第32話 お姫様が一番大事
「何を粋がっているか知らねえが、誰に喧嘩売ったか思い知らせてやるよ」
リーズロッテを抱え上げたジェラさんが、目を吊り上げて吠える。
その手からは白い煙のようなものが溢れ出していて、きらきらと光をこぼしながらリーズロッテにまとわりついていた。ジャスティーンは、慎重に様子を窺いながら尋ねる。
「お前のそれ、リズの怪我を治してるのか?」
「そうだよ! 一瞬でも、リズに痛い思いをさせた自分が許せねえ。俺にはリズ以上に大切なものなんて、この世にないのに」
迷いなく、混じり気のないまっすぐな言葉を口にして、ジェラさんは標的を睨みつけていた。
何も恐れず、自分を信じ抜くその姿を目の当たりにし、ジャスティーンは唇を引き結ぶ。
普通の人間であるジャスティーンは、魔力というものを感じることがない。そのジャスティーンの目でも、リーズロッテを包みこむ輝くモヤが見える。ということは、ジェラさんが行使している癒やしの力は、膨大なのではないかと当たりをつけることはできた。
「人間の姿を維持しながら、怪我も治すなんて」
魔力が足りなくなるんじゃないか? と皆まで言わずに、ジャスティーンはひとまず呑み込んだ。敵らしき相手が聞こえる範囲にいるので、滅多なことは言えない。つべこべ言うことなく、ジェラさんに向かって手を差し出す。
「リズをよこせ。お前はあっちに集中しろ」
「抜かせ。リズは誰にも渡さない。
「巻き込まれでもしたら、どうする」
いくらジェラさんが強いとしても、その側にリーズロッテがいるのは危ないように思えてならないのだ。魔法での戦いなど、何が起きるのかジャスティーンには予測がつかない。
二人のやりとりを、にやにやと笑いながら見ていた魔法使いの男が、楽しげな笑い声を響かせた。
「猫は、偉大な魔導士だと聞いていたが。もともと猫だったわけじゃないだろうから、人間になるだけで魔力を消費するとすれば、なんらかの呪いの力に抗っているんだろう。つまり、全力を出し切ることができない枷がかけられている。魔力は常に枯渇気味で、いまは人間の身体を維持するので精一杯。恐るるに足らないわけだよ」
まるで、自分の敵ではない確信しているような言い様だった。
この時代、魔法を持っていて、なおかつ表に出てきていないのだとすれば、その身柄は魔力を信奉する結社に囲われているのだろう、とジャスティーンにもわかる。
それこそ、目に見えて効果のある魔法を使える時点で、組織内では「高位の」魔導士の扱いのはずだ。以外なほどに深く根を張った組織には、各国の王侯貴族も名を連ねていると言われている。魔導士というだけで、浴びるような富を与えられ、崇め奉られているかもしれない。
しかし、組織の中枢にるならばジェラさんの数々の異名を知らないわけない。知っていても、まったく脅威とみなしていないのは、さすがに身の程というものがわかっていないように、ジャスティーンには思えてならなかった。
狭い世界でちやほやされて、自分以上の魔法使いなど、そうそうこの世界にはいないと、勘違いしてしまったのではないだろうか。
「はいはい、うるせえうるせえ。俺がどんな形で魔法を制限されていたとしても、俺のお姫様を思うだけで力は無限に湧いてくる。その大切なお姫様を傷つけた奴は、いまの俺の全力で地獄に叩き落す。永遠の業火に焼かれ、この世界の終わりまで苦しめ」
大切そうにリーズロッテを抱え直しながら、ジェラさんは極めつけに物騒な言葉を吐き出し、凶悪な美貌に邪悪な笑みを浮かべた。
美しく禍々しく、見る者の目を引き付けてやまない。
圧倒的な強者だけが持つ、鮮やかなオーラ。
ジェラさんの体から、立ち上る何かが、周囲の空気を揺らめかせる。
尋常ではない圧を感じたらしい男が、ようやく顔をこわばらせた。無駄口を叩いて煽り返すことはせず、口の中で呪文を唱え始める。
魔法の行使。
