「感動のフィナーレとノイエス・ミュージアムの奇跡 ― 芸術の力」

 個展開幕の朝、詩音は早くから目覚めていた。鏡の前に立ち、自分の姿を見つめる。長い黒髪を丁寧にブラッシングし、ベルリンで購入したヘアオイルを少量なじませる。髪に自然な艶が出て、柔らかな光を反射した。


「今日こそ、全てを出し切るわ」


 詩音は自分に言い聞かせるように呟いた。


 メイクは普段よりも丁寧に。ファンデーションの上から、ドイツのオーガニックコスメブランド「Dr. Hauschka」のコンシーラーで気になる部分を隠す。目元には、ベルリンの街並みからインスピレーションを得たグレーがかったブルーのアイシャドウをのせた。


 衣装は、日本の伝統的な着物の要素を取り入れた現代的なドレス。濃紺を基調とし、袖口と裾には繊細な桜の刺繍が施されている。首元には、ベルリンで出会った宝石職人が手がけたネックレスを。淡水パールとベルリンブルーのサファイアが、日本とドイツの融合を象徴しているようだった。


 リビングに出ると、すでに澪とにこが待っていた。


「詩音、素敵よ!」


 にこが目を輝かせて言った。にこ自身も、グレーのパンツスーツに赤いスカーフというシックな装いだ。


「準備はできた?」


 澪が優しく尋ねる。彼女は深緑のワンピースに身を包み、髪をきちんとまとめ上げていた。手には、これまでの準備の記録が詰まった分厚いファイルを抱えている。


「ええ、行きましょう」


 詩音は深呼吸し、頷いた。


 ギャラリーに到着すると、すでに多くの人々が集まっていた。アート関係者、メディア、そして一般の観客たち。詩音の心臓が高鳴る。


 オープニングスピーチでは、にこが通訳を担当。詩音の言葉を流暢なドイツ語に訳していく。


「私の作品は、日本の伝統と現代アートの融合を試みたものです。ベルリンという、歴史と革新が共存する街に、強く影響を受けました」


 聴衆の反応は上々だった。特に、問題となっていた侍をモチーフにした作品の前では、多くの人が足を止め、熱心に説明を読んでいた。


 展示会場を歩き回る中、詩音は一人の男性が自分の作品を凝視しているのに気づいた。スーツ姿の初老の男性で、鋭い眼差しが印象的だ。


「あの人、クラウス・ヴィンターよ」


 にこが小声で言った。


「ドイツで最も影響力のある芸術評論家の一人なの」


 詩音の緊張が高まる。


 しばらくして、クラウス・ヴィンターが詩音に近づいてきた。


「素晴らしい展示です、シオネ……いや、失礼、シオンさん」


 にこが通訳する。


「あなたの作品は、東洋と西洋の美学を見事に融合させています。特に、この作品……」


 彼は侍をモチーフにした問題の作品を指さした。


「文化の壁を乗り越え、新たな対話を生み出す力を感じます。ブラボー」


 詩音の目に、喜びの涙が浮かんだ。


 個展は大成功を収め、ベルリンの芸術シーンに新風を巻き起こした。多くのメディアが詩音の作品を取り上げ、ベルリン在住の日本人アーティストたちからも称賛の声が寄せられた。


 展示最終日、三人は達成感に満ちた表情で帰り支度をしていた。


「本当に素晴らしかったわ、詩音」


 澪が詩音を抱きしめた。


「二人のおかげよ。ありがとう」


 詩音は涙ぐみながら言った。


「さあ、これで一段落ね。明日は観光を楽しみましょう!」


 にこが明るく言った。


 翌日、三人はベルリン観光に繰り出した。最初の目的地は、ノイエス・ミュージアムだ。


「ワオ……」


 ミュージアムに足を踏み入れた瞬間、三人は息を呑んだ。古代エジプトの美術品が、現代的な空間に見事に溶け込んでいる。


「ここの修復は、デヴィッド・チッパーフィールドが手がけたのよ」


 にこが説明する。


「歴史的な建物と現代建築の融合が素晴らしいわ」


 澪が感心したように言った。


 三人は、展示を一つ一つ丁寧に見て回った。古代エジプトの彫刻、中世ヨーロッパの絵画、そして現代アートのインスタレーション。時代を超えた芸術の力に、三人は圧倒されていた。


 そして、ある展示室に入ったとき……


「あ!」


 詩音が小さな声を上げた。


「どうしたの?」


 澪が尋ねる。


「あの絵……私が子供の頃、美術の教科書で見た作品なの。すごく好きで……まさかここで本物に出会えるなんて……」


 詩音の目に、感動の涙が光った。それは、19世紀のドイツロマン主義を代表する画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの「月を見る二人の男」だった。


