第6話 はじめての放置

 カンパニーレ侯爵邸は、黒い壁が印象的なお屋敷だった。


馬車から降りると、応接間に通され、「こちらでしばらくお待ちください」と言われた。


で、さっきからずーっとしばらくが、続いているんですけど。

これが姉の言っていた放置なのかしら。


「マリア、時間って進むものだと思っていた。

でも、止まることもあるのね」


「確かに止まったようでございます」


そのしばらくが、終わったかと思われた頃、


「旦那さまは少々遅れるようですので、先に昼食をお召し上がりください」


やや完璧な執事ジョバンニがやってきて、そう伝えた。

言われるままに、食堂に案内されると、使用人たちがずらりと並んでわたしに挨拶をしてきた。


「家政婦長のモンテローザでございます。何か御用がございましたら何なりとお申し付けください」


その次にメイドが5人、挨拶がわりにお辞儀してみせた。


「コック長のロッソです。厨房を任されております」


コックの次には男の使用人たちがそれぞれ仕事内容を言って挨拶をした。


テーブルに案内されると、質素な昼食が準備されていた。

婚約者が来ると言っても特別なメニューを用意するわけではなく、置かれている料理はたぶん、日常の昼食だろう。


クレメンティ家では、白パンを食べていたが、ここでは修道院と同じ黒パンだった。

ポタージュスープと温野菜、ワイン。以上。

これが食卓に並べられた昼食だ。


修道院と変わらないメニューに、わたしは安心感をおぼえた。

よかった、豪華でなくて。

それでも、長時間馬車に揺られた体は食事を受け付けなかった。


「ごちそうさまでした」


「おや、ほとんど召し上がらないのですね。お口に合いませんでしたか?」


家政婦のモンテローザが丁寧に、だが冷たく言い放った。


「いえ、このメニューはとても好きです。

ですが、馬車に長時間揺られたせいか、気持ちが悪くて。

申し訳ございません」


「お気になさらずに、モニカお嬢様、長旅でお疲れでしょう。

お嬢様の部屋にご案内しますから、そちらで少し休まれてはいかがですか」


助かった、ジョバンニ。

渡りに船だわ。

よくかばってくれた。


「お言葉に甘えて、そのようにさせていただきます」


と立ち上がった瞬間に、わたしは貧血で倒れた。



気が付いたらベッドに寝かされていた。

ここは、修道院? 天井が似ているけど少し違うようだ。

でも、何も飾り気がない質素な部屋は修道院の寄宿舎によく似ていた。


「お嬢様、気がつきましたか?」


「マリア、ここは……」


「カンパニーレ邸のお嬢様のお部屋です。婚約して同じ屋根の下に暮らしても、結婚までは別々のお部屋だそうです」


「そう、よかったわ。安心した。どなたがここまで運んでくれたの?」


「バトラー・ジョバンニですよ。細身なのに意外と力持ちなんですね」


「ジョバンニが、そんなことまでしてくれたの」


「お嬢様は修道院を急に出てから、ここまで怒涛の展開ですもの。お疲れなのですわ」


「大丈夫よ。心配かけてごめんなさい。少し窓の外を見たいわ」


わたしは、ベッドから起き上がり窓辺まで行こうと歩き出した。

マリアが手を添えて支えてくれる。


窓の外には、広大な草原と麦畑、どこまでも続く細い道。

そのところどころに民家が建っている。

それ以外は、森と山々と空がどこまでも広がっていた。


ここが辺境の地?

修道院と変わらないじゃないの。


街と比べたら、見事なまでに何もない。

と、普通なら思うのかしら。


けれども、九年間修道院の寄宿舎にいたわたしにとってはどこか懐かしい風景だった。

ほんの二日前まで、こういう環境の中で祈りと労働を捧げていた。


ここに着いてからずっとお待ち申し上げているのに、カンパニーレ侯爵はまだ来ない。

カンパニーレ侯爵は、顔を見たこともない婚約者だ。

婚約したと言っても、きれいな花束をもらったわけでもない。

指輪ももらっていないし、ましてや愛の言葉をささやかれたこともない。

その声さえ聞いたこともない。


わたしは、一体誰を待っているのかしら。


このまま一生、婚約者は現れないのかもしれない。

修道院の続きだわ。

みごとな放置プレイと言わざるを得ない。


「旦那様はそろそろお見えになると思います」


だから、少々とかしばらくとか、そろそろとかいう言葉やめてくださる?

下手に期待値が上がる分、絶望するから。


執事ジョバンニがドアの向こうでそう告げてから、かなりの時間がたっていた。

もうその言葉にはなにも期待しません。


待っている間じゅう、することもないので、ロザリオの珠を指でくくりながら心の中でロザリオの祈りを唱えていた。

祈っていれば時間を気にしなくて済む。

ロザリオの祈りを唱え続けて、五周目に入ったころ、部屋の外が騒がしくなった。


廊下をドタドタと数人が歩きながら、誰かがしゃべっている。


「旦那様、お待ちください。直接ではなく……、必要なら応接間にお呼びしますから」


「時間がもったいない。場所がどこでも構いません。どうせすぐ済む用件だし」


あの声は、ジョバンニだわ。

もう一人はどなたかしら。


そんなことを考えていると、いきなりドアをノックされ

マリアが「はい、どうぞ」とまだ言い終わらぬうちに、


―ガチャ。


ドアを開けて入って来る不届きものがいた。


キャーーーーーー!

レディの部屋に突然男の人が入って来るなんて、ありえないわ!


長い修道院生活で、若い男性を見ることに全く免疫がなかったわたしはパニック状態に陥った。





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