンパニーレ侯爵の顔をまともに見ることが出来ない。


「そんなにわたしが怖いですか」


「いいえ、怖くはありません」


そう言いながら、なおも顔をあげないわたしを見て、カンパニーレ侯爵が大きくため息をついた。

あれ? もしかして、あきれられた?


「この契約はいつでも破棄が自由です。

あなたの事は好きにはならないから、安心してください」


おいおいおいおいおい。

「行かないで」と言ったその後に、

「好きにはならないから」って、いったい何なの?

まるで意味不明。

喜ばせておいて、次には崖から突き落とすなんて。

どうしてそう言うことが言えるのだろう。

それが冷徹侯爵と言われる所以か。


「下がっていいです。ご苦労様でした。少し眠ります」


「そうですね。おやすみなさい、失礼します」


わたしは必死に作り笑いをしながら退室した。


本当はショックなはずなのに、わたしったらまた笑顔を作っている。

平気なふりを装っていても、本当は心がスタボロなのに。


でも、まぁいいっか。熱が少しは下がったようだし。


カンパニーレ侯爵の病状が快方に向かっているだけで、少し安心した。

決して、「好きにはならないから」と言われて安心しているのではない。

でも、このモヤモヤをなんとかして払いたい。


そうだ、仕事しよう。


仕事に打ち込んでモヤモヤを払おう。


「よーし、やったるぞー!」


わたしは両手で頬を叩いて、気合を入れ直した。

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