「秘密の熱量 ~さくらハウスの推しライフ~」
秋も深まり、夜風が少し肌寒く感じられるようになった頃。さくらハウスのリビングでは、三人の女性たちが思い思いの夜を過ごしていた。
鷹宮澪は、ソファに深く腰掛け、タブレット端末を熱心に見つめていた。画面には、小劇場で上演される舞台の告知ページが表示されている。普段の仕事モードとは違う、真剣でありながらもどこか柔らかな表情。彼女の手元には、ハーブティーのマグカップが置かれている。
小鳥遊詩音は、床にクッションを並べて座り込み、大きなヘッドホンで音楽を聴きながらスケッチブックに何かを描いていた。時折、小さくリズムを取りながら、楽しそうにペンを走らせている。彼女の足元には、飲みかけのエナジードリンクの缶が見えた。
月城にこは、窓際のアンティークチェアに腰掛け、タブレットで電子書籍を読んでいた。彼女の周りには、お気に入りのアロマキャンドルが灯され、優雅な香りが漂っている。シルクのパジャマ姿も相まって、まるで絵画のような光景だった。
それぞれが自分の世界に没頭しているように見えたが、リビングには穏やかな空気が流れていた。そんな静寂を破ったのは、玄関のチャイムの音だった。
「はーい」
一番近くにいた詩音が、ヘッドホンを外しながら立ち上がった。ドアを開けると、配達員が小さな荷物を抱えて立っていた。
「小鳥遊様宛てのお荷物です」
「あ、ありがとうございます」
詩音は荷物を受け取り、リビングに戻ってきた。差出人の名前はない、シンプルなダンボール箱だ。
「詩音、何か頼んでたの?」
澪がタブレットから顔を上げて尋ねた。
「ううん、心当たりないんだけど……なんだろう?」
詩音は不思議そうに箱を開け始めた。カッターでテープを切り、中身を取り出すと、そこには見慣れないデザインのTシャツと数枚のステッカーが入っていた。黒地にバンド名らしきロゴと、独特なイラストが描かれている。
「わっ! これ……!」
詩音の顔が、一瞬で喜びと動揺の入り混じった複雑な表情に変わった。
「どうしたの? そのTシャツ」
にこが、キャンドルの炎を調整しながら尋ねた。
「え、あ、いや……これは、その……友達がやってるバンドのグッズで……」
詩音は明らかに動揺し、しどろもどろになっている。
「へえ、どんなバンドなの?」
澪が興味深そうに近づいてきた。
「えっと……『ミッドナイト・センチネル』っていう……インディーズで、あんまり有名じゃないんだけど……」
詩音はTシャツを隠すように抱え込んだ。その様子に、澪とにこは顔を見合わせた。明らかに何かを隠している。
「ちょっと見せてみてよ。どんなデザインか気になる」
澪が詩音に近づき、Tシャツを覗き込もうとした瞬間、詩音は慌てて箱の中にTシャツを押し戻した。
「だ、だめ! これは……その……」
詩音の慌てぶりに、澪とにこの疑惑は確信に変わった。
「詩音、あなた、もしかして……」
にこが、優雅な微笑みの下に鋭い観察眼を光らせながら言った。
「そのバンドの、熱狂的なファンなんじゃない?」
「……!」
図星を突かれた詩音は、顔を真っ赤にして固まってしまった。
「やっぱり……」
澪がため息をついた。
「別に隠さなくてもいいじゃない。好きなものがあるのは素敵なことよ」
「だって……」
詩音が俯きながら小さな声で言った。
「なんか、恥ずかしいっていうか……。二人とも、もっとオシャレなものが好きそうだし……」
「そんなことないわよ」
にこが優しく言った。
「好きなものに、オシャレもダサいもないわ。大切なのは、どれだけそれに情熱を注げるかよ」
にこの言葉に、詩音は少しだけ顔を上げた。
「……実はね、私も秘密があるの」
今度は澪が、少し照れたように切り出した。
「え?」
「私……実は、劇団『星屑アンサンブル』の若手俳優、橘 蓮くんのファンなの」
「えええ! あの、いつも澪ちゃんがチェックしてる小劇場の?」
詩音が驚きの声を上げる。
「そうなの。彼の演技に心を奪われてしまって……。ファンクラブにも入ってるし、公演はほとんど観に行ってるわ」
澪はタブレットの画面を見せた。そこには、橘 蓮くんの舞台写真がフォルダいっぱいに保存されていた。
「すごい……澪ちゃんにもそんな一面があったなんて……」
詩音は目を丸くしている。
「ふふ、驚いた?」
澪が、はにかみながら笑う。
そこで、にこが静かに口を開いた。
「……実は、私も告白することがあるの」
澪と詩音が、驚いてにこを見た。いつも完璧で、隙を見せないにこに、一体どんな秘密があるのだろうか。
「私ね……実は、少女漫画家、一条ゆかり先生の大ファンなの」
