第30話 猫危機
リーズロッテは、ひとまず声を上げるのをやめた。
背中にあてられている固いものは、刃物か鈍器か。密着しすぎていて、わからない。
(「魔導士を信奉する闇の結社」「組織」は、魔力を持つ者を重宝しているというから、聖女とされているわたくしのことを傷つけたりはしないと思うけれど……! 祭りに浮かれて悪事を働く暴漢だった場合、ふつうに刺されるかもしれませんよね!?)
聖女に価値を見出す者はいるが、誰も彼もがリーズロッテを聖女と知るわけではないのだ。
特に、いまは普段とは違う姿なのである。成長を止めた少女のリーズロッテと、年相応の姿が、同一人物と気づかれているかすら、わからない。
迂闊な動きはできない。
リーズロッテ自身は冷静なつもりであったが、心臓はばくばくと大きく鳴っていた。
まさか、ジェラさんとはぐれたほんの一瞬の隙をつかれて、危機に陥るとは。
「我々が用があるのは、あの魔法使いだ。ここは騒がしい。落ち着いた場所まで、一緒に来てもらおう。君がこちらにいれば、あの魔法使いは、我々に手出しはできないだろう?」
背後で、男の声が勝手なことを言っている。
まさに手前勝手な言い分で、自分が狙っている相手のことを、何一つわかっていないとしか思えない。
(ジェラさんが、ひとの話を聞くほど行儀が良いと思っているんですか? まともに会話が成立する前に、激昂して襲いかかってきますよ!?)
特に、リーズロッテ絡みになると一般的な常識など何も通じない。
それは、リーズロッテが魔力の供給源となる「聖女」で、ジェラさんが魔導士として真価を発揮するために欠くことのできない存在だからだ。常日頃から触れ合っていることで、ジェラさんの魔力は増幅し、リーズロッテの体内の魔力の流れも正常化する。
一度出会ってしまった以上、離れ離れになることは、もうできない。
「あっ」
声が出てしまった。「なんだ?」と言いながら、背後に立つ男が背中に固い刃物らしきものをもう一度押し付けてくる。明確な脅しの意思をそこに感じたが、さらに悪い予感に襲われたリーズロッテはそれどころではない。
(ジェラさん、たたでさえ魔力が落ちかけていたのに。わたくしと触れ合うことができなくなったのは、とてもよろしくないですよね。猫に戻ってしまいます……!)
考えた瞬間、さらに「しまった」とリーズロッテは顔をこわばらせる。考えるだけで、影響が出てしまうのだ、猫化に関しては。
「にゃああああああん!!」“リズーーーーーーー!!”
目の前を行き交うひとの向こうから、猫の鳴き声が響く。
リーズロッテが目を凝らすと、行き交うひとの足元に、必死にこちらへ近づいてこようとしている毛玉が確認できた。
人に踏み潰されないくらいのサイズ感だったのは幸いであるが、蹴飛ばされて「うわっ」「猫?」と言われており、ひたすらかわいそうな光景が目に飛び込んでくる。
「猫! 猫になっています! はやく助けてあげてください!」
リーズロッテは、自分を脅している相手を振り返って、主張した。
「猫はいま関係ないだろう!」
背後に立っていたのは、まったく見覚えのない中年の男で、嫌そうな顔をしてリーズロッテを睨みつけてきた。だが、ここで怯んではいられない。
「あなたの目は節穴なのでしょうか!? あなたが交渉しようとする相手は、あの猫さんですよ! 知らないわけがないでしょう!?」
「は? なんで『終末の魔導士』がわざわざ猫に。猫?」
まったく納得できない様子であったが、またもや誰かに蹴られたらしいジェラさんが「ふぎゃっ」と悲鳴が上げているのが聞こえて、リーズロッテは居ても立ってもいられず主張した。
若干の嘘をまじえて。
「猫になったほうが、強大な力を発揮できるからに決まっています! あれは『聖獣』たるあの方の、真の姿なんです! 口から燃え盛る業火を吐き出すことができますし、毛は千本の針となって、敵とみなした相手を貫くんです! あの姿になった『終末の魔導士』は誰も止めることができません!」
ふぎゃっ。
なにこのデカ猫。足元なんか誰も見てないよ、危ないから、こっち来ちゃだめだよ?
踏まれて蹴られて、気遣われている声が近づいては遠のく。焦りすぎたのか、ジェラさんはうまく近づいてくることができないらしい。なにしろ猫のときは、のんびりカフェのカウンターで寝ているだけの存在だ。あまり、俊敏ではない。
「真の姿……? ふつうの人間にも踏まれているようだが?」
男も、リーズロッテの言い分を完全に疑ってかかっている。
(ジェラさんを狙う謎の組織なら、普段のジェラさんが猫という重大な事実は情報共有なさっているのではないですか? あの猫さんは、まぎれもなく『終末の魔導士』ですよ……!)
よほど相手の準備不足、知識のなさに文句をつけたくもなったが、冷静さを失ってはいけない。リーズロッテは、強固な態度で男の言い分を突っぱねた。
「彼はいま、敵以外に無闇に力をふるわないように気をつけているんです! 決して無力な猫ではありません!」
苦しい言い訳を続けているのは、リーズロッテの思考がジェラさんの能力に影響を与えるという自覚があるからだ。
猫の姿を思い描けば、猫になってしまうという。人間の姿に戻すためには、接触が必要になるが、その瞬間まではどうにか「猫様最強」で押し通さねばならない。
男は男で、困った様子で猫へちらっと視線を向ける。
「『終末の魔導士』……?」
その男の背後に、さっとすべりこんできた人影があった。
ひとりがすばやく手首を掴んで捻り上げ、握っていた武器を叩き落とす。音を立てて落ちたのは、鞘に収められたままのナイフであった。
「てめえっ」
反撃の隙を与えず、もう一人が男を押さえ込んで、石畳に押し付けた。
マクシミリアンと、アーノルドである。
「お待たせ。遅くなってごめんね。怪我はしていない?」
リーズロッテの背後から、優しい声をかけてきたのはジャスティーン。
「はい、わたくしは大丈夫なのですが、ジェラさんが猫で」
「駄猫のことはいいよ。君が無事ならそれで」
焦って訴えかけたリーズロッテに対し、ジャスティーンはさらりと言い切る。
「だめです! ジェラさんはわたくしの大切な」
目で探すと「ぶみゃあああ」“リズ~~~~~”と言いながら近づいてきたジェラさんが、リーズロッテに向かって飛び上がったところだった。
ひょいっと、その毛むくじゃらの体を、見知らぬ男が捕まえた。
「!!??」“なんだ!?”
驚いているジェラさんを抱えて、男は走り出す。
その場では、アーノルドがさきほどの襲撃者を取り押さえていて、マクシミリアンが「警備の方を呼んでください」と言いながら手を拘束しようとしていた。
ジャスティーンは、リーズロッテを保護している状態。
動ける者がいない中、瞬く間にジェラさんは遠くへと連れ去られてしまう。
「追いかけましょう! いまのジェラさんは可愛い猫さんです!!」
叫ぶなり、リーズロッテは駆け出した。「あっ」と言いながら、ジャスティーンもすぐに追いついてきて、横につける。
「まったくあの駄猫は! 肝心なときに!」
毒づきながら、人波をかき分けての追走が始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます