第38話 秘密

人には秘密がある。


この世界に蔓延る大いなる謎とは違い、意図して秘されるものがある。


人心の深遠には、厳重に封をされたものがある。


時として、普遍的な思い出だったり、熱く悲痛な恋だったり、陰鬱な屈辱だったり。

面白おかしく語らうことの出来る、なんてことのないものだったりする。


人には口が裂けても言えない秘密がある。


誰にも見せないものがある。


誰にも見せられないものがある。


それこそ人の、すべてを表すようなものかもしれない。

恥かもしれないし、恐怖かもしれない。

独りよがりの純粋な悪意かもしれないし、他人を慮る善意かもしれない。


秘する鎖を解けば、失ってしまう寂しさかもしれない。わがままや怠惰な依存かもしれない。


どれもこれも、心と番人が作り出した虚像である。


秘密の番人は、決して秘密を明かさない。

しかし番人の主が望めば、戦いを乗り越え鎖を解く事ができるはず。


その主とは人である。


弱き心を抱える人である。


そして聞き届けるのもまた、人である。


同じく心を持ち、同じく秘密を隠す、人である。


丸裸の心に寄り添う覚悟はできているか。


友よ――。


四竜教聖典

ヒューマの独白より


※※※


アスドーラは焦っていた。

応答しないノピーと、急に参戦したコッホに。


『ノピー!ノピーってば!』


獣人の体をぶん投げて、ぶん投げて。渾身の力で投げ飛ばしても、操魔術に弾かれた。

半球形の盾が衝突時の力を上手く分散して、獣人たちが盾の上を滑るようにしてどこかへ飛んでいく。


ジャックに近づく鳥人には、攻撃が通らなかった。

ならばと収納魔法に手を突っ込んでみるが、疑問が邪魔をした。

この距離、届くのだろうかという疑問だ。


その瞬間、指先が先に進まなくなる。


いややっぱり届くんだと、暗示を繰り返すがやはり結果は変わらない。


『ジャック!』


ジャックの肩に足が掛かり、獰猛な鉤爪が肉を裂いた。


このままじゃ、勝てない。


ホテルの二の舞いだけは演じたくなかった。

守ると豪語しておきながら、ノピーやジャックが傷ついたあの日、深く反省をした。


もしも。

今後もしも、同じようなことがあったら。


出し惜しみは絶対にしないと。


たとえ友だちの関係が終わるのだとしても。


必ず守る――。


鳥人の腹部が仄かな光を帯びた。


そして証明陣がぼんやりと表れた刹那である。


心にあった秘密の鎖は、世界最強の手によって断ち切られた。




久しぶりの感覚であった。

鈍っていた指先まで血が巡るような、爽快さであった。


世界最強のアースドラゴンにとって、人の動きも人の魔法も取るに足らない。


何もかも、全ての種が明かされる。


巡る魔力が溢れ出す、まさにその時だった。


『たとえ神様でも……僕の初めての友だちだッ!』


唐突に何を?