にこは少し恥ずかしそうに、しかし誇らしげに言った。そして、タブレットを取り出し、大切に保管している電子書籍のコレクションを見せた。『有閑倶楽部』『砂の城』……往年の名作がずらりと並んでいる。
「えええええ! にこちゃんが少女漫画?」
詩音は、信じられないといった表情だ。
「やっぱり意外かしら? でも、一条先生の描く華麗な世界観と、複雑な人間ドラマに、子供の頃から夢中なのよ。今でも読み返すと、新しい発見があるわ」
にこは、うっとりとした表情で語り始めた。
三人は、それぞれの秘密を打ち明けたことで、どこか吹っ切れたような、そして互いへの親近感が一層増したような不思議な感覚に包まれた。
「なんだ、みんな推しを隠してたんだね」
詩音が笑いながら言った。
「そうね。でも、こうして話せてよかったわ」
澪も、柔らかな笑顔を見せる。
「ええ。なんだか、もっとみんなのことが好きになった気がするわ」
にこも、心からの笑顔を浮かべた。
その夜、さくらハウスのリビングは、三人の「推し」への熱い語りで、深夜まで明かりが灯っていた。
澪は、橘 蓮くんの演技の素晴らしさ、役作りの深さ、そして舞台上で放つオーラについて熱弁した。普段の冷静沈着な姿からは想像もつかない熱量に、詩音とにこは圧倒されながらも、興味深く耳を傾けた。
「彼の目の動き一つで、登場人物の心の機微が伝わってくるのよ! 特に、あの舞台のラストシーンの……」
詩音は、ヘッドホンを二人にも勧め、「ミッドナイト・センチネル」の楽曲を流し始めた。激しいギターリフと切ないメロディ、そしてボーカルの魂のこもった歌声。最初は戸惑っていた澪とにこも、次第にその音楽の世界に引き込まれていった。
「この歌詞がね、すごく心に響くんだよ! うまくいかないことばっかりだけど、それでも前に進もうっていう……」
にこは、一条ゆかり作品の魅力を、ファッションや美学の観点から語り始めた。登場人物たちの洗練されたファッション、華麗な社交界の描写、そして人間の愛憎が渦巻くドラマティックなストーリー展開。
「一条先生の描くヒロインは、ただ美しいだけじゃないの。強さと脆さ、気高さと人間らしさを併せ持っているわ。それに、ファッションの描写が本当に素晴らしいのよ。時代を超えたエレガンスがあるわ」
三人は、それぞれの「推し」について語り合ううちに、互いの新たな一面を発見し、驚き、そして共感した。普段は見せないような熱い言葉、マニアックな知識、そして「好き」という感情が持つ純粋なエネルギー。それらがリビングを満たし、特別な一体感を生み出していた。
「ねえ、今度澪ちゃんの推してる俳優さんの舞台、一緒に行ってみたいな」
詩音が目を輝かせながら言った。
「え、いいの? でも、小劇場だから少し分かりにくいかも……」
澪が少し戸惑いながら答える。
「大丈夫よ。私も興味があるわ。澪の解説付きなら、きっと楽しめるはず」
にこが微笑みながら言った。
「じゃあ、私の推しバンドのライブにも来てよ! すっごく盛り上がるんだから!」
詩音が興奮気味に誘う。
「ライブハウスは少し苦手だけど……詩音がそこまで言うなら、一度体験してみたいわね」
にこが少し考えながら答える。
「私も、たまには違うジャンルの音楽を聴くのもいい刺激になるかもしれないわ」
澪も前向きな姿勢を見せた。
「じゃあ、今度の週末は、みんなで一条ゆかり先生の漫画を読みながら、お茶会するのはどう?」
にこが提案した。
「「賛成!」」
澪と詩音が声を揃えた。
三人は、互いの「推し活」を共有し、応援し合うことを決めた。それは、ただの趣味の共有ではなく、互いの価値観や情熱を認め合い、尊重し合うことの現れだった。
にこは、詩音のバンドTシャツのデザインについて、プロの視点からアドバイスをし、もっと魅力的に見えるカラーバリエーションを提案した。澪は、橘 蓮くんの劇団の公演情報を分析し、チケットを取りやすい曜日や時間帯、さらには効果的なファンレターの書き方(!)まで考察し始めた。詩音は、一条ゆかり作品の登場人物をモチーフにしたイラストを描き、にこを喜ばせた。
「好き」という共通の感情が、三人の間に新たな化学反応を起こし、友情はさらに深く、カラフルなものへと進化していく。日々の生活の中に、「推し」という存在がいることで、仕事の疲れも癒され、新しいアイデアが生まれ、そして何より、自分自身をもっと好きになれる気がした。
さくらハウスのリビングには、三者三様の「好き」が溢れ、温かく、そして活気に満ちた空気が流れていた。秘密の熱量が解き放たれた夜、彼女たちの絆は、推しへの愛とともに、より一層強く結ばれたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます