第8話 緊急招集の理由
委員会(モイライ)はいつにも増して静かだった。
縁が常駐している事務室に着くと、あやめはその立派な青紫色の扉を叩いた。
「どうぞ」
「失礼致します」
中からの返事を聞いて、扉をゆっくり開ける。
室内は外の光が入り込みとても明るい。右手には壁一面の書籍棚、左手には背の低い食器棚、正面には大きな窓と、その手前に執務のための机が置かれている。部屋の中央には接客用のソファとリビングテーブルが並ぶ。そのいずれもがアンティーク調のもので揃えられ、きちんと整理されていた。
「案外と早かったな」
ソファに腰を下ろし、美しい細工がされたティーカップで紅茶をすすっていた縁が声を掛けてきた。和装であっても、その優雅な動作には似合っている。
「急いで参りましたから」
「ふむ。――まぁ、そこに座れ」
縁は自身の前のソファを指して勧める。
「失礼します」
あやめは言われた場所に腰を下ろす。
「――それで、用事とはなんでございましょう?」
「あぁ、そうだったな」
用意しておいた新しいティーカップに縁はあやめの分の紅茶を注ぐ。
「実はもう片付いた」
あやめの前にカップを差し出しながら、縁はあっさりと告げる。
「……え?」
「だからもう良いのだ」
「??」
急いで訪ねたというのに、用事が片付いたとは解せない。
(えっと……どういうことなのでしょうか?)
首をかしげて縁の顔をじっと見つめる。彼女は不機嫌そうな表情に不満げな気持ちを滲ませる。
「――まだわからないのか?」
「え? 何がです?」
「いや……」
縁は小さくため息をついて左右に首を振る。それから再び紅茶に口を付けた。
「――で、監視対象者についてだが、様子はどうだったか?」
「えぇ、あっ、はい」
普段と同じような報告を促す台詞に、あやめは気持ちを切り替える。
「――貴家礼於はやはり多重世界シンドロームの発動を自分の意志で制御できるようです。さらに、きちんと能力を把握していることがわかりました」
「なるほどな……」
あやめの報告に、縁は表情を曇らせる。
「委員長(モイラ)にとって最も不都合な存在というわけか」
ぼそりと呟かれた縁の台詞を聞いて、あやめの鼓動は早くなる。
(不都合な存在、ですか……)
つまり、貴家礼於から多重世界シンドロームの力を消し去る可能性が高いということである。貴家礼於が発症者でなくなれば、あやめが彼に会う理由は永遠になくなってしまう。
「――貴様はどう思う?」
「どう、とは?」
まさか意見を求められるとは思いもしなかった。あやめは目を瞬かせる。
「世界にとって、彼にその能力が必要であるかってことだ。どのように考えている?」
貴家は言っていた。
――オレには不要なものだ。
彼は便利なその力を拒否している。望まぬ力を持つがゆえに、あやめを呼んだのだ――少なくとも貴家自身はそのように解釈している。
(……ですが)
世界の未来そのものと言っても良い委員長(モイラ)の意志。しかし貴家のいる世界は、委員長(モイラ)の意志を認めた上で従っているのだろうか。
「世界にとって、と言われましても、ワタシにはなんとも……」
あやめはしばし悩んだのち、濁すことで話題から逃れることにする。
「貴家本人はなんと言っている?」
「――不要なものだと仰っておりましたが……」
縁には嘘はつけない。彼女には監査部(ノルニル)という情報部隊がついている。調べてすぐにばれる嘘をつくのは賢明ではない。
「厄介だな」
その呟きに、あやめは疑問符を浮かべる。
「そうですか? 委員長(モイラ)様にとっては好都合ではありませぬか」
委員長(モイラ)は自身の望む未来を妨害する者を嫌う。障害となる多重世界シンドローム発症者自身がその力を拒んでいるのなら、無力化させることは容易い。それで全ては委員長(モイラ)の思うがままだ。
「貴様はそれで良いと、心の底から思っているのか?」
射るような黒の瞳があやめに向けられる。
「委員長(モイラ)様の意志に従うのが委員会所属の能力者たちの仕事でございましょう? ワタシはただ従うだけでございます」
さらさらとあやめは答える。何の疑問も持っていないような返事だ。
「それが貴様の――緒方あやめの本心である、と?」
問われて、あやめは自問する。
(――それは果たしてワタシの本心なのでしょうか?)
