第3話 高校卓球部の顧問だった茉莉先生からメールが届いた 

 藤木修治が大学に入った黄金週間のことだった。高校の卓球部の顧問だった浅丘茉莉先生からメールが届いた。

「大学生になった気分はどう?あなたに是非読んで貰いたい本が手に入ったの。いつでも都合の良い時に取りに居らっしゃい」

 修治はその日の夜、自室のベッドで横になって茉莉先生のことを思った。先生に恋をしていたのかも知れないと考えると、淫らな思いが浮かんで来た。彼は眼を閉じ、壁の方へ顔を向け、枕を胸に抱えてギュッと抱き締めた。茉莉先生の綺麗な姿態が修治の内部の何かを揺さ振った。


 修治が転校して来て卓球部に入った時、最初に顔を合せたのが浅丘茉莉先生だった。先生はその年の春に大学の国文科を卒業して赴任して来た二十二歳の新米先生だった。彼女は薄暮の庭に佇む女神像と言った愛らしい顔立ちだった。背筋がピンと伸び、足早に歩く、溌溂とした若さ溢れる美人だった。

 教室では物静かで厳格だったが、生徒たちにはとても親しくて人気があった。時折、幸せそうな表情を浮かべ、教室の生徒たちも先生の幸せを諸に感じた。茉莉先生は手を後ろで組み、心に浮かんだ話題を早口で喋った。

 或る時、既に亡くなった作家の人生に関して奇妙なエピソードを創り上げ、作家と同じ家に住んでその私生活の秘密を全て知っている人間が語るような調子で話した。生徒たちは何処と無く混乱して、作家が直ぐ身近の街に住んで居たのだろうと思った。

 また或る時は、波乱の人生を送った彫刻家を愛すべき男に仕上げ、生徒たちは笑いに笑った。彼女はこの昔の芸術家を、自慢屋で騒々しく、勇敢な男としてでっち上げた。そして、有名な音楽家が、東京で、この彫刻家のマンションの上階に住んで居たという話は生徒たちの関心を大いに集めた。 

 

 茉莉先生は卓球部の練習には毎日顔を出した。長い髪を首の後ろで束ね、白いジャージーのウエアにライトブルーのトレーニングパンツ、足元のシューズは真っ白だった。

最初の三十分程は女子の練習をじっと眺め、時たま選手を呼び寄せてフォームの注意をしたりアドバイスを与えたりした。

それから男子の練習を視察に回って来て、強打のスマッシュやそれを上手く拾い上げた好プレイに拍手を送ったり、「ナイスプレイ!」と声を掛けたりした。

一時間ほど練習を眺めた後、良し、というような仕草をして出入口へ向かい、一礼をして体育館を出て行った。生徒たちは男の子も女の子も茉莉先生がやって来ると心が浮き立ったし、帰って行くと少し気落ちして一息入れる状態になった。

 夏休みの夏季練習が始まって間も無くのことだった。部員との練習試合を終えた修治を茉莉先生が手招きした。

「藤木君、君のフォアハンドには凄く良いものがあるわね。身体の際に来た球を廻り込んでフォアで打つのも上手い。でもねぇ、その分フォアサイドが大きく空いて、其処を攻められると忽ち取り切れない。今はフットワークの良さで何とかカバーしているけれども、それは大きな弱点になっている。バックハンドを練習しなさい。今日から毎日三十分、私が相手を務めてあげるからバックのショートを練習しましょう。ショートだけを徹底的に練習しましょう、良いわね」

「はい、解りました、先生。宜しくお願いします」

二人のバックショートの居残り練習が始まった。茉莉先生が修治のバックサイドに球を集中的に打ち、修治がそれをバックショートで弾き返す。ショートは後ろへ下がると上手く打てない。

「台から離れちゃ駄目!後ろへ下がっちゃ駄目よ!前で打つのよ、前で!」

茉莉先生の叱咤声が体育館に響いた。

「このショートの練習を積むことによって、スピード感も身に付くの。しっかり頑張りなさい」

修治は、茉莉先生との熱い練習にのめり込んで行った。

一日の練習を終えて、有難うございました、と、修治が頭を下げたとき、茉莉先生が言った。

「バックショートをマスターすればオールラウンドで戦えるし、ぐんと力量が上がるわ、明日もまた頑張りましょう」

「はい、解りました、先生」

修治は眼を輝かせて頷いた。

 

 卓球部員の結束は固かった。仲間意識も強かったし、お互いの信頼は厚かった。

仲間の誰かが同級生や下級生の異性を好きになったりすると、皆で取り持ってやったし、女子部員が気の進まない男子生徒に言い寄られたりした時には、男子部員が相談に乗って、護ってやった。

 バックショートに磨きをかけた修治は守備が堅固になり、その分、否、それ以上に攻撃力が増して強くなった。そして、三年生の新学期に編成された新レギュラーに、団体戦のシングルスに出場する選手の枠に選ばれた。

 チームはそれまでも府下の大会で常にベスト5に名を連ねる強豪だったが、急成長した修治がレギュラーに加わったことで更にその力強さがアップした。そして、遂に、全国高校卓球選手権の京都府大会で優勝を果たし、初めての全日本大会への出場が決まった。

 その時、みんなが歓喜に小躍りしている中で、修治は独り、体育館の隅の椅子に腰かけてしゃくり上げるように泣いていた。

顧問の茉莉先生が彼に近づいて肩に優しく手を添えた。不意に立ち上がった修治は先生にしがみ付いた。一七五センチの男子生徒に覆い被さるように抱きつかれた茉莉先生は支え切れなくて、二人は重なるように床に倒れた。修治は、若さ溢れる二十二歳の女先生の、豊かな胸の谷間に顔を埋めて、辺り憚らずにおんおん泣いた。大きく眼を見開いて驚愕し、狼狽した茉莉先生だったが、部員達が駆け寄った時には、修治の背中に両腕を廻して優しく撫でてやっていた。

それから数週間と言うもの、部員達は修治を揶揄い続けた。

「茉莉先生の胸は大きく柔らかくて、弾力があって、気持良かったのか?」

「良い目をしやがってこの野郎!」

女生徒までが修治を揶揄した。

「茉莉先生の胸は私たちのよりもずっと大きいでしょう。はち切れそうでぷりんぷりんだったの?」

修治は顔を真っ赤にして、体育館の中を逃げ回った。

「知らねえよ」

「解らねえよ」

「ハッハッハッハ」

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