第25話 み、見られてる!?

「離れてくださーい! 接舷しまーす!」


 船員の声に応えるように陸風が吹き、乗客達の肌をなぞる。タラップが下ろされるのを待っていた者たちが揃って身体を震わせた。

 

 季節は冬。観客諸君の世界で言えば、日本と同じような位置にあるこの地にて、トキワ達の船旅が幕を下ろした。


「さ、寒いねー」

「う、うん、ちょっと寒い」


 空に雲はあまりなく、太陽の光は明々と彼らを照らしている。けれどこの寒さを紛らわすには不十分で、若草色の髪のエルフ、トキワは身を縮こまらせながら両の腕をさすった。

 一方でシュアンはそれほどでもないようで、平気な顔をして、タラップを降りる順番を待っている。そこはやはり、犬獣人という種族が比較的寒さに強い事が関わっているのだろう。


「はいっ、到着! 久しぶりの陸だぁ!」


 返事の代わりに吐き出されたシュアンの息が、白く染まって、消える。

 彼女らの視線の先にあるのは、森の都。世界の中心、世界樹を守り、森と共に生きる民、エルフ達の都だ。


「ここが、ハヅキの都、かぁ」


 トキワが感慨深く呟く。視線の先にあるのは、道を往く数多のエルフ達の姿。そして天を突くような大木、世界樹だ。

 彼がエルフの身を得て、既に短くはない時が過ぎた。そうでなくても、彼はその身の元の持ち主の存在について、案じていたのだ。


 実際にはそのような存在はいない。あの身体は、彼の為に用意されたものだ。その辺りも、教えてやらねばなるまい。


「何はともあれ、街へ行こう! 麗しのお姉様や愛しの天使が私を待っている!」

「トキワくん?」

「あ、はい。まずは宿とギルドですね」


 ……駄エルフだ。


 ハヅキの街は、大木と木造建築が同じように並ぶ街だ。木々の中に家々が紛れ、自然に溶け込む街。人によっては質素と表現してもおかしくはない。

 しかしそれは、木々の巨大さに惑わされた故の評価だろう。彼らエルフの暮らす家々は、世界的に見て、質素というには些か広かった。


 そんな森の中をトキワとシュアンは歩いている訳だが、どうした事だろうか。トキワは視線をあちこちへ忙しなく飛ばし、落ち着きがない。


(見られてる……。いつものとは違うやつ……)


 私の視線は時折感じていたようだが、それとは別らしい。


「トキワ、くん?」

(敵意は感じない、けど、あっちこっちから、たくさん……)


 シュアンの声は、一応耳に入っているようだ。


「シュアンちゃん、私たち、見られてる」

「う、うん。でも、なんか、そわそわした、感じ……」


 まあ、そうだろうな。


(ソワソワ……つまり、私のファン!? )


 なぜそうなる。


(いや、そんな有名になるような事してないし、ここで有名ならこれまでの街でも有名になってないとおかしいよね?)


 良かった、まだマトモな思考はできたらしい。

 とうとう頭が完全にイカれてしまったのかと思ったではないか。


(私じゃないとしたら……シュアンちゃんのファンか!)


 三秒前の思考を思い出せ。


(だとしたら、私が守らないと!)


 うん、だからさっきの思考をだな。


「トキワくん、先に、防寒着、買う?」

「シュアンちゃん! こっち!」

「えっ、えっ……?」


 ああ、走り出してしまった。シュアンが混乱したまま引っ張られていく。


「あっ、お前たち、見失うなよ!」


 視線の主たちも動き出したな。まさか逃走劇が始まってしまうとは。


 ああ、安心してくれ。彼ら五人、赤や緑といった木の葉の色らしい髪色のエルフたちは、私がトキワ達につけた護衛のようなものだ。必要ないとは思うが、何かあった時の説明役や最終的な案内役を頼んである。


 これでも、私は人々にとって特別な存在でな。誤解を受けてトキワ達が断罪されてもおかしくないのだ。

 私のところに来てもらうのは、彼らが十分にこの街を楽しんでからと思っている。私の語る、最後の物語であるからな。


 さて、問題の駄エルフ達は今どうしているのか。

 ここは、大通りからはかなり離れた位置だな。


「もう、まだ追ってくる。しつこいなぁ!」

「え、でも、トキワくん、あの人たち……」


 ふむ、シュアンはちゃんと冷静だな。

 このままトキワに説明してくれたら助かるのだが。


「シュアンちゃん! シュアンちゃんは、私が守るからね!」

「うぇっ、あ、その、……うん。お願い、します……」


 あ、ダメだこれは。顔を真っ赤にして俯いてしまった。

 仕方がない。観客諸君には悪いが、しばしこの喜劇に付き合ってほしい。


 しかし、これでどうしてトキワは、シュアンの思いに気づかぬのだろうか……。

 

「くっ、早いな。さすがはあのお方のお気に入り」

「でも、見失うほどじゃないです」


 こんな事を手伝わせてしまっているが、彼らは精鋭だ。まだまだトキワ達で振り切れる相手ではない。


「そうだ、なっ、魔法!?」

「風の刃、なかなかの精度です。……小袋?」

「待て、払うな!」


 しかし静止は間に合わず、トキワの投げた小袋を、護衛の女性が打ち払う。途端、彼らの視界を白い煙が覆った。


「ゴホッゴホッ、なっ、なんっ、だっ、ゴホッ、これは……!」

「けほっ、白いこっけほっ、な?」


 これは、小麦粉か。小癪な手を使う。

 護衛達が咳き込み、あるいは警戒して足を止めるうちに、トキワ達は姿を隠してしまった。


「よしっ、上手く行ったね!」

「う、うん。……大丈夫、かな?」


 ふむ、このドヤ顔は腹が立つな。良いだろう。


 お前たち、トキワはスギカフン通りの方だ!


「はっ、このお声は!」

「お手を煩わせして申し訳ありません! ただちに追いかけます!」


 護衛たちは風の魔法で小麦粉を吹き飛ばし、スギカフン通りへ向かう。


「うぇっ!? もう追いついてきた!? ︎ 完全に振り切ったと思ったのにっ」


 ふっ、私によるナビゲーションとトキワ達よりも熟練した狩人の技を前に、簡単に逃げ切れると思うでないわ!


「くぅっ! シュアンちゃん、こっち行こ!」


 ふふふ、逃げるが良い逃げるが良い!

 どこまでも追いかけさせ、捕縛してみせよう!


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