アスドーラは怪訝な表情を浮かべてノピーに視線を送る。


『助けて……僕たちを!』


結局ノピーは、どこまでも内向きな性格だった。

エルフの里で浮いた人生を送ってきたせいか、極端なまで己を迷彩のように変化させてきた。

浮かないように、笑われないように、そして差別されないように。


それはいつしか、自己よりも他者への配慮に尽くすことが、正しいのだと思うようになる。

他者への配慮の究極は、介在しないことだ。

余計な茶々を入れず、迷惑をかけず、とにかく黙って空気を読むことに注力するようになる。


背景のような存在であろうとした。

だがノピーも齢50となり、転機を迎える。

学校という新天地で、何もかもを新たにする機会に恵まれた。


簡単には変わらないけれど、変わろうとした。

すると初日から、アスドーラに出会ったのだ。


誰もが通る道を共に過ごし、そして自分の心に気づく。

ずっと憧れていたのだと。

心の奥底に仕舞っていたけれど、みんなとくだらないことで笑いたかったのだと。


ドキドキしながら秘密を打ち明けたら、彼は不思議そうな顔をしたけど。笑わなかったのだ。

むしろアスドーラは、これまでの努力を認めてくれた。

これがどれほど嬉しかったか。


こんなにも心が軽くなったのは初めてだった。


ずっと陰気な生活をしていたが、求めていたものがアスドーラの隣にはあった。


それは信頼である。

自分の才能を引き出し、そして頼ってくれた。

困ったことがあれば、ノピーと呼んで頼ってくれた。

そして、自分を自分のままでいさせてくれた。


けれど僕は弱い。

僕たちが弱いせいで、アスドーラが隠し通した秘密を、無理矢理こじ開けていいものか。

何もしていない僕に、そんな頼み事をする権利があるのか。

それに卑怯だ。

ピンチだから、お前の秘密なんて今はいいだろと、暗に言っているようなものだ。


違うんだ秘密って。

心に根ざす、木みたいなものなんだ。

時間が経てばどんどん深く根を張るし、大事なことほど心の奥に種を埋める。


その木を引っこ抜けば、必ず大きな穴があく。


だから僕が、安心させなきゃいけないんだ。


大きな穴があいたとしても、必ず僕が埋めてあげると。

真の魔法を使いこなす君が、たとえこの世界の神様だとしても、僕の思いはまったく変わらない。


いや、変えたくない。


初めての友だちだから。



『……任しとけい!』


アスドーラから溢れ出す、世界創生の魔力。

ニコリと笑みを浮かべて、いつものポーズで佇む彼こそ、まごうことなき世界最強アースドラゴンである。


アスドーラは使い慣れた魔力を用いて転移した。

人が作り出した術理ではなく、44億年もの間、普段から何気なく使っていた魔法である。


鳥人の側に現れたアスドーラは、その腹部へと掌打の構えとる。

怪力無双の腕力は影を潜め、代わりに流れる魔力の渦。

ポスンと掌が触れるやいなや、証明陣は霧消して鳥人は後ずさる。


「……ごぉぇぇ」


果ては蹲り、体を震わせて嘔吐を繰り返した。


「殺さないでおくよ。操られていたみたいだし」


アスドーラの温情であった。

魔力を巡らせ、全てを見通す神眼には、どんな魔法も小細工でしかない。

獣人たちに流れる奇妙な魔力が、彼らの心を蝕んでいると看破したのだ。


瞼を重そうにするジャックもまた、奇妙な魔力に当てられていた。

獣人たちのそれとは違う、陰湿な小細工だ。

肩口から流れる魔力が、ジャック自身の魔力を際限なく放散させ、空っぽの器を我が物顔で占拠していたのだ。


その小細工は、アスドーラにも施されていた。

やはり肩口から、チンケな魔力入り込もうとしている。


北の果て。

溶岩が生き生きと噴出するあの場所で、ステルコスが見せた最後の足掻きのように、取るに足らないものであった。


世界最強のアースドラゴンに、効果があるはずもなく。

だがこうして、制限を緩めなければ気付かないほどには、洗練された技術ではあった。


「チッ。やはり竜の子かッ!」


コッホの展開する半球形の魔力は形を変えた。

魔力の出力が一挙に増大し、アスドーラへと襲いかかる。

動揺をみせず、即座に全力を出したのは、人として何ら間違っていない。

ドラゴンという神へ牙を剥いたのならば、1秒たりとも手抜かりしてはいけない。


だがしかし、生物としては誤ちを犯していた。

生きたいと願うのならば、牙を剥く相手を慎重に選ぶべきだった。


「後で話を聞くよ」


軽く振った手が、全身全霊の魔力を消した。

どこかへと追いやったわけではなく、消失させたのだ。


「……な、なんで」


ほとんどの魔力を使い切ったコッホは、ぐらりと膝をついた。

彼が口走った疑問に、アスドーラは真摯に答えた。


「勝てるわけないだろう?人の分際で」


そう言いながら、動けなくなったジャックの肩に触れる。

手のひらに伝わる魔力から、その正体が刻印であると判明した。

いつの間にか、魔法陣を設置されていたらしい。


つまり、言い逃れできないほど綿密に計画された犯行は、入学した日から慎重に進められていたということだ。


呆れ返る執念に脱帽しながらも、その刻印を破壊しにかかる。

仕組みは、アスドーラでさえもよく分からない。

人が作りだした術理は、人のほうがよく知っている。

だが幸いにも、刻印術の止め方は出会ってすぐに教えてもらっていた。


「魔法陣に疵をつけるか、魔法陣の発動条件を満たさせないか、魔法陣を相殺消去するかのいずれかの方法で、刻印術は無効化できる、だったね」


第二次試験の時、ノピーに教えてもらった。


アスドーラは、ジャックの肩口が露出するように、服をめくった。

思った通り、そこには魔法陣があった。


収納魔法からナイフを取り出すと、既に発動した魔法陣に切れ込みを入れた。


「ごめんよ、すぐ治すから」


ツーッと流れ出した血は、アスドーラの魔法によってすぐに治癒した。

肩に残るのは、半分になった魔法陣の残骸で、当然ながら魔法は停止。

ジャックの顔にも血の気が通い始めた。


「……うっ。はあ、はあ。おぇぇ」


「起き上がらなくていいよ。そのまま――」


もぞもぞと起き上がろうとしたジャックを介抱していると、森の奥から気配を感じた。

警戒しながらその先に視線を送る。


ズァァァァァッ!