「すごい偶然ね」


 にこが驚いた様子で言った。


「でも、こうして芸術に導かれているような気がするわ」


 澪が静かに言った。


 三人は、その絵の前でしばらく立ち尽くしていた。月明かりに照らされた二人の後ろ姿が、詩音たちの心に深く刻まれていく。


「私も、いつかこんな感動を与えられる作品を作りたい」


 詩音が呟いた。


「きっとできるわ」


 澪が優しく詩音の肩に手を置いた。


「そうよ。あなたならできる」


 にこも頷いた。


 その夜、三人はベルリン最後の夜を過ごすレストランで乾杯をした。


「これからの人生、きっと変わるわ」


 詩音が言った。


「私たちも、新しい可能性を見つけたわ」


 澪が答える。


「そうね。この経験を活かして、私も新しいことに挑戦してみたいわ」


 にこも笑顔で言った。


 窓の外では、ベルリンの夜景が広がっている。歴史と現代が共存するこの街で、三人の心にも新たな夢が芽生えていた。



 帰国の日、三人は早朝からベルリン・テーゲル空港に向かった。機内に搭乗する前、最後にベルリンの街を眺める。


「本当に素晴らしい経験だったわね」


 澪が感慨深げに言った。彼女は今日、落ち着いたベージュのリネンワンピースに身を包み、首元にはベルリンで購入したシルクのスカーフを巻いている。


「ええ。私の人生を変えた街……忘れられないわ」


 詩音は窓越しに見えるベルリンの街並みを、目に焼き付けるように見つめていた。彼女は、日本とドイツの融合を象徴するようなファッションを選んでいた。和風の花柄をあしらった黒のブラウスに、すっきりとしたラインのグレーのパンツ。髪は、ベルリンの美容師に教わった編み込みスタイルにしている。


「でも、私たちの冒険はここで終わりじゃないわ」


 にこが明るく言った。彼女は爽やかな白のシャツワンピースに、ベルリンで見つけたヴィンテージのブローチを付けている。


 飛行機が離陸し、ベルリンの街並みが小さくなっていく。三人は、それぞれの思いを胸に秘めながら、日本への長い帰路についた。


 機内で、詩音は手帳を取り出した。ベルリンでの日々を振り返りながら、新たなアイデアをスケッチしていく。澪は、この経験を活かした新しいプロジェクトの構想をタブレットに打ち込んでいた。にこは、ドイツで学んだ言葉や文化について、メモを取っている。


「ねえ、二人とも」


 詩音が突然声をかけた。


「私、次はパリで個展を開きたいの。そして、その次はニューヨーク……世界中で自分の作品を展示したいわ」


 澪とにこは驚いた表情を見せたが、すぐに笑顔になった。


「素晴らしいわ、詩音」


 澪が言った。


「その時も、私たちがサポートするわ」


 にこも頷いた。


「ありがとう。でも今度は、二人にも何か挑戦してほしいの」


 詩音は真剣な表情で言った。


「澪は組織力があるから、国際的なアートプロジェクトのマネージャーとして活躍できると思うわ。にこは、その語学力と美的センスを活かして、アートキュレーターになれるんじゃないかしら」


 澪とにこは、詩音の言葉に驚きながらも、心の中に新たな可能性が芽生えるのを感じていた。


「そうね……確かに面白そう」


 澪が少し照れくさそうに言った。


「私も、アートの世界でもっと深く関わってみたいって思っていたの」


 にこも目を輝かせた。


 飛行機は太平洋上を飛んでいた。機内の小さな窓から見える広大な空と海に、三人の夢は大きく膨らんでいく。



 その夜、さくらハウスのリビングで、三人はベルリンでの経験を振り返っていた。


「本当に素晴らしい経験だったわ」


 詩音が言った。彼女は、ベルリンで購入したハーブティーを入れながら続けた。


「でも、これからが本当の始まりね」


「そうね」


 澪が頷いた。


「私たち、それぞれの夢に向かって歩み始めたばかり」


 にこも同意した。


 窓の外では、美しい三日月が輝いていた。その光は、ノイエス・ミュージアムで見た「月を見る二人の男」を思い出させた。


「ねえ、みんな」


 詩音が静かに言った。


「私たちの冒険、まだ始まったばかりよ」


 三人は、互いの手を取り合った。ベルリンでの経験を胸に、新たな夢に向かって歩み出す決意を固めたのだった。


 さくらハウスの窓から漏れる明かりは、これからの彼女たちの輝かしい未来を予感させるかのように、静かに夜空に溶けていった。


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2024年9月20日 18:00
2024年9月21日 18:00
2024年9月22日 18:00

女三人、癒しとときめきのルームシェア ~澪と詩音とにこ~ 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi

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