第46話 文化祭二日目③
大多数を黒髪、あるいは茶髪の生徒が占める我が校の中で金にも近い明るい髪を揺らす人物は、俺の知る限り一人しかいない。
西園寺琴音、その人である。
彼女の素肌よりも一段と白い、フリルのついたワンピースを身に纏い、背中には他の生徒よりも一回り大きいようにも見える羽を携えた西園寺先輩、もとい会長は、恥ずかしそうにほんのりと頬を赤らめながら教室に足を踏み入れた。両手には料理が載せられたお盆を抱えている。
ともすれば校内では物珍しさが勝る彼女の明るい髪色は、その純白のコスチュームとは完璧にマッチしていた。その透明感たるや、天使コスにはもはや金髪以外は合わないとすら思えてしまう。どちらかといえばスレンダーな彼女のスタイルもまた俺の中の天使に対する解釈と一致していた。
彼女の天使姿は、それまでの全ての天使コスチュームを過去のものにしていくようだった。時代は現在進行形で作られていくんだなぁと俺はこっそり実感する。
「……こら、あんまジロジロ見んな」
俺たちの席に歩み寄ってきた会長はむすっとした表情でそう言った。
俺がジロジロ見てしまったのは事実だが、そうしているのは俺だけではない。店内の他の客や接客中の会長のクラスメートまでもが会長の天使姿に目を奪われている。
「……ありがとうございます」
「なんで感謝なのよ」
会長は俺たちのテーブルにお盆を置くと、恥ずかしそうスカートの裾を手で伸ばす。その動作に、思わず俺は目線を奪われてしまうが、そのことで俺を責められる人間はこの世に存在しないだろう。スラリと伸びた白い御足がとても眩しかった。普段のミニスカートの方が余程丈は短いように思うのだが、普段と違うからこそ防御力が気になるのだろう。
「あれだけ嫌がってたのにどういう心境の変化なんですか?」
そう聞くと、会長は不機嫌そうにそっぽを向く。
「……別に着たくて着たわけじゃないわよ。優里にあんな弱みを握られてなけりゃ誰がこんなことするかっての」
そうボヤいた会長の後ろからもう一つ天使の輪っかが顔を覗かせた。昨日の朝、遭遇した会長のクラスメートだ。名前は優里さんだったか。
彼女はニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべ、会長の肩にそっと手をかける。
「あははー、弱みだなんて大袈裟だなぁ。ちょっとお願いしただけじゃない」
「……やり口が政治家のそれだったじゃん、アンタのは」
「天ヶ瀬くん、昨日ぶりだねぇ。というか自己紹介がまだだったよね。高杉優里ですー、よろしくねぇ」
会長のクレームをスルーした高杉先輩は柔らかく微笑む。この人に一体どんな弱みを握られたのだろう。
ちなみに彼女もまた天使の羽を身に纏っていた。会長とは異なりクリーム色のブラウスに同系色のフレアスカートという出立ちだ。天使っぽさはそこまで高くないものの、彼女のおっとりした雰囲気とはよく似合っているし、なにより杠葉に負けず劣らず(と思われる)の豊かな胸部が強調されるコスチュームとなっており、こちらもまたある意味で解釈一致と見做して良いだろう。
ふむ、名前も顔も知らないが、この企画を考えた人にグッジョブを送りたい。
「あ、はい……どもっす。あ、えっと、こっちは俺の妹で」
「あ、天ヶ瀬月子と言いますっ! ちっ、中学三年生ですっ! あっ、兄がいつもお世話になってますっ!」
俺の紹介の言葉を待たずして月子は勢いよく椅子から立ち上がる。微妙に吃りながらの自己紹介からもある程度わかるかもしれないが、こいつは割と人見知りするタイプなのである。もちろん俺ほどじゃないけれど。ちなみに月子は緊張して吃ってしまうタイプ、俺は語頭に「あ」とか「えっと」と付けてしまうタイプだ。普段の態度からは想像つかないが、こういう姿を見ると兄妹なんだって思わされるね。嬉しくはないが。
「よろしく、月子ちゃん。
会長は普段の気怠げな雰囲気をおくびにも出さず、丁寧な所作で月子に微笑みかけた。なんだか普段の俺に対する態度と随分違うなぁ。
そんなことを考えていると、会長は正面に捉えた月子の顔から視線だけを俺の方に横滑りさせたのち、再び視線を戻す。
「へー、噂には聞いてたけど、めっちゃ可愛い妹ちゃんじゃん! ほんとにアンタの妹か一瞬疑っちゃったわー。でも、よく見ると目元とかクリソツでちょっとウケる。いいなぁ、ウチもこんな可愛い妹が欲しかったなぁ」
「はぁ、恐縮です」
「せ、先輩こそ滅茶苦茶可愛いですっ! 髪は綺麗で、肌は白くて、睫毛は長くて、一瞬本物の天使かと思いましたっ! ていうか今も思ってますっ!」
「……ごめん陽太郎、この子うちに持って帰るわ。安心して、大切に育てるから」
どうぞどうぞ。止めませんよ。
「あ、あたしもっ、琴音さんみたいなお姉ちゃんがずっとほしいと思ってましたっ! 是非、兄ともどもよろしくお願いしますっ!」
「えぇー、陽太郎もついてくんの?」
「勝手にお得なバリュープランを作るな。そして普通に嫌がるのは普通に傷つくのでやめてください」
「もしくは先輩が天ヶ瀬家に来るのもアリですっ!」
「うーん、それならまぁ」
「なんでそっちはアリなんだよ」
神楽坂もそうだったが、みんな天ヶ瀬家のどこら辺にそんなポジティブ要素を感じるのだろう。名前の響きだって神楽坂や西園寺にはとても敵わないし、よくわかんねぇな。
「……まさか永遠のゼロを標榜する陽ちゃんにこんな綺麗な女性の知り合いが二人も出来るだなんて」
「標榜した覚えはねぇよ」
一頻り騒いだのち、ようやく落ち着いたらしい月子がなにやら感慨深げにそんなことを呟く。
その声が届いたらしい会長は「二人?」と怪訝な表情を浮かべるも、大して気に留めることもなく、机に置いたお盆から料理の乗った皿を配膳していく。
「はい、約束通り持ってきたわよ。大盛エンジェルオムライスとエンジェルサンドイッチ。もちろんメイドバイウチ」
「おぉー」
「わぁ」
エンジェル要素はさておき、それは見事なオムライスとサンドイッチだった。ただ見るだけで、まるで数日間食事をしていないと身体が勘違いしたかのように食欲が湧き上がってくる。オムライスのソースがケチャップではなくデミグラスなのもまた嬉しいポイントだった。ケチャップも美味しいことには美味しいのだけれど、デミグラスがかかっているだけで洋風感が増して少しお得な気分になるのは俺だけだろうか。
サンドイッチの方は月子用に作ってくれたもので、断面からはレタスやハム、トマト、アボカドなどが顔を覗かせるパンの表面を軽くバターで焼いたらしく香ばしい匂いが漂ってくる。俺が普段、適当に作っているサンドイッチとは天と地ほどの差が見てとれた。
どちらも学祭で出す料理のレベルではないように思えた。というか出そうとしても学生の手際じゃ到底回らないだろう。
俺がチャットしてからまだ二十分と経っていないはずなのに、いったいどんな手際があればここまでのものを仕上げられるのだろう。ただただ会長の料理の腕前には感嘆せざるを得ない。まだ食べてもいないのに。
「おいしそっ……」
隣の月子が小さく呟く。誰に聞かせるでもない、ガチの呟きであった。
……あぁ、まぁなんでもいいや。見てたら俺もどんどん腹が空いてきた。
分析もそこそこに、早いとこ食すとしよう。あったかいうちに食べないともったいない。俺はスプーンで黄色い山の一角を突き崩す。中からはふんわりとケチャップの香りが漂い鼻腔をくすぐる。
「では遠慮なくいただきま――」
「そう言えば聞いたよぉ。天ヶ瀬くん、ミスターコンテストに出るんだってねぇ」
今まさに食べんとするタイミングで、流れをぶった切るようにして高杉先輩が盛大にぶっこんできた。俺はスプーンを口に運ぶ手を止める。
見れば、隣の月子もサンドイッチを口元に持って行く途中の状態で硬直し、大きく見開いた瞳をこちらに向けていた。同じように会長も俺の方を驚きと可笑しさが入り混じったような薄笑いで見つめてくる。
「……なにその面白そうな話、詳しく」
「……陽ちゃん、そのビッグニュース、あたし聞いてないんだけど」
言葉を発したのは二人同時であった。やれやれ、数少ない知り合いにも隠し通すことは叶わないらしい。
俺はスプーンを皿に戻し、詰め寄ってくる二人の問いかけを一旦は押し留め、導火線に火をつけた張本人である高杉先輩の方を見やる。
「……何で知ってんですかそれ。俺ですら今朝知ったばっかりの話なんですけど」
「んー、私の知り合いにミスターコンテスト担当の子がいてねぇ。いろいろと教えてくれたんだぁ。優勝候補の子が出られなくなって急遽決まったんでしょう? 天ヶ瀬くんも大変だねぇ」
高杉先輩は上品に、それでいて屈託なく笑う。
きっとこの人はこれが素なのだろう。なんと言うか、掴みどころのない人だなぁ。
俺は小さく嘆息したのち、目を輝かせる二人に対して簡単に事情を説明する。
