第30話 「私が平田社長を殺しました」 

 マンションでは黒木が鋭い視線を美樹に向けて聞き質していた。

美樹が擦れた声で答えた。

「言われた通り、七時にホテルへ行きました。八〇三号室をノックしたら嶋崎先生がベッドから起き上がって来て、いきなり私を・・・」

「それで?」

「吃驚した私は夢中で抵抗しました。先生、急に怒り出して平田社長に電話しました。わたし、泣きながら、そんなこと知らないし、嫌だ、って訴えたんです」

「そしたら?」

「平田社長、物凄い声出して、嶋崎先生に逆らって良いのか!それでこの世界でやって行けると思ってるのか!誰のおかげでテレビに出られたんだ!って怒ったんです」

黒木がじっと美樹を凝視した。

「わたし、浩次さんにも未だあげてなかったし・・・そんなこと一度もしたことなかったし・・・」

「ホテルを出たのは何時頃ですか?」

「九時少し前だったと思います」

「二時間近くも、ですか・・・」

美樹は長い間、じっと俯いて、何かに耐えているようだった。

 やがて、顔を上げた美樹が懸命な表情で黒木を視た。

「浩次さんは手紙をよく呉れました。何時も下手な字で、長い、長い手紙を・・・」

美樹は定期入れから折り畳んだ手紙を取り出した。

「何時もこうして持ち歩いているんです」

それから、徐にそれを開いて読み始めた。

「一カ月経ちました。あれから一通も便りが無いので心配しています。昨日の冷え込みで、朝起きてみたら遠くの山に初雪が見られました。東京は此方に比べれば随分と凌ぎ易いでしょうね。君が東京に経った日のことを、京都駅のことを、今でも忘れません。自分で勧めておき乍ら、俺は物凄く止めたかった。行くのを止めてくれないかと思った。駅のホームで、君の髪にゴミが着いていてそれを取った時、髪の毛が一本、俺の手の中に残りました。今もそっと採ってあります・・・」

読み終わった手紙をまた丁寧に折り畳んで、美樹は自分の胸ポケットへ仕舞い込んだ。

「わたしが今日までやって来れたのは、彼の支えがあったからこそです。わたし、テレビに初めて出るまで、二年かかりました。浩次さんの私への優しさが私を支えてくれたんです」

 それから、美樹が心を決めたかのように静かに穏やかに、話しかけるように、黒木に言った。

「浩次さんのマンションで私が平田社長を殺しました」

美樹の耳に浩次の声が被さった。

「違う!平田を殺ったのは俺だ、純子には関係無い!」

黒木が静かに美樹を促した。

「署までご同行願いましょうか」

「その前に」

美樹が黒木を凝視して言った。

「わたし、嶋崎先生、否、作曲家の嶋崎龍一を告訴します、強姦罪で」

「然し・・・」

「わたし、合意なんかしていません、絶対に!必死で抵抗したんです。でも・・・あいつを絶対に許しません!浩次さんも解ってくれると思います」

「解りました。それでは、署で詳しく伺います」

黒木は穏やかな眼で美樹を促した。

美樹は落ち着いていた。ゆっくりと立ち上がって黒木に従った。

美樹の眼の中で、今にも泣き出しそうな浩次の顔がぼやけて揺れた。

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