木々を揺らし、木の葉を散らし、猛烈な魔力が広場に迫る。


『ノピー伏せて』


その魔力が真っ先にぶつかるのは、広場と森の間にいるノピーたち。

アスドーラは森を駆け抜けてくる魔力に対し、自身の魔力で対抗した。


ズズズズァァァッ!


アスドーラも舌を巻く、途方もない魔力量だった。

広場を覆い尽くさんとする人の意思が感じられる。


「はあっ、はあっ。はあ、はあ」


そして息を切らし髪を振り乱しながらやって来たのは、眼鏡のあの先生だった。


「はあ、はあ。無事か!?」


キャラクターに似合わず、ローブには枝葉をつけている。

汗塗れで、大口を開けて、とにかく走ってきたのだろう。


「……全員ではないです」


拉致された生徒たちを思い、端的に伝えた。


「はあ、はあ。これは、お前が?」


「……」


ザクソンが見上げるのは、魔力を遮る強固な壁だ。

広場と森の狭間、視認できる範囲すべてを網羅する、強大な壁だ。


到底、入学したての学生ができる芸当ではない。

アスドーラは、躊躇いがちに頷いた。


「はあ、そうか。見事だが解け。邪魔だ」


「……え?」


「はあ、はあ、邪魔だと言っている。ジャックには処置が必要だろう。お前たちも安全な場所に避難しろ」


アスドーラは困惑していた。

魔力を使えば、正体がバレてしまうはずなのに、ザクソンは素振りもみせない。

それどころか、邪魔だと。


ノース王国では国王ですら、畏れ多いと敬語で話してくれてたのに。

どうしてこんなにも睨まれるのか。


まさか……ドラゴンだとバレていない?


「何をしている?早くしろ」


チラリとノピーを見やると、難しい顔をしている。


『仲間かもしれないし、本当に助けに来たのかも。どっちか分からないよ。どうする!?』


『どういうこと?』


『え?いやほら、コッホ先生の仲間かもしれないじゃん。それならこのまま進路を塞いでおいたほうがいいかなと思って』


『……それはないと思うよ?』


『どうして?』


『うーむ、そうだなあ。まあ、触れたら分かるよ』


アスドーラは、魔法を解いた。

すると、滞留していた魔力が一気に広場へと押し寄せる。


ズァァァァァッ!