一条が体調不良で欠席していること、一条とスタイルが似通っているというだけの理由で勝手に代替参加者に推挙されたこと、他の参加者は今のところ見つかっておらず服飾部の為に参加をするハラであること。
全てを話し終えたところで、会長の呆れ顔が目に入る。
「ふーん……相変わらずのお人好しね、アンタ」
一方の月子は、自分の感情をどう表現したらいいか計りかねているような微妙な表情を浮かべていた。
「ううっ、妹としては嬉しくもあり寂しくもあるよ。陽ちゃんがとうとう現世に解き放たれるときがきたんだね……」
「知らなかったんだけど、俺って封印でもされてたの?」
「陽ちゃんなら優勝間違い無いと思うけど、それはそれで変な虫がついちゃいそうで複雑だなぁ」
「勝手にハードルあげるのやめてくんない?」
「ミスターコンテストと言えば告白シチュエーション対決があるわけじゃん? そっちはどうするつもり?」
純白の天使が腕組みをしながらこちらを見下ろす。
「どうすると言われても……こうなった以上はやるしかないっすよ」
「やるしかないって、相手が必要なわけでしょ? 目星はついてんの?」
「はぁ……まぁ、一応協力してくれるっていうクラスメートがいまして、そいつにお願いするつもりです」
言うまでもなく杠葉のことである。「急遽参加することになった気の毒な天ヶ瀬くんに手を差し伸べたってことでみんなそこまで不思議がらないでしょ! どこかで一条の耳にも入るだろうしちょうどいいね。なんならそこで公言しちゃおうか?」なんてことを言っていた。
さすがに大勢が見ている場でカップル(仮面)であることを周知する度胸はなく固辞したが、しかし一条以外の人間に対してどう伝えていくかは考えていかないといけないなと改めて思った。俺と杠葉が本当は付き合っていないことが一条に知られるのはそれはそれでよろしくないような気もするし、ここら辺は文化祭が終わったら杠葉と詳細を詰めるとしよう。
「ふーん、そ。相手がいるならよかった」
会長は小さく頷き、視線を逸らした。どうやら会長は知り合いの少ない俺を案じてくれていたらしい。
直接言葉に出さずとも会長の優しさに触れたような感じがして胸が暖かくなる思いがした。
「告白相手が見つからなくて失格ってのはエンタメ的にはサイアクだし。せめて玉砕相手がいないと」
前言撤回。
ただ楽しんでるだけだ、この人。
「まぁでも、なんだか漫画の展開みたいでちょっとワクワクするわね。よし、陽太郎、やるからには優勝を目指すのよ」
「んな無茶な」
ただでさえ場違いすぎて呼吸困難になりそうだというのに。
人には出来ることと出来ないことがあります、出来ないことを無理してやるのは時間がもったいないのでやめましょうってのが小学校の時の担任教師の教訓だった。今考えたらとんでもねぇ教師だ。小学生にかける言葉じゃねぇ。
会長はそんなことはお構いなしとばかりに腰に手をあてニヤリと笑う。天使の羽がふわりと小さく揺れた。
「大丈夫っ、ウチが協力したげるから。ステージ入り前の髪型のアレンジとかメイクはウチに任せなさい! 手の器用さには自信があるのよね。その辺に落ちてるなんでもない石ころをピカピカに磨き上げるの、得意なんだ」
「いや、それはホントにありがたい話なんですけど、でもいくら得意ったってなんでもない石ころはどれだけ磨いても石ころですよ」
「でも子どもの頃、おじいさまには褒められたわよ。琴音は石を磨くのが上手だって」
「比喩表現じゃなかったのかよ!」
「陽太郎だって磨けばきっと光るわよ。それにダイヤモンドだって最初はただの石ころでしょ?」
「すみません、その辺に落ちてるなんでもない石ころがダイヤモンドの原石である確率を計算してみてもいいですか?」
「えぇー! ただでさえカッコいい陽ちゃんをもっとカッコよくできるんですか!? うわぁ、楽しみっ!」
「お前、一周回って俺のことバカにしてない?」
「あはー、私も応援してるから頑張ってねぇ」
そんなわけで、図らずもミスターコンテスト前に強力な味方と数少ないファンを手に入れたのであった。
ちなみに会長のオムライスはとんでもなく美味しいもので、洋食屋で出しても遜色ないレベルであったことを報告しておく。マジで何者なんだろう、あのギャル。
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