次に何が起きるかわからないジャスティーンは、行動を決めかねて、警戒しつつ二人の動きを注視した。
一番気にかけているのは、リーズロッテの身柄だ。危険があれば、ジェラさんから奪い取って、この場を離脱する方針だけは、自分の中で決める。
ジェラさんは、呪文を唱え続ける相手を、つまらなそうな顔で見ていたが、ふっと目を細めた。
片腕でリーズロッテを抱き直し、拳を握りしめた片手を突き上げる。
「“詠唱なんて、なんの意味もない”」
歌うように短い言葉を紡ぎ、腕を振り下ろす。
動きに沿って、光の一撃となった稲妻が、いましも何かの魔法を発動させようとしていた相手に襲いかかった。
わずかに遅れて、至近距離に雷が落ちたかのような轟音が空気を震わせる。
ぶわっと強烈な風圧に髪をなびかせながら、ジャスティーンは「手加減……」と小さく呟いた。
ジェラさんは、面倒くさそうにちらっと視線をくれて、ぶつぶつと言う。
「命までは取ってねえよ。いまの時代、死人を出すと騒ぎになるだろ。組織に属しているであろうあいつが、人並みの縁故のある市民かは知らないが。どこに目撃者がいるかもわからない。俺が、悪事とみなされるような何かしたら、お前や王子様が握りつぶす必要が出てくるんだろ?」
「隠蔽は俺の仕事じゃない。罪であれば、償わせるさ」
あてにされては困ると、ジャスティーンは強い口ぶりで言い返す。
そのとき、ジェラさんの腕の中で、リーズロッテが「ん……」と呻いた。途端、ジェラさんの顔がぐずぐずと、甘くとろける。
「リズ。まだ寝てていいよ。痛い思いさせて、ごめん。俺が悪かったよ」
さきほどまでとは打って変わった優しい響きの声で、愛しげに囁きかけていた。
その様子を見て、ジャスティーンは小さく息を吐きだし、倒れ伏している魔法使いへ視線を戻す。そこで、ハッと息を呑んだ。
建物の間の道から出てきた数人の男が、魔法使いの身柄を拾い上げて運び出そうとしていた。「やはりだめか」「ああなっては、かなうわけがない」「うちの三位の魔法使いが、こうも簡単にやられるとは」口々に言い合っている声も聞こえて、ジャスティーンは目を見開き、勢いよく叫ぶ。
「おい! 騒ぎを起こして、ただで帰れると思っているのか!」
男たちは、その呼びかけを無視して走り出す。
追いかけようか、一瞬だけ迷ったジャスティーンであったが、やめた。多勢に無勢で、相手はまだ何か奥の手を隠し持っているかもしれない。深追いをして、痛手を被るのは自分の方かもしれない。
ため息をついて、「あの駄猫はもう働かないだろうし」と一人つぶやき、ジェラさんを振り返った。
意識を取り戻したリーズロッテに向かい「少し魔力を使いすぎて。このままリズを抱きしめていたい。キスも良い?」と囁いていることに気づき、これはこれで大問題だと、憤然としてジャスティーンは声を上げながら歩み寄った。
「調子に乗るなよ! 卑猥なことは許さない! 離れろ!」
「いやだ。お前、ほんとうるせえ」
悪びれなく言い返したジェラさんは、地面を蹴って、宙に飛び上がる。
「飛んだ!? あっ」
飛んだ。しかし、魔力が足りなかったようで、羽ばたく前に無惨に落ちてきた。
リーズロッテを打ち付けないように自分の体でかばいながら、ジェラさんは悔しげに呻く。
「リズのキスさえあれば」
未練がましいその態度を見て、リーズロッテがそんな願いを聞き届けることはないと確信しているジャスティーンは、勝ち誇ったかのような笑い声を響かせた。
「残念だったな、駄猫。お姫様を守ったことだけは認めてやるが、図々しい願いはそこまでにしておけ」
言いながら、目を見開く。
視線の先で、リーズロッテが、「ジェラさん、いまの痛くなかったですか? 魔力足りないですか?」と言いながらジェラさんの手を取り、その手の甲に唇を寄せていた。
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