音と振動に驚き振り返るノピーであったが、アスドーラが言っていた意味を、すぐに知ることとなる。


「……怪我人が複数いるな」


広場に入るや、魔力で生徒たちを囲った。

そして操魔術の上位技術とも言われる魔法発動した。


「傷が……」


足元に横たわっていたルーラルの傷が治癒していく。

他にも傷を負った生徒たちの傷が、癒えていく。


囲いの中に満ちる魔力は、とても穏やかで優しいものだった。

それは以前に、ノース王国の病室で感じた、安息を誘う魔力に似ていた。


「助けに、来てくれたんですね……」


ノピーが呟くように言うと、ローブの枝葉を払う手を止め、ポンと頭に手を乗せた。


「当然だ。私は教師だぞ」


そして睨みつけた先は、膝を屈するコッホだ。


「抵抗はするな」


ザクソンの体から魔力が溢れ、一瞬でコッホを取り囲む。


「……失敗か」


「なに?」


「失敗だと言ったんですよ。ザクソン先生」


徐ろに立ち上がると、不気味な笑みを浮かべたコッホ。

そのすぐ後、広場を覆うザクソンの魔力が素早く収縮し、身動きを取れなくした。


「残念だったな」


「……フッ。残念なのは私ではありません。私たち人間です。分かりますか?これは均衡を保つため、人間が団結するために必要だったのですよザクソン先生」


「理解できんな。生徒に手を出して人間が団結とは」


「いずれ分かります。その時が来ればね」


「何を――」


コッホはアスドーラを一瞥すると、姿を消した。


魔力の拘束からすり抜けるのは至難の業だ。

あるとすれば転移のみ。

だが彼がいた魔力の中には、魔法使用時に必ず残る痕跡がない。


驚きに目を見開くザクソンは、視界の端で動く何かを捉えた。


そこにはアスドーラがいる。


「ふーん。転移先にもなってるんだあ。だから簡単に背後を取れるんだねえ」


のんびりと肩口を掻くアスドーラの後ろで、コッホは渋い表情をしていた。

触れかけた手を迷いながらも握りしめ、グッと奥歯を噛み締めている。


「……アスドーラ君。私と共に来る気はないですか?」


ダメで元々。

ジャックに気を取られているアスドーラを、この隙に拐うことにしたが、すべてを看破され失敗に終わる。

であればと、今度は勧誘を試みたわけだが、逆に質問が返ってくる。


「ルーラルたちをけしかけたのって先生なの?」


意表を突く質問に、コッホは思わず笑ってしまう。

彼にとっては大したことのない、どうでも良い質問であった。

この程度で満足するなら、いくらでも答えてやると、心情が透けてみえるほどに、饒舌に語る。


「そうですよ。もちろんですとも。田舎育ちの貧乏くさいガキが、この学校に入れるわけがないでしょう。

入試の時から面倒を見てやったのですよ。試験内容を教え、アスドーラ君と仲良くなるよう仕向けましたよ。

でも結果は、この有り様です。

任務は失敗ですから……人質は死ぬでしょうね」


「人質?誰?どこにいるの?」


我が意を得たりとほくそ笑み、コッホは交渉しようと画策する。


「必ず教えましょう。ですから、私と共に――」


だがそれが過ちだったと気づく。


大きくため息をつき振り返ったアスドーラの顔に、一切の慈悲がなかったのだ。


「めんどくさいねえ君は」


顔を引き攣らせるコッホは、悟った。

この子には、どんな小細工もどんな策略も通じないと。


そして意識は、逃走の準備を始めていた。


アスドーラに隙はない。

付け入ろうとすれば、確実にやられる凄みを感じた。

魔力ではない。

恐ろしく強大で、人が忘れがちな何かをアスドーラに見たのだ。


「家族です。全員に毒を飲ませて家で寝かせてありますよ」


「生きてるの?」


「あと数分で死ぬでしょうね」


「……どうしたら助かるの?全部教えてくれないかな?」


「ありふれた毒です。今すぐ病院へ連れていけば助かります」


この中に嘘はひとつだけ。

アスドーラが動くであろうことを見越して、嘘を織り交ぜていた。


逃げるためだ。

彼が、彼さえいなくなれば逃走は叶うはず。

ルーラルに手をかけなかった彼ならば、必ず救おうと動くはずだ。


チリチリと視線がぶつかる。

好機を逃すまいと、アスドーラの一挙手一投足に全神経を集中させていると、意外な言葉が掛けられた。


「逃げたいならいいよ」


コッホは身構えた。

冷めた視線がすべてを見透かしているようで、背中にたらりと汗が流れる。


「いつか会いに行くからさ。竜の子について詳しそうだし」


「……来てほしくはないですね」


「ふーん」


アスドーラの視線がルーラルの方へと向けられ、スタスタと歩き出した瞬間、コッホの腹部に証明陣が表れた。


「……ッ!待てッ!」


ザクソンが慌てて魔力を寄せるが、捕まえることは敵わず、コッホは跡形もなく姿を消した。



「アスドーラ君」


ルーラルのそばにやって来たアスドーラは、ノピーを見てニコリと笑う。


「話は後にしよう」


「うん、そうだね」


ルーラルの傷はすっかり癒えていた。

横たわったまま、涙で地面を濡らしているから、全てを聞いていたのだろう。


「お家はどこ?」


「……と、隣町だ」


「んじゃあ、行きますかあ!」


「えっ」


転移の瞬間、アスドーラは確かに見た。


親指を立ててニカッと笑うノピーの姿を。


後で話そうなんて言ったけれど、それはルーラルを助けたいからじゃない。


不安だったからだ。

何をどう説明したらいいのか。

隠し事をどう思われたか。


嫌われていないだろうか。


だから後回しにしたけれど、もう大丈夫。



やっぱりノピーは、いい奴だ。






――――作者より――――

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