第五章 喝采の陰影

第25話 マンションの一室で男が殺されていた

 午前七時前、早朝の街を切り裂くようにサイレンを高く鳴らして、一台のパトカーが小さなマンションの入口で停車した。パトカーから下り立った警察官が数人、管理人に案内されて二階へ駆け上がり、パジャマ姿の住人たちを掻き分けて開錠された三号室へ飛び込んだ。その部屋で男が一人殺されていた。男の腕からは青い刺青が覗いて居た。

 部屋の住人は居なかった。借主は渋谷のバー「紫苑」でバーテンダーをしている村山浩次と言う二十三歳の男だったが、その行方が判らなくなっていた。

鑑識の現場検証が全て終了した後、所轄の警察署に捜査本部が設けられ、最初の捜査会議の後に課長による記者会見が行われた。

「被害者は平田鉄次、四十歳。暴力団大原組の元組員です。ガイ者は現場で何者かと懇談中、いきなり刺されたものらしく、死因は後部首筋の刺し傷です。凶器は出刃包丁。これは現場に残されています。捜査本部では、部屋の住人であるバーテンの村山浩次が事件の鍵を握る者として行方を捜しておりますが、現在、村山の行方は掴めておりません。ガイ者と村山は顔見知りであったらしく、ちょくちょく出入りしているのがマンションの住人に目撃されています」

 

 村山の本籍地は京都の宇治市だった。

宇治は歴史と観光の街であったが、他に是と言った名立たる産業は無く、若者が働ける仕事は限られていた。

彼に友人や知人は極めて少なかったが、それでも三、四人の名前は挙がって来た。板前の幸田宏、新宿のスナック「カモン」のカウンター嬢麻耶、故郷が同じ宇治市で歌手の卵の若原美樹等であった。警察のAB照合の結果、村山浩次に前科は無かった。

 警察の聞き込みに「紫苑」のバーテンダーは傍迷惑そうに答えた。

「村山は、昨日は休みました」

「よく休むのか?」

「否、珍しいですね」

「黙って休んだのか?」

「いや、七時頃だったかな、気分が悪いから休ませてくれって」

「平田って男を知っているかね?」

「ああ平田さん。うちのお客さんです」

「いつ頃から来ていた?」

「もう一年近くになりますね。平田さんがどうかしたんですか?」

「村山の部屋で殺されて見つかった」

「えっ!」

「村山の行方に心当たりは無いかね?」

「さあ、解りませんね」

「若原美樹って歌手を知っているかね?」

「歌手かどうかは知りませんけど、平田さんと一、二度来たことが有りますよ」

殺された平田は「平田企画」と言う芸能プロダクションをやっていたが、そのタレント名簿によると、全く無名の若者ばかりで、その内実は極めてお粗末なもののようだった。

 村山の行方はようとして判らなかったが、彼のマンションの近くで目撃者が出現した。

「昨夜十一時半頃でしたか、マンションの裏口から村山さんが飛び出して行くのを見ましたよ、ハイ」


 その翌日の朝、刑事が二人して若原美樹のマンションを訪れた。黒木と言う三十過ぎの刑事と岩井と言う名のベテラン刑事の二人だった。

化粧っ気の無い顔で美樹がドアを開けた。

黒木が直ぐに警察手帳を見せた。

「朝早くから済みません。先程、電話をした・・・」

「どうぞ」

二人は中に招じ入れられて玄関のドアを閉めた。

「お忙しいところを済みません。早速ですが、村山浩次さんをご存知ですね」

「浩次さん、ハイ、知っています。どうかしたんですか?浩次さんが」

「いや。最後に会ったのはいつですか?」

「浩次さんと?」

「ええ」

美樹は考えながら、答えた。

「一週間くらい前かしら」

「その後、連絡も無いですか?」

「ハイ」

「例えば昨夜とか今朝とかは?」

「いいえ。あの、浩次さんがどうかしたんですか?」

「村山浩次さんとは故郷が一緒ですよね」

「ハイ。浩次さんに何かあったんですか?」

黒木たちは、それには答えず、その後、二言、三言質して帰って行った。

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