第5話 鄙びた温泉街のバーで、修治は女を抱いた
大学一年の夏、北陸へ合宿に行った最終日に先輩が修治に聞いた。
「おい藤木、お前、筆下ろしはもう済んでいるのか?」
先輩の唐突な問に修治は慌てた。
「ええ、まあ・・・」
修治は曖昧な返事で誤魔化した。
「なんだお前、未だ済んでいないのか。よし、じゃ今夜、俺に従いて来い」
先輩に連れて行かれた鄙びた温泉街のバーで、修治は女を抱いた。
相手は、色白で少し太り気味の、鼻筋の通った切れ長の眼の、それでいて、ふわぁっとした柔らかい表情を浮かべる三十歳前のホステスだった。
「あんた、初めてではないわね」
にっこり微笑んだ女は、指でスカートの縁を少しずつたくし上げていった。成熟し切って下り坂にある、快楽の対象としては打ってつけの肉体に眼を射られて、妄想を掻き立てられた修治は、挑むように女に飛びかかっていった。
女はやさしかった。
無私の同情と優しい愛情と無償の手ほどきの、柔らかくて親切な誘いに、積極的な快楽を与えられた修治は、だんだんと陶酔境に浸っていった。
これは、優しくて綺麗な女なら、むしろ自分の義務と考える最も純粋な在り方ではないか、修治はそう思った。
「わたしはねえ、私の肉体によって多くの若い人達にねえ、男らしさの土台を作ってあげるのよ」
女は言った。
「しかも、当惑させないように、後腐れの無い安心感を与えながら、ね。恐らくこれは一つの美徳でしょう」
確かにそうだ。俺たちが、男色という悲しい方便に歪められたり、自分で自分を満足させる自涜に耽ったりするのは、痛ましい限りだ。そんな悪癖から守ってくれるのは、その手段を沢山持ち合わせているこういう境遇の女達なのだ、と修治は思った。
あくせく営む交わりの中で、修治が求めたもの、それは断じて「おんな」ではなかった。
修治の中で男が立ち上がり、捩れ合い絡み付き合った。彼の中を白い液体が走って彼は仰け反り、女の水位の持ち上がった花園に、淫らな線を描いたその割け目に、修治は人間の亀裂と彼自身の割け目を覗いた。
恍惚たる陶酔の後、鉄砲を狂わせて、修治は果てた。
行為が終わると、女はその代償を喜んでさっさと受取り、そして、言った。
「もし私がお金を受取らなかったら、あなた達は残酷なまでに自尊心を痛めるでしょう。慈悲心なんて不躾だと思うでしょう」
「そうだ。こういう場合、金とは匿名のものだ。何という偽りの無邪気さ、何というエゴイズムか。若い俺たちは金で女を辱めることを義務とすべきなんだ」
二人は声を立ててカラカラと笑い合った。
あの堪らない喜悦の広がりの中で修治が認識したもの、それは「精神と肉体の合一性」であった。
女は言った。
「自分の肉体や相手の肉体を愛しもせず、ただ魂の力だけで相手を征服しようとしても、真実に相手を満足させることは出来ないのよ」。
「そうだ。肉体を精神から完全に切り離すことは出来ないし、精神以上に自己に深く根ざしている肉体の可能性以外のところに、自己を見ることは出来ないんだからな」
この哲理を理屈でなく身体で感知した修治は、豊かな肉体と豊かな魂の結合の中に、純粋で優しい高潔な天使の存在を見出したのだった。
修治の中で男の燃焼が尽きて彼の頭脳がどろりと凍り、彼は夢に沈んでその夢に座り続けた。
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