本心であろうとなかろうと、結局委員長(モイラ)には逆らえない。
(自分の望みを諦めてでも従うことが、ワタシの意志なのでしょうか?)
委員長(モイラ)が望まないことをすることは絶対にできない。
あやめは自身の希望を叶えるために意志を貫き通す自分を想像してみて、やはり現実的ではないと納得する。自分の意志によって変えてしまった《未来》の責任を負うことに恐怖したのだ。
「……きっと、そうなのだと思います」
自信なさげな言い方であったが、あやめは悩んだ挙げ句に答えた。
縁はカップをテーブルに置く。
「――下界の生活はどうだ? 楽しいか?」
唐突に話を変えてくる。不自然すぎる問いであったが、先の問いから逃れたかったあやめは新しい話題にのることにした。
「楽しいですよ」
用意してもらった紅茶に口を付ける。喉がからからに渇いていた。
「下界の人間と話をするのは久し振りであろう。ただ監視しているよりは面白いだろうな」
「えぇ、そうかも知れませぬ」
何を意図しての台詞なのかさっぱりわからないあやめは、隠す必要もないと素直に答える。
「そこでまた、貴家礼於に関して調べてほしいことがある」
「彼に関して、ですか?」
好都合だと思う一方で、あやめは首をかしげる。
(貴家さまが能力を失うことを望み、委員長(モイラ)様がそれを可とするなら、もう下界に行く必要はないはずでは?)
しかしあやめにはその疑問を訊ねる勇気はない。
「あぁ。貴家礼於の能力の影響範囲とその発動条件、およびいつ発症したのか、をな」
縁の台詞に、あやめはあのときに気付いたことを伝え忘れていたのを思い出す。
「あ、そのことについてなのですが、彼、不思議なことを仰っていたのです」
「不思議なこと?」
怪訝そうに眉を寄せる。
「彼はワタシを指定したのだって仰っていたのです。委員会(モイライ)のような機関があるとするならば、そこの調査員に会いたいと、どうせ会えるなら呼び名に『さま』付けをする女のコに会いたいと願ったって。――下界の多重世界シンドローム発症者の力が委員会(モイライ)にまで及ぶことはあるのですか?」
縁の瞳が見開いていた。
「……指定した、って? 確かにそう言っていたのか?」
「はい。もしかしたら、気を引くために冗談で告げたのかも知れませぬが」
「そうか……」
縁は難しい顔をする。
「……何か気になる点でも?」
腕を組み、唸っている縁にあやめは問う。こんなに悩み困っている様子の縁を見たことがなかったのだ。
「いや、気にし過ぎなだけだと思いたい」
額に片手を当てて、頭を左右に小さく振る。
「――貴様の問いに対する答えだが、下界の多重世界シンドローム発症者の力が委員会(モイライ)に及ぶことが全くないとは言い切れない。委員長(モイラ)の意志が我々の意志に介入してくることがあるように、能力が強力であれば当然影響されることだろう。だが、可能性としては存在しようとも、私は下界の人間がそれほどの力を持てるとは思えん」
「そうですよね」
ならば、委員長(モイラ)の意志が働いて、あやめが貴家礼於に会うことが決まったということか。それとも偶然であったのか。あやめにはわからない。
「――次の任務の開始日はまたおって連絡する。今日はもう休むがよい」
「はい」
「支給した携帯電話は今後の連絡にも使う予定なので、大切に保管するように。――万が一、監視対象者から連絡があった場合は適宜応答し、私への報告は不要だ。わかったな」
「はい。了承いたしました。――今日はこれで失礼いたします」
縁の伝達事項が終わったとわかると、あやめは丁寧に頭を下げて立ち上がる。
「しっかり休んでおけ」
「はい」
彼女にしては珍しい労いの言葉に、あやめはにっこりと微笑んで返事をし、部屋を出たのだった。
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