合理的な密室

「それでは、物的証拠を論じていきましょう。


 まず、窓枠に溜まった猫の白い毛。これは、部屋の内側に猫が入っていたという証拠です。それもこんなに溜まるまでです。


 この窓が開いていた頃は、この窓から猫を招き入れていたのでしょう。」

「それは何の立証にもならんね。」

「そうですね。


 この窓の猫の毛は、先ほどの状況証拠を強めるだけで、有力な証拠とはならないでしょう。


 しかし、この窓の指紋は言い逃れのできない物的証拠です。」

「指紋? 


 確かに、その指紋は私が付けたものだが、その指紋は窓を開けるときに付けたものだ。


 何の証拠にもならない。」

「その発言は自白ともとることができますよ。」

「……私は何かまずいことを言ったか?」

「ええ、この指紋があなたのものと言うことをあなたの口から証明してくれました。これで、あなたが屋根の上にマタタビを置いたことは確実です。」

「どういうことだ?」

「大事なのは、この指紋が窓枠のサッシについていることです。


 普通、窓を開けるとき、このサッシに指をかけますか?


 私は窓ガラスとサッシの縁に指をかけて窓を開けます。つまり、窓枠のサッシにベタベタと指紋が付かないんですよ。」

「……私が窓枠のサッシに指をかけるかもしれないだろう?」

「往生際が悪いのは分かりました。


 しかし、このような親指の指紋はいけません。指紋が逆さについている。


 百歩譲って、窓枠に指をかけたとしましょう。しかし、どのような窓の開け方でも、逆さ向きの親指の指紋は付きませんよ。


 このような指紋が付くとすれば、


 窓の外に身を乗り出している時です。


 窓の外に身を乗り出していれば、体を支えるために、窓枠を逆手で掴むので、逆さの親指の指紋が付くんです。


 そして、そのように身を乗り出す理由は、マタタビを屋根の端に置きたかったから。少しでも屋根の端に置くことで、猫がマタタビを見つけやすいようにしていた。


 そして、このことに関連して、3つ目の証拠です。


 窓が開かない理由です。


 窓が開かない理由は、窓のレールが外側に曲がっていることです。普通に使っていれば、窓のレールが外側にここまでひしゃげることはありません。


 そう、窓を支えにして、誰か体重をかけたりしない限りね。


 あなたは窓枠のサッシに体重をかけて、マタタビを置いていたので、窓がそれに耐えることができずに、外側に曲がってしまった。


 そして、最終的には開かなくなった。


 それでは、まとめましょう。


 あなたは野良猫に餌をやりたいと考えていた。しかし、大学構内で餌をやることは禁止されている。


 だから、この部屋に野良猫を呼び寄せる計画を立てた。


 3階のこの部屋まで猫を誘引するには、マタタビを使って、屋根の上まで呼び寄せ、この窓の近くで、呼び寄せられた白猫に餌をやった。餌は鍵の入れてあった皿に、めざしなどの銀色の魚を乗せた。


 そして、白猫はこの部屋に来ると餌をもらえることを、学習した。しかし、そんな中、窓が壊れる。


 なので、あなたは換気用の窓から入って来るように、白猫に学習させた。


 そして、今日、白猫はいつも通り、この部屋に餌をもらいに来た。教授は不在だが、いつもの皿の上に、銀色の似たものが乗っている。


 白猫はその銀色の何かを咥え、この部屋を換気窓から出る。


 これが、この部屋で起きた密室事件の全容です。」


 才木教授はしばらく黙ったまま、窓の外を見つめた。


「完敗だな。


 そこまで言い当てられてしまえば、認めるほかあるまい。」

「すいませんね。


 問い詰める真似をして。」

「構わんよ。


 ……だがね。


 私にはあの女生徒がここまで考えているようには思えなかった。


 最後に、君が彼女からレポートを受け取った時の彼女の顔は、君の意図に気が付いていない様子だった。」

「そうでしたか?」

「……君がそのレポートを受け取ったのは、君がした推理で私を脅すつもりだからだろう。


 締め切りのレポートを受け取らせる唯一の方法。


 1度きりの取引。」

「合理的な豚。


 小さな豚と大きな豚がいて、餌をもらえれるボタンをどちらが押すか?


