10. バグの匂い

 朝霧の立ち込める森に、ユータの小さな影が溶け込んでいく。いつもの薬草採集の日々だが、今日は少し深く踏み入ることにした。近場はもう探し尽くしてしまったからだ。


 太い幹の木々が聳え立ち、陽の光さえ遮る深い緑の世界。ユータの胸に期待と不安が入り混じる。


「きっと、すごい薬草が見つかるはず」


 自分に言い聞かせながら、俺は下草の茂る足場の悪い獣道を慎重に歩を進めた。


 鑑定スキルを駆使しながら森の奥へと分け入っていく。そのとき、不意に「パキッ」という乾いた音が耳に飛び込んできた。


(何かいる!?)


 俺は反射的に身がすくんだ。


 冷や汗が背中を伝い、心臓が激しく鼓動を打つ。物音こそしないものの、明らかに異質な気配が漂う。まるで誰かに見つめられているような、背筋の凍る感覚――――。


 震えながら、音のした方向に鑑定スキルを向けてみる。


 ウッドラフ レア度:★1

 カシュー レア度:★1

 キャスター レア度:★1


 ゴブリン レア度:★1

 魔物 レベル10


 血の気が引いた。魔物だ。ゴブリン。弱いとはいえ、レベル1の自分には手に負える相手ではない。


(どうしよう……、どうしよう……)


 頭の中が真っ白になる。木に登る? いや、下で待たれたら終わりだ。逃げるしかない。でも、どうやって?


 俺は気づかないふりをしながら、そっと来た道を引き返し始めた。そして巨木の陰に入った瞬間、バッグも道具もすべて投げ捨て、ダッシュ! 全速力で駆け出した。


「ギャギャ――――ッ!」「ギャ――――!」


 背後から二匹のゴブリンの叫び声が響く。ガサガサと落ち葉を踏み分け、追いかけてくる足音が、どんどん近づいてくる。


 絶体絶命。十歳の少年の足で、どこまで逃げられるというのか。絶望的な予感が心を締め付ける。


 しかし、捕まれば死あるのみ。ユータは必死に走った。腕が幹に擦れ、枝が頬を切り裂く。それでも、速度を落とすわけにはいかない。


 「森に入ってまだ十分くらい。あと少しで街道だ」


 ハァッ! ハァッ! 酸欠で目が回り始める。


「ギャッギャ――――ッ!」「ギャ――――!」


 ゴブリンの声がすぐ後ろに迫る。「もうダメかも……」そう思った瞬間、最後の急坂が目の前に現れた。


 最後の力を振り絞り、小走りで坂を駆け下りる。そして――――、街道に飛び出した。


 遠くに人影が見える。希望の光だ。


「助けてーーーー!!」


 叫びながら走る。しかし次の瞬間、激しい衝撃をわき腹に感じた。


 ぐぉ!?


 背後から投げられた槍がユータの脇腹を貫いたのだ。


「くぁぁ……」


 激痛と共に、ユータはもんどりうって転がっていく。


 幸い致命傷ではなかったが、もはや逃げる力は残っていない。


 振り返ればもう一匹のゴブリンが短剣を振りかざし、ユータに飛びかかってくる。


「うひぃぃぃぃ!」


 腕で顔を覆った。


(もうダメだ……)


 死を覚悟した瞬間だった――――。


「ギャウッ!」


 獰猛なゴブリンの断末魔が耳を貫く。ユータの隣に倒れ込んだそいつの額には、鮮やかな短剣が深々と刺さっていた。生暖かい血の飛沫が頬にかかり、ユータは現実感のない光景に目を見開いた。


「……。え……?」


 驚きと安堵が入り混じる中、遠くから駆けてくる一人の男性の姿が目に飛び込んできた。


「おーい、大丈夫か?」


 その声に、ユータの緊張の糸が一気に解けた。


「だ、大丈夫……ですぅ……」


 虚脱感きょだつかんと安堵感で全身の力が抜け、フワフワとした感覚に包まれながら答える。九死に一生を得た実感が、ジワジワと体中に広がっていく。


 倒れたゴブリンの体が霧のように消え去り、そこにはエメラルド色に輝く魔石が残された。ユータは初めて目にする魔石に、思わず息を呑んだ。


「そうか、こうして魔物は魔石になるのか……」


 もう一匹のゴブリンは、恐れをなして逃げ出そうとする。それを見逃すまいと、男性は地面に転がっていた槍を拾い上げ、ダッシュで追いかけていった。


 何とか事なきを得た俺は大きく息をつき、転がったまま自分のステータスウィンドウを開く。


HP 5/10


「ヤバい、あと一撃で死んでたんだ……」


 そう呟いた瞬間、予想外の出来事が起こった。


 ピロローン!


 頭の中で鳴り響いた効果音と共に、突如レベルが上がる。


ユータ 時空を超えし者

商人 レベル2


「はぁ? どういうこと?」


 ユータは困惑した。自分は何もしていない。それなのに、なぜレベルが上がるのか?


 遠くで男性がゴブリンを倒す光景が目に入る。そのゴブリンを倒した経験値が自分に配分された――――そう考えるのが自然だろう。しかし、男性とはパーティーも組んでいない。それなのに、なぜ倒れているだけの自分に経験値が振り分けられるのか?


「バグだ……、絶対にバグのにおいがする!」


 ゲーマーとしての直感が、ユータの心に響く。この世界を司るシステムの構築ミス。神様の勘違い。そう、これは誰にも気づかれないような、奇想天外な究極のチートになるかもしれない!


 その瞬間、ユータの目にギラリと火がついた――――。

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