第7話 嵌められたブレスレット
シドに促されて窓の外を見れば、いつの間にか辺りは漆黒の闇に包まれていた。さっきまで見えていた街の灯りがまるでなく、夜の沼に沈み込んでしまったような感覚さえ覚える。感覚的にはまだ王都の中を走っていてもおかしくはないのに、周囲に建物の影は一切見当たらない。というか闇が濃すぎて何も見えなかった。もしかしてこれも、シドが施した何らかの術なのだろうか。
「カレン。領地に入る前に、君に渡すものがある」
まるでシドの言葉が聞こえたみたいに、音もなく馬車が止まる。何事かと身構えるカレンをよそに、シドは胸ポケットから小振りの箱を取り出すと、どこかソワソワしたように蓋を開けた。
中に入っていたのは赤とローズピンクの宝石をあしらった、上品な作りのブレスレットだった。
「僕たち一族の領地は少し特殊でね。僕らが認めたもの以外の出入りを禁じているんだ。だからこれは僕から君へ送る最初のプレゼントだよ」
「それはありがたい、んだけど……」
控えめな灯りしかない馬車の中でも、そのブレスレットの放つ輝きは少しも衰えない。メインは赤とローズピンクの宝石だが、それ以外にも小粒のダイヤモンドがさりげなく使われており、贅沢をしてこなかったカレンにとっては触れることすら恐ろしく感じるほどの代物である。
カレンとシドの関係は、実際のところ婚約者でもないのだ。それなのにこれほど高価なものをもらうというのも気が引ける。
「遠慮しないで。少し装飾を施したけど、これは僕が君につけてほしくて作らせたんだ。どうか受け取ってほしい」
見るだけでなかなか伸ばせなかった手を、シドに持ち上げられる。ひどく優しい手つきでブレスレットを嵌められると、不本意にもカレンの胸がとくんと鳴ってしまった。
見目麗しい外見をしたシド。謎めいた一族の出であるということも関係しているのか、黙っていれば興味を引かれずにはいられない。あれほど突飛な行動を目の当たりにしたカレンでさえ一瞬の微笑みにときめいてしまうのだから、何も知らない令嬢がシドを見たら一発で恋に落ちることだろう。それほどまでにシドの容姿は毒である。
「……あ、ありがとう」
「どういたしまして。うん、やっぱり君によく似合う」
再び馬車が走り出した。カレンの手はブレスレットをつけられた時からずっとシドに握られたままだ。そのシドの手にキュッと、ほんのわずか力がこもったのを感じた瞬間。
「ホッズベル領へようこそ、カレン。歓迎するよ」
車窓から見えていた景色が一変した。
闇ばかりしかなかった窓の外に光があふれている。白い光があちこちに浮遊しているといった方が正しいだろうか。まるで星空の中を駆け抜けているような感覚だ。よく見れば光のそばには黒い影が立っており、それらがカレンたちの乗る馬車に向けて手に持った光をゆっくりと振っていた。
シドに初めて会った夜、外灯の下でサムズアップしていた霊を思い出す。無数の光のそばには同じような霊がいるのだろうか。けれどもおそらく歓迎されているらしいムードに、カレンが恐怖を感じることはなかった。
「きれい……」
「そうだね」
シドの視線は、窓の外を眺めるカレンにだけ向けられている。その視線に若干の居心地の悪さを感じ始めたところで、不意にシドが思い出したように声を発した。
「あ、そうだ。君に渡したそのブレスレットだけど、領地からは出られないから気を付けて」
「…………え?」
「普通なら出入り自由なんだけど、今回は特別仕様なんだ。僕の許可なく領地から出ようとすると弾かれるから、屋敷から出る時もできれば僕と一緒に行動してほしい」
「ちょ……っと、待って。騙したの!?」
「人聞きが悪いな。一ヶ月の間、カレンには僕のことをじっくり知ってもらいたいだけだよ。そのためには常に一緒にいるしかないじゃないか」
「それでもこんなやり方、あんまりだわ!」
綺麗だと思ったブレスレットが、今は手枷のように見えてしまう。けれどもどれだけ外そうとしても、ブレスレットは金具が錆びてしまったかのように少しも動かない。
「一ヶ月なんてあっという間なんだよ、カレン。その短い期間で君の心を手に入れなければならない僕の気持ちも察してほしいな」
「こんなことする時点で不信感満載なんですけど!」
「大丈夫だよ。ここにいる限り、僕は君を絶対に傷つけない。一ヶ月経ったら、そのブレスレットもちゃんと外してあげる。だから君は何も考えず、一ヶ月間ここで僕に思う存分愛されてくれ」
外堀を埋められた挙げ句、騙されるような形で逃げ道さえ奪われる。元より逃げる気などなかったが、腕輪を見ていると逃げた方がよいのではないかと思いはじめてきた。
といっても、もう後の祭りである。
カレンを乗せた馬車は、ついにメルスウィン伯爵邸へ到着してしまった。
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