 正解は、大きな豚。


 大きな豚には余裕があり、小さな豚には余裕がない。大きな豚は小さな豚に譲歩して、大きな豚がボタンを押すようになる。


 しかし、大きな豚が餌のボタンを押し続けるとなれば、小さな豚が餌を食べ続け、大きな豚へと成長する。だが、大きな豚はあまり餌を食べることができなくなり、小さな豚になる。


 善意をあげていた側だった者が、いつか立場が逆転し、善意を受ける側になる。


 だから、大きな豚は餌のボタンを1度でも押してはならない。


 つまり、大きな豚である私達教員は、小さな豚である生徒たちに1度でも譲歩を見せてはいけない。


 生徒たちは締め切りのレポートを受け取ってもらえたという1回きりの事実を拡散し、教員たちは譲歩し続ける。


 そして、教員はその1回きりの譲歩で身を滅ぼしていく。


 だが、1度きりの取引なら、その限りでない。


 今回の脅しは1度きりしか使えません。


 もし、このあと2度目の脅しを使う学生が現れれば、もうあなたは脅しに屈する必要はない。


 なぜなら、弱みが皆に知れ渡っていると考えるからです。


 それに、今回の推理を使うには、証拠である窓枠の指紋を消してしまえば、脅しの効力は無くなりますしね。


 ですから、この取引は1度きりだと保証されている。なら、がとる選択は……。」

「そのレポートを受け取る。」


 才木教授は天神教授の言葉に重ねるように、そう言った。そして、才木教授は机の引き出しから、判子を取り出す。


「日付を昨日に戻して、判を押せば、締め切り内に出されたレポートになる。」


 才木教授はそう言って、レポートに受け取りの判子を押す。日付はもちろん昨日のものになっている。


「……しかし、いつから猫の存在に気が付いていたんだ?」

「それは、あなたの部屋から紙の山が無くなった時です。


 あなたは窓のレールに溜まった白い毛ですら放置するほどの掃除嫌いだ。それなのに、ある日突然、紙や本の山がきれいに整頓されていた。


 だから、紙や本の山を倒す存在がこの部屋にいたのではないかと思ったんです。


 猫を飼っている人は、何かを積み上げたり、割れ物を家に飾らないそうです。もし、猫に倒されてしまえば、散らかってしまって面倒ですからね。


 ですから、紙の山が無くなった時点で、そのような仮説は持っていました。」

「なるほど、そんな時からか。」

「はい。


 ……私からも質問を1ついいですか?」

「どうぞ。」

「なぜ、野良猫に惹かれてしまったんですか?」


 才木教授はしばらく考え込んだ。


「……君には、連続体定理を教えたよね。


 連続体定理は簡単に言うと、集合と命題の範囲の問題だ。


 言っていることが正しいか正しくないかを決めつける。いわゆる、真偽だな。


 世の中の全ての事象は、真か偽かの2つだけに分けられるものだと思われている。


 しかし、連続体定理の真偽は分からない。しかし、解釈次第で、それの真偽を決めることができる。


 まるで、結果だけが先に存在し、原因が存在しないかのように思える。


 私は1年前のあの日、大学構内であの白猫を見つけた時、私はその白猫を愛してしまった。


 そこにはその結果しかなかった。


 原因はいくらでも付け足すことができたが、それはいらぬ解釈だ。


 ただ、結果だけあればいい。


 ……質問の答えにはなっていないが、これでいいかね。」

「ええ、もちろん。」


 才木教授はそう言って、もう一度、窓の外を見た。


「……君が1人の学生のために、このような推理をするとはね。


 君も愛する者ができたということかね?」


 天神教授はしばらく考えてから、言葉を発する。


「それは真偽不明とさせてください。」


 天神教授ははにかみながらそう言うと、才木教授も同じく頬をほころばせた。

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